163 / 165
◇ 二章四話 太陽の別れ * 元治二年 二月
脱走の建前
しおりを挟む
「私が何をしたって言うんだ……」
山南は本当に小さく、か細く、妙にちぐはぐに感じる言葉を独り言ちた。本来それは、糾弾された者が無実を訴える時に使う言葉ではないのか、と思うが……尊敬と称賛を拒否する意図で使われることがあるなど、さすがに思いがけなかった。
だからこそ、重い、と告げたのが本心であることも、嫌と言うほど伝わったけれど。
……何も言えなくなる。
山南は「土方に(あるいは近藤も含まれるのかもしれないが)耳を貸してもらえない」と言ったが、斎藤自身はそうは思わない、というのが本音だった。土方からすればきっと、耳を貸さなかったのではなく、山南の言葉を諸々咀嚼した上で、必要な時にだけ山南の意見を跳ね除けていた、ということに過ぎないのだろうと思う。でなければ、土方がわざわざ山南の扱いに心砕くことはなく、先刻副長室で見せたような表情を浮かべることもなかったはずだからだ。
が、斎藤がそう思うのはあくまで斎藤自身の主観であって、第三者から見ればまた意見も変わるのだろう。斎藤の傍らに沖田がいることも大きいのかもしれない。それがわかっている上で、今の斎藤に言えることは、何もないような気がした。永倉や原田、それこそ沖田でさえ覆すことができずにある現状を、斎藤ごときの言葉で動かせるとは到底思えなかった。
「私が脱走した理由を、訊いたね」
唇を引き結んだ斎藤に、改めて山南がぽつりと言う。
「……はい」
「私はね、今の内に、土方くんに後悔してもらいたかったんだよ。この先に後悔してたんじゃ、もう取り返しがつかないかもしれないからね」
「後悔、ですか」
「さすがにね、自負はしているんだ。近藤さんも、土方くんも、まだ私を仲間だと思ってくれていることを」
改めて頬を緩ませた山南の表情は、本当に、実に、穏やかなものだった。
斎藤は静かに、深く、首肯を返した。
「それは、勿論。おっしゃる通りだと思います」
「ありがとう、そうだよね……うん、そうだよね。でも……そう自負しているからこそ、私じゃないと意味がないとも思ったんだ」
含んだ物言いに軽く首をかしげると、山南は促されるまま頷く。
「私から見れば、土方くんは今、目的のための手段を選ばなさ過ぎている部分がある。例え向かう先が正しかったとしても、道は選ばなければ敵を作るばかりだ。それを口で言って伝わらないなら、行動で伝えるしかない。そうだろう?」
「それは……そう、かもしれませんが、現状を鑑みれば肯定はしづらいです」
「ははは、正直に答えてくれてありがたいよ。ただ、そうだね。もうひとつ付け加えるなら、私が今、隊規をもって腹を切れば……この先起こるかもしれない『何か』のけん制になるかもしれない、とも思っているよ」
ふっと目を伏せて、山南は視線をどこか遠くへ流しやった。
「……いくら引きこもっていても、妙な空気が流れ始めてることは最低限、わかっているつもりだから」
山南はそれ以上のことは言わなかった。ただ、ちらとこちらへ視線を戻し、斎藤が神妙に瞬いたのを見て、その意図を察したことだけは伝わったようだった。
――なるほど、本当に考え抜いた上での行動だったのだろうと、一つひとつを咀嚼していく。
が、とはいえ、まだそれらの理由だけでは納得しきれないのも本音で、斎藤はまたひとつ、溜息を吐いた。
「……山南さんのおっしゃりたい建前は、わかりました」
言えば、山南はわずかに目元に力を込め、それから眉尻を下げた。
そうして開かれかけた口を制するように、斎藤はすぐさま「では藤堂さんはどうするのですか」と、再びその名を突きつける。
「……建前か」
「違いますか。何しろ脱走の理由が本当に今おっしゃったことだけなのだとすれば、あまりにも藤堂さんのことがおざなりになっているように思えましたので」
抑揚なく淡々と、突きつけるように言えば、山南はいよいよ困ったようにあごを引いて膝元に視線を落とした。
が、どうしても……どうしても、言っておかなければならない気がした。聞いておかなければならない気がした。今は江戸にいてまだ何も知らずにいるはずの藤堂が、後に今回のことを知った折、彼自身が納得できるだけの、山南の本音を。
葛を喪い周囲を見失っていた斎藤を、唯一、正しく理解した藤堂だからこそ。山南を「お天道様だ」と言って笑った藤堂だからこそ。藤堂自身の知らぬ間に、その「お天道様」を喪うことに、なったとしたら――……
――当時の斎藤よりも、酷いことにならないだろうか。
その懸念が、今この状況で、斎藤にとって一番腹の底に溜まる澱の正体なのだ。
山南は本当に小さく、か細く、妙にちぐはぐに感じる言葉を独り言ちた。本来それは、糾弾された者が無実を訴える時に使う言葉ではないのか、と思うが……尊敬と称賛を拒否する意図で使われることがあるなど、さすがに思いがけなかった。
だからこそ、重い、と告げたのが本心であることも、嫌と言うほど伝わったけれど。
……何も言えなくなる。
山南は「土方に(あるいは近藤も含まれるのかもしれないが)耳を貸してもらえない」と言ったが、斎藤自身はそうは思わない、というのが本音だった。土方からすればきっと、耳を貸さなかったのではなく、山南の言葉を諸々咀嚼した上で、必要な時にだけ山南の意見を跳ね除けていた、ということに過ぎないのだろうと思う。でなければ、土方がわざわざ山南の扱いに心砕くことはなく、先刻副長室で見せたような表情を浮かべることもなかったはずだからだ。
が、斎藤がそう思うのはあくまで斎藤自身の主観であって、第三者から見ればまた意見も変わるのだろう。斎藤の傍らに沖田がいることも大きいのかもしれない。それがわかっている上で、今の斎藤に言えることは、何もないような気がした。永倉や原田、それこそ沖田でさえ覆すことができずにある現状を、斎藤ごときの言葉で動かせるとは到底思えなかった。
「私が脱走した理由を、訊いたね」
唇を引き結んだ斎藤に、改めて山南がぽつりと言う。
「……はい」
「私はね、今の内に、土方くんに後悔してもらいたかったんだよ。この先に後悔してたんじゃ、もう取り返しがつかないかもしれないからね」
「後悔、ですか」
「さすがにね、自負はしているんだ。近藤さんも、土方くんも、まだ私を仲間だと思ってくれていることを」
改めて頬を緩ませた山南の表情は、本当に、実に、穏やかなものだった。
斎藤は静かに、深く、首肯を返した。
「それは、勿論。おっしゃる通りだと思います」
「ありがとう、そうだよね……うん、そうだよね。でも……そう自負しているからこそ、私じゃないと意味がないとも思ったんだ」
含んだ物言いに軽く首をかしげると、山南は促されるまま頷く。
「私から見れば、土方くんは今、目的のための手段を選ばなさ過ぎている部分がある。例え向かう先が正しかったとしても、道は選ばなければ敵を作るばかりだ。それを口で言って伝わらないなら、行動で伝えるしかない。そうだろう?」
「それは……そう、かもしれませんが、現状を鑑みれば肯定はしづらいです」
「ははは、正直に答えてくれてありがたいよ。ただ、そうだね。もうひとつ付け加えるなら、私が今、隊規をもって腹を切れば……この先起こるかもしれない『何か』のけん制になるかもしれない、とも思っているよ」
ふっと目を伏せて、山南は視線をどこか遠くへ流しやった。
「……いくら引きこもっていても、妙な空気が流れ始めてることは最低限、わかっているつもりだから」
山南はそれ以上のことは言わなかった。ただ、ちらとこちらへ視線を戻し、斎藤が神妙に瞬いたのを見て、その意図を察したことだけは伝わったようだった。
――なるほど、本当に考え抜いた上での行動だったのだろうと、一つひとつを咀嚼していく。
が、とはいえ、まだそれらの理由だけでは納得しきれないのも本音で、斎藤はまたひとつ、溜息を吐いた。
「……山南さんのおっしゃりたい建前は、わかりました」
言えば、山南はわずかに目元に力を込め、それから眉尻を下げた。
そうして開かれかけた口を制するように、斎藤はすぐさま「では藤堂さんはどうするのですか」と、再びその名を突きつける。
「……建前か」
「違いますか。何しろ脱走の理由が本当に今おっしゃったことだけなのだとすれば、あまりにも藤堂さんのことがおざなりになっているように思えましたので」
抑揚なく淡々と、突きつけるように言えば、山南はいよいよ困ったようにあごを引いて膝元に視線を落とした。
が、どうしても……どうしても、言っておかなければならない気がした。聞いておかなければならない気がした。今は江戸にいてまだ何も知らずにいるはずの藤堂が、後に今回のことを知った折、彼自身が納得できるだけの、山南の本音を。
葛を喪い周囲を見失っていた斎藤を、唯一、正しく理解した藤堂だからこそ。山南を「お天道様だ」と言って笑った藤堂だからこそ。藤堂自身の知らぬ間に、その「お天道様」を喪うことに、なったとしたら――……
――当時の斎藤よりも、酷いことにならないだろうか。
その懸念が、今この状況で、斎藤にとって一番腹の底に溜まる澱の正体なのだ。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
連合航空艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年のロンドン海軍軍縮条約を機に海軍内では新時代の軍備についての議論が活発に行われるようになった。その中で生れたのが”航空艦隊主義”だった。この考えは当初、一部の中堅将校や青年将校が唱えていたものだが途中からいわゆる海軍左派である山本五十六や米内光政がこの考えを支持し始めて実現のためにの政治力を駆使し始めた。この航空艦隊主義と言うものは”重巡以上の大型艦を全て空母に改装する”というかなり極端なものだった。それでも1936年の条約失効を持って日本海軍は航空艦隊主義に傾注していくことになる。
デモ版と言っては何ですが、こんなものも書く予定があるんだなぁ程度に思ってい頂けると幸いです。
朝敵、まかり通る
伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖!
時は幕末。
薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。
江戸が焦土と化すまであと十日。
江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。
守るは、清水次郎長の子分たち。
迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。
ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。
『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−
皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。
二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
日本には1942年当時世界最強の機動部隊があった!
明日ハレル
歴史・時代
第2次世界大戦に突入した日本帝国に生き残る道はあったのか?模索して行きたいと思います。
当時6隻の空母を集中使用した南雲機動部隊は航空機300余機を持つ世界最強の戦力でした。
ただ彼らにもレーダーを持たない、空母の直掩機との無線連絡が出来ない、ダメージコントロールが未熟である。制空権の確保という理論が判っていない、空母戦術への理解が無い等多くの問題があります。
空母が誕生して戦術的な物を求めても無理があるでしょう。ただどの様に強力な攻撃部隊を持っていても敵地上空での制空権が確保できなけれな、簡単に言えば攻撃隊を守れなけれな無駄だと言う事です。
空母部隊が対峙した場合敵側の直掩機を強力な戦闘機部隊を攻撃の前の送って一掃する手もあります。
日本のゼロ戦は優秀ですが、悪迄軽戦闘機であり大馬力のPー47やF4U等が出てくれば苦戦は免れません。
この為旧式ですが96式陸攻で使われた金星エンジンをチューンナップし、金星3型エンジン1350馬力に再生させこれを積んだ戦闘機、爆撃機、攻撃機、偵察機を陸海軍共通で戦う。
共通と言う所が大事で国力の小さい日本には試作機も絞って開発すべきで、陸海軍別々に開発する余裕は無いのです。
その他数多くの改良点はありますが、本文で少しづつ紹介して行きましょう。
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる