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◇ 二章四話 太陽の別れ * 元治二年 二月
想いの方向
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「たぶん、本当は帰ったほうがいいんだろうな、とは思ったんだけど……」
斎藤の傍らにまで歩み寄ってきた愁介は、歯切れ悪く言葉にして目を伏せた。
しかし斎藤が黙ったまま、姿勢を整えて愁介を見上げれば、拒否していないことが伝わったのか、愁介はすとんと隣り合うように腰を下ろす。
「……総司が迎えに行ってるんだってね」
「沖田さんと、お約束でもありましたか」
「何もなければ、そうだったんだけどね……」
話を誰から聞いたのか、どこまで知っているのか。斎藤は言葉を返しあぐねて再び庭に目を向けた。
愁介も両膝を抱え、丸まるように顎を乗せて深い溜息を吐く。
「……やっぱり、あの時、どんなに土方さんに怒鳴られたって、部外者だって言われたって……山南さんを、正式に江戸に行かせてあげてって、頼めば良かったかなぁ」
答えを求めるではない、ただ悔いのこもった呟きに斎藤は小さく眉根を寄せた。
横目で再び隣を見やれば、愁介は沈み切った口調とは裏腹の、感情が一切伺えない無表情で庭を真っ直ぐ見据えていた。その姿が逆に痛ましく思え、つられるように斎藤の胸中にまで改めて後悔めいたものが押し寄せてくる。
……例え山南に口止めされていたとて、山南の自傷の件を、藤堂にだけは伝えるべきだったのではないだろうか、と。
もし伝えていたなら、藤堂は恐らく何かに理由をつけて、一目散に江戸へ帰ってきたことだろう。仮にそれができなかったとしても、山南本人に直接、真摯な文を送ってきたのではないだろうか。そうすれば、もしかしたら。今頃、山南が突如いなくなるなんてことは、起こらなかったのではないか。
やはりいくら思っても詮無いことなのに、いらぬ思考が湧き出てくる。
「……あのさあ。実は脱走じゃない、っていうことは、ありえないの?」
愁介が、ぽつりと呟いた。
斎藤は溜息を吐く代わりに一度深呼吸をして、そっと口を開いた。
「先にお伺いしますが、誰から、話をお聞きになりましたか」
「原田さん」
斎藤は頭を抱えるように額を押さえ、今度はためらわず、ふう、と溜息を吐いた。
「原田さんは、永倉さんに頭を叩かれていたでしょうね」
「叩かれてたね。でも申し訳ないけど、聞いちゃったもんはしょうがないよね」
その上で愁介が会津本陣に戻るのではなく、屯所に留まってくれたことはある意味で幸いというべきか。
この件に関して、先行きが何も見えていない現状、斎藤はまだ会津に報告を上げていなかった。上げたところでどうしようもないからだ。
斎藤は額を押さえていた手を下ろすと、軽く愁介のほうへ体を向け直し、改めて抑揚なく答えた。
「脱走以外に考えようがない、というのが現状です」
「実は江戸に行ってもらう予定だった、みたいにできないの?」
「できません。先の予定が決まっていたのです。建前上、今の山南さんは新選組に置いて無役ではありますが、それが単に静養のためであることは周知の事実です。以前より数は減らせど、会議やそれに関する書類のあれそれも、変わらず対応していましたので」
斎藤の回答に、愁介はやはり感情の読めない無表情のままに視線を返してきた。
「……先に予定が詰まっていたところに、局長にも副長にも許可を得ていない『江戸へ帰ります』は最悪の置手紙だった、っていうことか」
「そうなります」
――だからこそ、わかっていて敢えての『江戸へ帰ります』だったのではなかろうか、と斎藤は思うのだが。
「……山南さんが、そんな置手紙をして、それを新選組にどう受け取られるか、わかっておられないはずがないと思います。何より、その置手紙は、山南さんの自室の文机に無造作に置かれていたと聞きました。誰に見られても構わないからこそ、自室に置いて行ったとしか考えられません」
「覚悟の上かぁ……」
落とされた呟きが、かすかに震えて聞こえた。
そこでようやく愁介の表情が、息苦しさに耐えるように歪められる。ともすれば泣きそうにも見えるその表情に、斎藤は無意識に手を伸べかけた。
「……土方さん、今どんな気持ちだろう」
けれど斎藤が手を膝から上げる前に、またぽつりと愁介が言葉を零す。
「あんなにも信頼してた人なのに……総司までいないし……絶対に自分を責めてる」
訴えるでもない、独り言つような呟きだった。
愁介はやり切れなさを抱え込むように顔を伏せ、己の立てた膝の合間に深く重い溜息を吐き出していた。
斎藤は、出しかけた己の手を手持無沙汰にゆるく握り、そっと腰を上げる。
「……しばらくここにいてください」
静かに愁介に声をかけ、斎藤はその場に背を向けた。
斎藤の傍らにまで歩み寄ってきた愁介は、歯切れ悪く言葉にして目を伏せた。
しかし斎藤が黙ったまま、姿勢を整えて愁介を見上げれば、拒否していないことが伝わったのか、愁介はすとんと隣り合うように腰を下ろす。
「……総司が迎えに行ってるんだってね」
「沖田さんと、お約束でもありましたか」
「何もなければ、そうだったんだけどね……」
話を誰から聞いたのか、どこまで知っているのか。斎藤は言葉を返しあぐねて再び庭に目を向けた。
愁介も両膝を抱え、丸まるように顎を乗せて深い溜息を吐く。
「……やっぱり、あの時、どんなに土方さんに怒鳴られたって、部外者だって言われたって……山南さんを、正式に江戸に行かせてあげてって、頼めば良かったかなぁ」
答えを求めるではない、ただ悔いのこもった呟きに斎藤は小さく眉根を寄せた。
横目で再び隣を見やれば、愁介は沈み切った口調とは裏腹の、感情が一切伺えない無表情で庭を真っ直ぐ見据えていた。その姿が逆に痛ましく思え、つられるように斎藤の胸中にまで改めて後悔めいたものが押し寄せてくる。
……例え山南に口止めされていたとて、山南の自傷の件を、藤堂にだけは伝えるべきだったのではないだろうか、と。
もし伝えていたなら、藤堂は恐らく何かに理由をつけて、一目散に江戸へ帰ってきたことだろう。仮にそれができなかったとしても、山南本人に直接、真摯な文を送ってきたのではないだろうか。そうすれば、もしかしたら。今頃、山南が突如いなくなるなんてことは、起こらなかったのではないか。
やはりいくら思っても詮無いことなのに、いらぬ思考が湧き出てくる。
「……あのさあ。実は脱走じゃない、っていうことは、ありえないの?」
愁介が、ぽつりと呟いた。
斎藤は溜息を吐く代わりに一度深呼吸をして、そっと口を開いた。
「先にお伺いしますが、誰から、話をお聞きになりましたか」
「原田さん」
斎藤は頭を抱えるように額を押さえ、今度はためらわず、ふう、と溜息を吐いた。
「原田さんは、永倉さんに頭を叩かれていたでしょうね」
「叩かれてたね。でも申し訳ないけど、聞いちゃったもんはしょうがないよね」
その上で愁介が会津本陣に戻るのではなく、屯所に留まってくれたことはある意味で幸いというべきか。
この件に関して、先行きが何も見えていない現状、斎藤はまだ会津に報告を上げていなかった。上げたところでどうしようもないからだ。
斎藤は額を押さえていた手を下ろすと、軽く愁介のほうへ体を向け直し、改めて抑揚なく答えた。
「脱走以外に考えようがない、というのが現状です」
「実は江戸に行ってもらう予定だった、みたいにできないの?」
「できません。先の予定が決まっていたのです。建前上、今の山南さんは新選組に置いて無役ではありますが、それが単に静養のためであることは周知の事実です。以前より数は減らせど、会議やそれに関する書類のあれそれも、変わらず対応していましたので」
斎藤の回答に、愁介はやはり感情の読めない無表情のままに視線を返してきた。
「……先に予定が詰まっていたところに、局長にも副長にも許可を得ていない『江戸へ帰ります』は最悪の置手紙だった、っていうことか」
「そうなります」
――だからこそ、わかっていて敢えての『江戸へ帰ります』だったのではなかろうか、と斎藤は思うのだが。
「……山南さんが、そんな置手紙をして、それを新選組にどう受け取られるか、わかっておられないはずがないと思います。何より、その置手紙は、山南さんの自室の文机に無造作に置かれていたと聞きました。誰に見られても構わないからこそ、自室に置いて行ったとしか考えられません」
「覚悟の上かぁ……」
落とされた呟きが、かすかに震えて聞こえた。
そこでようやく愁介の表情が、息苦しさに耐えるように歪められる。ともすれば泣きそうにも見えるその表情に、斎藤は無意識に手を伸べかけた。
「……土方さん、今どんな気持ちだろう」
けれど斎藤が手を膝から上げる前に、またぽつりと愁介が言葉を零す。
「あんなにも信頼してた人なのに……総司までいないし……絶対に自分を責めてる」
訴えるでもない、独り言つような呟きだった。
愁介はやり切れなさを抱え込むように顔を伏せ、己の立てた膝の合間に深く重い溜息を吐き出していた。
斎藤は、出しかけた己の手を手持無沙汰にゆるく握り、そっと腰を上げる。
「……しばらくここにいてください」
静かに愁介に声をかけ、斎藤はその場に背を向けた。
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