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◇ 二章四話 太陽の別れ * 元治二年 二月
追っ手
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「馬鹿言うな! あの人に腹ァ切らせる気か!」
原田が間髪容れずまた大きな声を上げたので、永倉までもが「だからうっさい!」と語気を荒らげて原田の頭を叩き払った。それでようやく、再び室内に沈黙が戻る。
「……そもそも何故、脱走など? 確かな話なのですか?」
斎藤は静かに唾を飲み込み、そっと問いかけた。停止しかけていた思考を働かせ、そもそも現状を何も把握できていない事実に目を向ける。
と、それまで隣で黙りこくっていた沖田が、変わらずの無言のまま、斎藤に一通の文を差し出してきた。
広げられたままだったそれに目を落とすと、そこには見覚えのある筆跡で、短い言葉が綴られていた。
――『江戸へ帰ります 山南敬助』
一切の飾り気がない言葉だった。本当に他には何も……江戸へ帰ることに対する理由さえも、書かれていなかった。
帰ります。
その短いひと言が、無性に鋭く感じられた。胸の奥に突き刺さるような何かをこらえるように、斎藤は重い息を吐いた。そのまま、反対隣の原田へと文を回す。
同じように目を通した原田は、まったく納得がいかなさそうに「何でだよ。何なんだよ……!」と、低く抑えた声で、とてつもなく悔しげに言葉を吐き出した。
「お西様へ移転の件じゃねぇか。結局、話を押し通す結果になったからな」
と、土方が半ばやけになったような投げやりな語気で呟いた。しかしすぐさま、永倉がそれはないと首を振る。
「山南さんは、それだけのことで全部投げ出すような人じゃないでしょう。前と違って、今回は話し合いだって重ねた上で決めたことだったんだから。でしょ?」
再び、沈黙が部屋を包む。まるで全員が息を潜めているかのように、誰の呼吸音さえ聞こえず、重く静かな時が続いた。
「……でも、追うんですよね?」
しばらくして不意に、沖田が抑揚のない声を上げた。まるで普段の己のような感情の見えない声音に斎藤が目をすがめた瞬間、「駄目だ、追うなッ」と反対隣から原田が身を乗り出してくる。
「でも、土方さんの言う通り、隊規違反なのは確かですよね」
「それがどうした、仲間ァ殺せってぇのか……!」
「仲間だからだ」
静かに答えた永倉に、原田は目くじらを立ててその胸倉を掴み上げた。言葉すらなく、普段の快活な様子など微塵も感じられない鋭い目で永倉を睨みつける。
しかし永倉は永倉で、臆することなく原田を見据え返し、あくまで静かに言い返した。
「まさかお前、総司が苦しみもせず『追おう』って言ってるとか思ってるわけじゃないよね?」
「そ、りゃ……」
「……山南さんだからって隊規違反を見逃せば。これまで腹を切った奴、斬首になった奴らはどうなる」
永倉はいやに丁寧に、言葉をひとつひとつ、原田に突きつけるように続けた。
「ここで山南さんを見逃せば、示しがつかなくなるんだよ。近藤さん達は結局、身内にだけ甘いんだって、隊士らにナメられることになるんだよ」
「ッ、わかってるさ! わかってるが……でもよぉ、だからって!」
「……私が追いますね」
おもむろに、沖田が立ち上がった。
室内にいた全員が、一斉に沖田を見上げる。
沖田は今になって思い出したような薄い笑みを浮かべて、ただ近藤だけを見据えて小さく言葉を継いだ。
「私なら、万が一抵抗されても負けませんよ」
そうではない、と。そう言うように近藤の口元が動きかけたが、遮るように土方が「総司」と短く口を挟む。
「見つかったら、荒立てず、必ず連れ帰れ」
その言葉に、原田がはっとした様子でようやく永倉から手を離す。永倉も、重いため息を吐く。
沖田は静かに頷いて、一礼してから部屋を出て行った。
原田が間髪容れずまた大きな声を上げたので、永倉までもが「だからうっさい!」と語気を荒らげて原田の頭を叩き払った。それでようやく、再び室内に沈黙が戻る。
「……そもそも何故、脱走など? 確かな話なのですか?」
斎藤は静かに唾を飲み込み、そっと問いかけた。停止しかけていた思考を働かせ、そもそも現状を何も把握できていない事実に目を向ける。
と、それまで隣で黙りこくっていた沖田が、変わらずの無言のまま、斎藤に一通の文を差し出してきた。
広げられたままだったそれに目を落とすと、そこには見覚えのある筆跡で、短い言葉が綴られていた。
――『江戸へ帰ります 山南敬助』
一切の飾り気がない言葉だった。本当に他には何も……江戸へ帰ることに対する理由さえも、書かれていなかった。
帰ります。
その短いひと言が、無性に鋭く感じられた。胸の奥に突き刺さるような何かをこらえるように、斎藤は重い息を吐いた。そのまま、反対隣の原田へと文を回す。
同じように目を通した原田は、まったく納得がいかなさそうに「何でだよ。何なんだよ……!」と、低く抑えた声で、とてつもなく悔しげに言葉を吐き出した。
「お西様へ移転の件じゃねぇか。結局、話を押し通す結果になったからな」
と、土方が半ばやけになったような投げやりな語気で呟いた。しかしすぐさま、永倉がそれはないと首を振る。
「山南さんは、それだけのことで全部投げ出すような人じゃないでしょう。前と違って、今回は話し合いだって重ねた上で決めたことだったんだから。でしょ?」
再び、沈黙が部屋を包む。まるで全員が息を潜めているかのように、誰の呼吸音さえ聞こえず、重く静かな時が続いた。
「……でも、追うんですよね?」
しばらくして不意に、沖田が抑揚のない声を上げた。まるで普段の己のような感情の見えない声音に斎藤が目をすがめた瞬間、「駄目だ、追うなッ」と反対隣から原田が身を乗り出してくる。
「でも、土方さんの言う通り、隊規違反なのは確かですよね」
「それがどうした、仲間ァ殺せってぇのか……!」
「仲間だからだ」
静かに答えた永倉に、原田は目くじらを立ててその胸倉を掴み上げた。言葉すらなく、普段の快活な様子など微塵も感じられない鋭い目で永倉を睨みつける。
しかし永倉は永倉で、臆することなく原田を見据え返し、あくまで静かに言い返した。
「まさかお前、総司が苦しみもせず『追おう』って言ってるとか思ってるわけじゃないよね?」
「そ、りゃ……」
「……山南さんだからって隊規違反を見逃せば。これまで腹を切った奴、斬首になった奴らはどうなる」
永倉はいやに丁寧に、言葉をひとつひとつ、原田に突きつけるように続けた。
「ここで山南さんを見逃せば、示しがつかなくなるんだよ。近藤さん達は結局、身内にだけ甘いんだって、隊士らにナメられることになるんだよ」
「ッ、わかってるさ! わかってるが……でもよぉ、だからって!」
「……私が追いますね」
おもむろに、沖田が立ち上がった。
室内にいた全員が、一斉に沖田を見上げる。
沖田は今になって思い出したような薄い笑みを浮かべて、ただ近藤だけを見据えて小さく言葉を継いだ。
「私なら、万が一抵抗されても負けませんよ」
そうではない、と。そう言うように近藤の口元が動きかけたが、遮るように土方が「総司」と短く口を挟む。
「見つかったら、荒立てず、必ず連れ帰れ」
その言葉に、原田がはっとした様子でようやく永倉から手を離す。永倉も、重いため息を吐く。
沖田は静かに頷いて、一礼してから部屋を出て行った。
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