櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◇ 二章三話 穏(おだ)ひの間 * 元治二年 二月

野次馬と若者

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 会話の輪を外れていたのに、何故そこで名前を出されるのかと横目で見やれば、にんまり目を細めた永倉と視線が重なった。斎藤がていヽヽ良く逃げていたことをわかった上での、「逃がさない」という心の声が聞こえるかのような意地の悪い笑みだった。

「総司はともかく、斎藤って結構むっつりっぽいよな!」

 さらに原田からは一切の悪気なく不名誉な称号を押し付けられて、さすがにぐぐ、と眉間に皺が寄ってしまう。

「……心外です」

 さすがに答えずにはおれず、低く言って拭い終えた刀を鞘に納める。

「そうかぁ?」と原田はやはり何の気なく首をかしげていたが、永倉は小さく噴き出した後、苦笑交じりに眉尻を下げて軽く手をはためかせた。

「んー、むっつりかどうかは置いといてもさ、総司も斎藤も、もし好いた女を見つけても、自分より見合う男がいるだろうとか言って身ぃ引きそうな感じはするよね。あとうっかり横恋慕しそう」

 途端、沖田が飲もうとしていた茶をげふっとむせた。原田が驚いた様子で目を丸くして「おいおい大丈夫か」と沖田の背をさすってやる。

 そんな様子に斎藤が眉をひそめたのと同時に、永倉も「はぁーん?」と小さく呟いて肩眉を上げた。

 沖田が原田に背を撫でられながら落ち着きを取り戻そうとしているのを横目に、永倉がつつつと部屋の隅まで四つ這いになって斎藤に近付いてくる。

「ね。割と勘でモノ言ったけど、実は案外外れてなかった? 総司、もしかして誰かそういう相手いんの? 誰? 俺も会ったことある?」
「知りませんよ……」

 声を潜めつつも、妙に嬉々として問うてくる永倉に、斎藤は溜息交じりに返した。

 が、永倉は相変わらずの猛禽類のような鋭い目で斎藤の顔を覗き込むと、いやに確信めいた言い草で続けた。

「知らなくても思い当たる節はあるでしょ。江戸にいた頃と違ってお前ら結構仲良くなってるの、気付かないとでも思ってた?」
「それは……」
「さあ吐きなさい、ちゃっちゃとお吐き? でないと俺が不眠症になっちゃって隊務に影響出ちゃうよ? そしたら絶対お前のせいだって皆に言いふらしてやるから」

 斎藤が思わず背をのけ反らせても、永倉はむしろ生き生きした様子でさらに身を乗り出してくる。

「……永倉さんがそんな野次馬根性をお持ちだとは思いませんでした」
「そりゃ総司の話となれば別でしょ。巡り巡って近藤さんや土方さんの耳に入ったらひと悶着どころじゃ済まないもんね。これを先に知っとかずして何すんのって話じゃない?」
「斎藤さん、私、お腹空きました!」

 その時、斎藤が口を開くより先に沖田が突然立ち上がった。こちらの会話を知ってか知らいでか、沖田は素早く近付いてきては斎藤の腕を取って力強く引く。

「おい、沖田さん……」

 口を挟みつつも勢いにつられて立ち上がると、沖田はそのまま斎藤の手を引っ張り、永倉達を置いて部屋から出てしまった。

 部屋から離れきってしまう直前、

「なぁ、どうしたんだ、総司の奴?」
「若いって素晴らしいわ。何か可愛らしいやね」

 という原田と永倉の会話がかろうじて耳に届き、斎藤は思わず額を押さえてため息を吐く。そうして、己の腕を引いてずんずん玄関へ向かう沖田の後頭部に揺れるぼんぼり髪を眺めやりながら、「その中に自分も含まないでくれ」と胸の内だけで永倉に反論した。
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