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◇ 二章二話 雪空の意 * 元治二年 二月
悪手の自覚
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「あ……ああ。そうだな……」
近藤はまだ呆気に取られたままの様子で、妙に間の抜けた返事をした。
土方は、それすら己の手の内に巻き取って「なら話は終わりだ」と、浮足立ちかけていた室内の空気に圧をかけ、遮断した。そのまま解散を命じられ、口を挟む余地を失くされれば皆、結局は黙って退室する以外のことができなくなる。
むしろ、大半の隊士らは気づまりのする部屋から逃げるように去って行った。
山南も、何も言わなかった。山南は、しばらく俯いていたかと思えば、傷痕が痛むのか、ぐっと脇腹を押さえ、そのまま静かに部屋を後にした。
後を追いかけようと腰を浮かしかけたところで、斎藤より二歩ほど早く永倉が動いた。山南を追っていく小柄な背中と、それに続く原田の大きな背中を見て、斎藤は逆に動かしかけた腰を改めてその場に下ろした。
――そうして程なく、会議を行なっていた広間の中には、土方と、今回の会議の義録を取っていたらしい監察方の島田、そして沖田と斎藤の、四人のみが残っていた。
「……土方さん。ちょっとあれは山南さんが可哀相でしょう」
去っていく皆の足音がほとんど聞こえなくなったところで、沖田がぼやくように言った。
「沖田さん」島田が焦って制止するように小さく呼ぶが、沖田はただにこりと口角だけを上げて微笑み、島田に首を振り返した。
どうやら島田は、今はまだ土方に触れぬほうがいいと感じているらしい。それを沖田に踏み込まれ、今度は斎藤に助けでも求めるような視線を投げ寄越してきた。
斎藤はわずかに眉根を寄せ、そっと息を吸った。先より肺腑は痛まなかったが、人が減ったことにより、開け放たれたままとなっている障子から吹き込む冬の風は、やはりとても冷たかった。
「……まあ、急いては事を仕損じる、とは言いますね」
吸い込んだ冷たい息を吐き出すのと共に、斎藤はそうひと言だけ口にした。
結果として、島田に助け舟を出すのではなく、沖田に加勢した形になった。途端、島田はその大きな手のひらで自身の目元を覆って、大きな体躯を随分小さく縮めていた。
が、三者がそんな反応をそれぞれ提示したにも関わらず、土方はあぐらをかいた自身の膝の頬杖をついて、だんまりを貫き、そっぽを向いていた。
土方は山南が座っていた場所とは反対の部屋の隅へ視線をやって、深く眉間に皺を寄せたまま、むすっと口を尖らせていた。姿だけを見れば、さながら不貞腐れた子供のようだ。
沖田と斎藤が二人揃ってじっと見つめても、土方は口を開く様子を見せなかった。
「……だんまりも結構ですが、それじゃあ伝わるものも伝わりませんね」
痺れを切らした沖田が、いつになく硬い声で言う。
「土方さん。甘える時と場所を間違えたら、ただの傲慢ですからね」
沖田はぴしゃりと言うと、今度は返事を待つことなく立ち上がり、そのまま隣にいた斎藤の着物をぐいっと乱暴に引っ張った。
「斎藤さん、行きましょう」
「は? おい……」
引っ張るな、と視線で訴え、着崩れるより前に立ち上がれば、沖田は次いでむんずと斎藤の腕をつかんでずんずん歩き出す。
仕方なく溜息をついて沖田の後に従ったが、沖田は廊下の角まで大股で歩いた後、斎藤以上の深い溜息を零しておもむろに足を止めた。
「……あんたが土方さんにあんな風に言うのは、珍しいんじゃないのか」
言いながら、斎藤はそっと掴まれている腕を引いた。
沖田はあっさり手を離すと、先の濡れ縁の庇から覗く空をぼんやりと見上げ、「ですねえ」と頼りなげに呟いた。二月頭の昼下がりの空には、今日も今日とて雪の降りそうな重い鈍色が垂れ込めていた。
いつだって近藤と土方の味方をする。それが沖田のいつもの揺るがない立ち位置だった。これまでだって、周りからいくら土方が鬼だ何だと敬遠されても、沖田だけは裏も表もなく「でも、土方さんだって新選組のことを考えているんですから」と擁護していた。
いや、立ち位置としては、今回もそう大きくは変わらないのかもしれない。会議中、他の誰が呆気に取られたって、沖田だけはあの場で口を挟めただろうと思うからだ。土方の不意打ちなんて物ともせず言いたいことを言えるとすれば、間違いなく沖田はそうであったろうと思うからだ。
だから、今ほどの言葉も、移転の件に反対だからこそ土方に噛み付いた、というわけではないのだろう。ただ――……
「……山南さん」
斎藤が小さく呟くと、沖田は困ったように眉尻を下げて苦笑いを浮かべ、ゆっくり斎藤を振り返った。
「……土方さんに思惑があることは、わかってるんですよ。それが正しいということも、私はいつも通り疑ってません。ただ、だからこそ……」
言って、沖田は歯がゆそうに視線を落とし、自身の拳をきゅっと握り締めた。
「……さっきのは、馬鹿な私でもわかります。もっと、ちゃんと話し合うべきだって。私は別に、熱心な仏教徒でも何でもありませんけど、それでも、今回ばかりはきちんと多くが納得いくように、話し合わなきゃいけないと思うんです」
山南の『正論』を――……間違いなく、他の幾人もの心の中にあった不安と疑問を、しかし先の土方は叩き潰すように一蹴してしまった。それが好手でないことは、現状どちらにも是非を置いていない斎藤にだって理解できる。
「あんなの……矢面に立たされた山南さんが、可哀相です」
斎藤は何も答えられず、押し黙った。
山南と永倉達の去ったほうへ目をやり、またも重い溜息を吐くしかできなかった。
近藤はまだ呆気に取られたままの様子で、妙に間の抜けた返事をした。
土方は、それすら己の手の内に巻き取って「なら話は終わりだ」と、浮足立ちかけていた室内の空気に圧をかけ、遮断した。そのまま解散を命じられ、口を挟む余地を失くされれば皆、結局は黙って退室する以外のことができなくなる。
むしろ、大半の隊士らは気づまりのする部屋から逃げるように去って行った。
山南も、何も言わなかった。山南は、しばらく俯いていたかと思えば、傷痕が痛むのか、ぐっと脇腹を押さえ、そのまま静かに部屋を後にした。
後を追いかけようと腰を浮かしかけたところで、斎藤より二歩ほど早く永倉が動いた。山南を追っていく小柄な背中と、それに続く原田の大きな背中を見て、斎藤は逆に動かしかけた腰を改めてその場に下ろした。
――そうして程なく、会議を行なっていた広間の中には、土方と、今回の会議の義録を取っていたらしい監察方の島田、そして沖田と斎藤の、四人のみが残っていた。
「……土方さん。ちょっとあれは山南さんが可哀相でしょう」
去っていく皆の足音がほとんど聞こえなくなったところで、沖田がぼやくように言った。
「沖田さん」島田が焦って制止するように小さく呼ぶが、沖田はただにこりと口角だけを上げて微笑み、島田に首を振り返した。
どうやら島田は、今はまだ土方に触れぬほうがいいと感じているらしい。それを沖田に踏み込まれ、今度は斎藤に助けでも求めるような視線を投げ寄越してきた。
斎藤はわずかに眉根を寄せ、そっと息を吸った。先より肺腑は痛まなかったが、人が減ったことにより、開け放たれたままとなっている障子から吹き込む冬の風は、やはりとても冷たかった。
「……まあ、急いては事を仕損じる、とは言いますね」
吸い込んだ冷たい息を吐き出すのと共に、斎藤はそうひと言だけ口にした。
結果として、島田に助け舟を出すのではなく、沖田に加勢した形になった。途端、島田はその大きな手のひらで自身の目元を覆って、大きな体躯を随分小さく縮めていた。
が、三者がそんな反応をそれぞれ提示したにも関わらず、土方はあぐらをかいた自身の膝の頬杖をついて、だんまりを貫き、そっぽを向いていた。
土方は山南が座っていた場所とは反対の部屋の隅へ視線をやって、深く眉間に皺を寄せたまま、むすっと口を尖らせていた。姿だけを見れば、さながら不貞腐れた子供のようだ。
沖田と斎藤が二人揃ってじっと見つめても、土方は口を開く様子を見せなかった。
「……だんまりも結構ですが、それじゃあ伝わるものも伝わりませんね」
痺れを切らした沖田が、いつになく硬い声で言う。
「土方さん。甘える時と場所を間違えたら、ただの傲慢ですからね」
沖田はぴしゃりと言うと、今度は返事を待つことなく立ち上がり、そのまま隣にいた斎藤の着物をぐいっと乱暴に引っ張った。
「斎藤さん、行きましょう」
「は? おい……」
引っ張るな、と視線で訴え、着崩れるより前に立ち上がれば、沖田は次いでむんずと斎藤の腕をつかんでずんずん歩き出す。
仕方なく溜息をついて沖田の後に従ったが、沖田は廊下の角まで大股で歩いた後、斎藤以上の深い溜息を零しておもむろに足を止めた。
「……あんたが土方さんにあんな風に言うのは、珍しいんじゃないのか」
言いながら、斎藤はそっと掴まれている腕を引いた。
沖田はあっさり手を離すと、先の濡れ縁の庇から覗く空をぼんやりと見上げ、「ですねえ」と頼りなげに呟いた。二月頭の昼下がりの空には、今日も今日とて雪の降りそうな重い鈍色が垂れ込めていた。
いつだって近藤と土方の味方をする。それが沖田のいつもの揺るがない立ち位置だった。これまでだって、周りからいくら土方が鬼だ何だと敬遠されても、沖田だけは裏も表もなく「でも、土方さんだって新選組のことを考えているんですから」と擁護していた。
いや、立ち位置としては、今回もそう大きくは変わらないのかもしれない。会議中、他の誰が呆気に取られたって、沖田だけはあの場で口を挟めただろうと思うからだ。土方の不意打ちなんて物ともせず言いたいことを言えるとすれば、間違いなく沖田はそうであったろうと思うからだ。
だから、今ほどの言葉も、移転の件に反対だからこそ土方に噛み付いた、というわけではないのだろう。ただ――……
「……山南さん」
斎藤が小さく呟くと、沖田は困ったように眉尻を下げて苦笑いを浮かべ、ゆっくり斎藤を振り返った。
「……土方さんに思惑があることは、わかってるんですよ。それが正しいということも、私はいつも通り疑ってません。ただ、だからこそ……」
言って、沖田は歯がゆそうに視線を落とし、自身の拳をきゅっと握り締めた。
「……さっきのは、馬鹿な私でもわかります。もっと、ちゃんと話し合うべきだって。私は別に、熱心な仏教徒でも何でもありませんけど、それでも、今回ばかりはきちんと多くが納得いくように、話し合わなきゃいけないと思うんです」
山南の『正論』を――……間違いなく、他の幾人もの心の中にあった不安と疑問を、しかし先の土方は叩き潰すように一蹴してしまった。それが好手でないことは、現状どちらにも是非を置いていない斎藤にだって理解できる。
「あんなの……矢面に立たされた山南さんが、可哀相です」
斎藤は何も答えられず、押し黙った。
山南と永倉達の去ったほうへ目をやり、またも重い溜息を吐くしかできなかった。
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