櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
上 下
131 / 159
◇ 二章一話 切望の春 * 元治二年 一月

立場と志

しおりを挟む
「先のお客様方は……いつも、ここが天子様の都であるということさえ、気にかけていない様子で……やはり、思想のある方々とは違うのだろうか、と……」

 嘆くようなとつとつとした言葉に、斎藤と沖田、愁介は自然と顔を見合わせた。

 それはそうだ。そもそも新選組や会津は日々、『思想を持っているからこそ狼藉を働く者達』を取り締まっているのである。むしろ今の都においては、無思想に暴れる相手を見かけるほうが、それはそれで平和なのかもしれないとすら思う。

 今日こんにちにおいてもそうだ。斎藤自身、散歩なんてして、一見正月からのんびりしているようではあるが……かと言って、実際は手放しで油断ができるほどの余裕があるわけでもなかった。

 新選組は正月明けすぐ、土佐勤王党の残党による大坂城乗っ取りを阻止した、などという手柄も立てていたし、昨年末までは幕府による長州征討もおこなわれていた。斎藤自身は当時、都での待機組であったため、諸事の渦中にはいなかったのだが――そんな斎藤でさえ感じるほど、やはり国の情勢は昨年までと変わらず落ち着かないままだ。

 長州征討に関しては結局、幕府と長州は直接の衝突がないままひとまずの和睦がなされたのだが――……聞くところによればその折、長州では内乱が発生し、攘夷派とそれに反する一派で武力衝突が起きていたともいう。

 今でこそ長州側も大人しくなっているが、内乱が起こる程度には長州国内が落ち着いていなかったわけで、いつまた過激派が動き出さないとも限らない。仮に国内が落ち着いたとして、国を抜ける浪士が増えれば、またそういった輩が都へ寄り集まってきて、昨年の池田屋の一件で露呈したような過激行動を目論む可能性も否めない。

 ――そんな諸事を考えれば、先の女の物言いは、随分と無知で平和呆けしたもののように思えた。

 が、同時に、自嘲も浮かんだ。それこそ昨年の今頃の斎藤ならば、置かれた立場に関わらず、今の女と変わらぬほど、あるいはそれ以上に国のあれそれに関心を持てずにいたのだから。それを思えば、斎藤自身、人のことをどうこう言えたものではない。

「……うーん。思想とか、関係ないと思いますよ。思想を持ってても、己の力を持て余して乱暴しちゃうような人も、いらっしゃるわけですし」

 沖田が、少し困ったような、苦みを含んだ笑みで答えた。

「まあ、そもそもオレ達だって、細かく言っちゃえば思想なんてバラバラだもんね」

 次いで愁介も苦笑いをこぼすと、女が驚いたように「えっ」と短い声を上げた。

「皆様、同じ新選組でいらっしゃるのに、ですか?」
「あ。オレは新選組隊士じゃない、ただの二人の友人みたいな感じなんですけど」

 愁介が曖昧に答えれば、女は「左様で……?」と困ったようにうなずいた。かと思えば、そのまま斎藤と沖田のほうへ視線を流してくる。

「同じ隊に属してるからって、全員がまったく同じ考えで動いていたら、それはそれで人間、怖くありません?」

 沖田は小さく身震いするように両手を上げ、おどけて答えた。

 斎藤も否定せず軽く肩をすくめると、女は「なるほど」と妙に納得したような声で独りつ。

「申し訳ありません、出過ぎたことをお訊ね致しました」

 深く頭を下げた女は、話している内にすっかり落ち着きを取り戻したのか、次に顔を上げた時にはそれまでよりしゃっきりと背筋を伸ばしていた。

「改めまして、此度はお助けくださり、まことにありがとう存じます」
「あ。落ち着いたなら、料亭まで送りましょうか?」

 愁介が気遣うように微笑みかける。

 ところが女は眉尻を下げ、ふるりと首を横に振った。

「お心遣い、大変ありがたく存じますが……店のご主人や女将さんに心配をかけたくないので……」
「ああ、一人でも大丈夫なら、気にしないでください。さっきの男達も、あれだけ全力で逃げといて、またすぐに出てくるってこともないだろうし……」
「そうですね。とはいえ、重々お気をつけて」

 愁介と沖田の声掛けに、改めて女は深々と頭を下げる。

「ご恩を伏せてしまう形となり、申し訳ありません。よろしければ是非、皆様で店にお立ち寄りくださいませ。それでは」

 女は丁寧に言って、そのまましっかりした足取りで踵を返していった。

 が、その背を軽く眺めた後、改めて斎藤は沖田、愁介と三人で視線を交わし合ってしまう。

「……お立ち寄りくださいって、店の名前も聞いてないけどね」

 愁介が小首をかしげて苦笑する。

 斎藤は「まあ、聞いたところでわざわざ店まで行くこともないでしょうが」と軽く肩をすくめた。すると沖田も女の背を横目に眺めやりながら、「何だか、不思議な人でしたねえ。色々と」と、さして興味もなさそうに、ただ苦笑して呟く。

 何となく狐にでもつままれたような気分で、斎藤は雪の踏み荒らされた濁った雪道に視線を落とした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...