櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◇ 二章一話 切望の春 * 元治二年 一月

怯えた呟き

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 刀を納め、後ろを振り返る。先まであれほどびくついていた女が、唖然とした表情で、去っていく男どもの背を見つめていた。

「大丈夫ですか? 怪我とかないです?」

 同じく刀を納めた愁介が、女の顔を覗き込むように声をかける。

「あ……ああ、まことにありがとう存じます」

 女は我に返った様子で、ご丁寧に深々と頭を下げた。

「……盗みを働いたということだが、事実ですか?」

 斎藤が横から抑揚のない声で訊ねると、傍らに寄ってきた沖田と愁介が揃って「えっ」と戸惑いの声を上げた。

「狼藉が過ぎると感じた故に、手助けはしましたが。もし先の男らの話が事実であれば、事によっては番所に届け出る必要も――」
「い、いいえ! 違うのです!」

 女は斎藤の淡々とした追及に慌てて首を横に振り、ぐいと逆に詰め寄るように訴えてきた。

「先ほどは恐ろしさのあまり声も出ませんでしたが、彼らの言っていたことは濡れ衣なのです! 確かに私は料亭にて給仕をしておりますが、彼らは時々店に来ていただけのお客様で……買い出しの途中、無体を働かれそうになり、それで……それで、私は、必死で……」

 女は肩を震わせ、言葉を詰まらせた。

 愁介は慌てたようにわたわたと手を泳がせ、「あっ、泣かないでください、もう大丈夫ですから!」と身を縮めた女に手を触れないよう気遣いながら、優しく声をかけ続ける。

 しかし斎藤はつい眉をひそめた。隣を見やれば、沖田もどこか不思議そうに小首をかしげている。

 ――ない、とは言い切れないものだが。無体を働かれそうになったとして、男三人相手によく逃げて来られたものだ、と……少々違和感が残ったのだ。

 沖田が視線に気づき、斎藤と目を合わせてから苦笑交じりに軽く肩をすくめた。

 任せる、ということらしい。

 斎藤はわずかに逡巡した後、溜息を吐いてゆるく首を横に振った。

 深入りしない。面倒だと感じるのもあるが、どんな理由があれ、給仕女の尻を追いかけていた男達に、不逞浪士どもと関わりがあるとも思えない。第一、斎藤が京都守護職の名を口に出した時だって、男達は良くも悪くも一切気に留めることなく、刀を向けてきたのだ。新選組にとっても、会津にとっても、わざわざ相手にする必要がある相手とも思えなかった。

「……また何か問題が起こることあらば、壬生の新選組屯所までお訪ねください」

 それだけ言って、斎藤は話を終わらせた。

 が、ぐすぐすと鼻をすすっていた女は、そこで何故か小さく「新選組……」と呟き、涙に濡れた目を斎藤達に送ってくる。

「……何か?」
「あ、いえ……その……新選組のお噂は、伺っており……皆様が、新選組の方々だったとは思いもよらず」
「ああ、都に住まう方々からすれば、私達の印象って、さっきの狼藉者と変わらないでしょうからねえ」

 沖田は気にした様子もなく軽く笑って答えたが、女はふるふると首を横に振って、神妙に呟いた。

「そんな……皆様は、さぞ、高いおこころざしをお持ちなのでしょうね」
「志?」

 愁介の問い返しに、女は深くうなだれるようにうなずいた。
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