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◆ 一章九話 葛の命 * 元治元年 十月
稀の本音
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「……ああ。何だよ、もう目ぇ覚めてたのか」
掠れ気味の低音で呟いて姿を現したのは、話を聞きつけたらしい土方だった。
顔を覗かせた土方は、斎藤の顔を見るなり呆れたような溜息を吐き、部屋には足を踏み入れずその場に立ち止まって腕を組んだ。
「倒れたってぇから何事かと思えば、ピンピンしてんじゃねぇか」
「もう、土方さん。どうしてそう天邪鬼なんでしょうねえ。素直に心配だったから様子を見に来たって言えばいいのに」
沖田が茶々を入れて半笑いを浮かべれば、土方はフンと鼻を鳴らして沖田の視線を受け流した。柳眉がしかめられ、一見すると不機嫌そうな顔ではあるが、沖田の言葉を否定しないあたり、どうやら本当に心配して様子見に来てくれたらしいことは明らかだった。
「……ご足労おかけしました。大事ありませんので」
寝転んだままだが、それでも斎藤はあごを引くように頭を下げた。
「本当にな」と素っ気ない言葉が返される。相変わらずのしかめっ面のままだ。でも、それなのに斎藤を見る視線は穏やかに感じるのだから、器用な人だなと思う。
――『斎藤お前、ちっと後ろ向きすぎんだよ。そろそろ前を向いたってバチは当たらんだろうよ。でなきゃ人生、損しちまう』
ふと、いつぞや何気なく土方から言われた言葉が脳裏によみがえる。
――『前を向くことこそ生きることなんじゃないかって、教えてくれた人がいてさ』
――『土方さんは、葛さんに会っていたそうです。多摩にいた頃。斎藤さんがまだ、試衛館にいらっしゃる前に』
ただの欠片だった組木細工が、改めてカチカチと音を立てて形を成していく。胸の内で、ぐるぐると熱いものがとぐろを巻く。
この感情が何なのか、言葉に表すことができず、斎藤はわずかに顔をしかめた。
嫉妬心なのか、あるいは別の何かなのか。ただ、すべてがすべて悪感情というふうには感じられなくて、その不明瞭さがまた混乱を招き、さらに混沌としていく。
「……何だよ?」
斎藤があまりにじっと見ていたからか、土方が訝るように片眉を上げた。
「いえ、別に……」
「別にじゃねぇだろ。お前が意味なく物言いたげにすることあるか? 何か言いたいことあるなら言えよ、気色悪ぃな」
「ははっ、気色悪いってよ!」
「左之、今のたぶん笑うとこじゃないわ」
賑やかな横やりが入り、そのまま本当に何もなかったことにしようかと思った。
が、今度は反対に、土方がじっと斎藤を見据えている。目を逸らそうとした斎藤を逃がさないといわんばかりの強い視線だった。
標本にでもなったような心地で顔を背け損ね、斎藤は思わずゆるく眉尻を下げた。
言葉を探すように口を開き、閉じて、それからもう一度薄く開いてから、
「……頭を打ってぼうっとしていますので、世迷言と聞き流してもらって結構なのですが」
「うん?」
「……最近、『生き方』がわからないんです」
「は?」
本当に世迷言だという自覚があった。だからこそ、呆気に取られたように目を丸くした表情を返されて、原田や永倉までもがきょとんと目を瞬かせても、特に気にならなかった。
「土方さんが覚えておられるかは、わかりませんが……夏に、私におっしゃったではないですか。『そろそろ前を向いても罰はあたらないだろう』と」
「ああ? ああー……」
土方にとっては大した話ではなかったと思うが、それでも土方は視線を斜めに上げて思案した後、ふと思い出したようにあごを引く。
「まあ、そうだな。そんなようなことぁ言ったような気はする」
「前を向く方法がわからないんです。私には……俺には、『あの人』しかいなかったものだから、あの人のいない世の中なんて何の興味も、意味も見出せなかったんです。だからその『支え』を失ってからは、何のために自分が息をしているのかさえ、ずっとわからないままで」
ぽつぽつと、取り留めもなく、口から出るまま言葉を重ねる。
やはり実際に頭を打った影響はあるのだろう、言葉の主旨は斎藤自身にも判然としないまま、ただずっと、ずっと、ずっと、胸の内に重く重く抱え込んでいたものの欠片を、ぽろぽろとこぼし、落とす。
普段あまり胸の内を話すことなどない性質だったからか、ある程度の事情を踏まえている沖田だけでなく、さすがの永倉と原田までもが、笑みを潜めていた。特に何も知らない土方を含めた三人の顔には、ありありと困惑の表情が浮かべている。
それでも――……
頭を打って思考がまともではないことを免罪符に、斎藤は片腕で己の目元を覆い、深い溜息と共に吐露した。
「でも、周りは動けと言うんです。さっさと前を見ろと言って……俺一人立ち止まったままでもお構いなしに、周りは予想だにしない方向へ動き移ろっていくんです。理不尽ではないですか。こっちは本当に、歩き方さえ、忘れているのに」
ほとんど吐息のように言い切ると、己の腕で塞いだ視界の先から、沈黙だけが返ってくる。部屋の空気が、随分と重くなってしまったのを感じた。
「……すみません。頭が気持ち悪くて、本当に……世迷言なので」
苦し紛れに付け足すと、今度は「あー……」という土方の曖昧な呻きが返された。
「悪いが、正直言うとお前が何の話をしてるのか、さっぱりわからんわけだが」
「構いません、世迷言なので」
「いや、別に何か愚痴を言いてぇってんならまあ、お前は滅多にそういうことも言わねぇから別にいいんだけどよ。ただ、何つーか……何を怖がってんだ、お前」
掠れ気味の低音で呟いて姿を現したのは、話を聞きつけたらしい土方だった。
顔を覗かせた土方は、斎藤の顔を見るなり呆れたような溜息を吐き、部屋には足を踏み入れずその場に立ち止まって腕を組んだ。
「倒れたってぇから何事かと思えば、ピンピンしてんじゃねぇか」
「もう、土方さん。どうしてそう天邪鬼なんでしょうねえ。素直に心配だったから様子を見に来たって言えばいいのに」
沖田が茶々を入れて半笑いを浮かべれば、土方はフンと鼻を鳴らして沖田の視線を受け流した。柳眉がしかめられ、一見すると不機嫌そうな顔ではあるが、沖田の言葉を否定しないあたり、どうやら本当に心配して様子見に来てくれたらしいことは明らかだった。
「……ご足労おかけしました。大事ありませんので」
寝転んだままだが、それでも斎藤はあごを引くように頭を下げた。
「本当にな」と素っ気ない言葉が返される。相変わらずのしかめっ面のままだ。でも、それなのに斎藤を見る視線は穏やかに感じるのだから、器用な人だなと思う。
――『斎藤お前、ちっと後ろ向きすぎんだよ。そろそろ前を向いたってバチは当たらんだろうよ。でなきゃ人生、損しちまう』
ふと、いつぞや何気なく土方から言われた言葉が脳裏によみがえる。
――『前を向くことこそ生きることなんじゃないかって、教えてくれた人がいてさ』
――『土方さんは、葛さんに会っていたそうです。多摩にいた頃。斎藤さんがまだ、試衛館にいらっしゃる前に』
ただの欠片だった組木細工が、改めてカチカチと音を立てて形を成していく。胸の内で、ぐるぐると熱いものがとぐろを巻く。
この感情が何なのか、言葉に表すことができず、斎藤はわずかに顔をしかめた。
嫉妬心なのか、あるいは別の何かなのか。ただ、すべてがすべて悪感情というふうには感じられなくて、その不明瞭さがまた混乱を招き、さらに混沌としていく。
「……何だよ?」
斎藤があまりにじっと見ていたからか、土方が訝るように片眉を上げた。
「いえ、別に……」
「別にじゃねぇだろ。お前が意味なく物言いたげにすることあるか? 何か言いたいことあるなら言えよ、気色悪ぃな」
「ははっ、気色悪いってよ!」
「左之、今のたぶん笑うとこじゃないわ」
賑やかな横やりが入り、そのまま本当に何もなかったことにしようかと思った。
が、今度は反対に、土方がじっと斎藤を見据えている。目を逸らそうとした斎藤を逃がさないといわんばかりの強い視線だった。
標本にでもなったような心地で顔を背け損ね、斎藤は思わずゆるく眉尻を下げた。
言葉を探すように口を開き、閉じて、それからもう一度薄く開いてから、
「……頭を打ってぼうっとしていますので、世迷言と聞き流してもらって結構なのですが」
「うん?」
「……最近、『生き方』がわからないんです」
「は?」
本当に世迷言だという自覚があった。だからこそ、呆気に取られたように目を丸くした表情を返されて、原田や永倉までもがきょとんと目を瞬かせても、特に気にならなかった。
「土方さんが覚えておられるかは、わかりませんが……夏に、私におっしゃったではないですか。『そろそろ前を向いても罰はあたらないだろう』と」
「ああ? ああー……」
土方にとっては大した話ではなかったと思うが、それでも土方は視線を斜めに上げて思案した後、ふと思い出したようにあごを引く。
「まあ、そうだな。そんなようなことぁ言ったような気はする」
「前を向く方法がわからないんです。私には……俺には、『あの人』しかいなかったものだから、あの人のいない世の中なんて何の興味も、意味も見出せなかったんです。だからその『支え』を失ってからは、何のために自分が息をしているのかさえ、ずっとわからないままで」
ぽつぽつと、取り留めもなく、口から出るまま言葉を重ねる。
やはり実際に頭を打った影響はあるのだろう、言葉の主旨は斎藤自身にも判然としないまま、ただずっと、ずっと、ずっと、胸の内に重く重く抱え込んでいたものの欠片を、ぽろぽろとこぼし、落とす。
普段あまり胸の内を話すことなどない性質だったからか、ある程度の事情を踏まえている沖田だけでなく、さすがの永倉と原田までもが、笑みを潜めていた。特に何も知らない土方を含めた三人の顔には、ありありと困惑の表情が浮かべている。
それでも――……
頭を打って思考がまともではないことを免罪符に、斎藤は片腕で己の目元を覆い、深い溜息と共に吐露した。
「でも、周りは動けと言うんです。さっさと前を見ろと言って……俺一人立ち止まったままでもお構いなしに、周りは予想だにしない方向へ動き移ろっていくんです。理不尽ではないですか。こっちは本当に、歩き方さえ、忘れているのに」
ほとんど吐息のように言い切ると、己の腕で塞いだ視界の先から、沈黙だけが返ってくる。部屋の空気が、随分と重くなってしまったのを感じた。
「……すみません。頭が気持ち悪くて、本当に……世迷言なので」
苦し紛れに付け足すと、今度は「あー……」という土方の曖昧な呻きが返された。
「悪いが、正直言うとお前が何の話をしてるのか、さっぱりわからんわけだが」
「構いません、世迷言なので」
「いや、別に何か愚痴を言いてぇってんならまあ、お前は滅多にそういうことも言わねぇから別にいいんだけどよ。ただ、何つーか……何を怖がってんだ、お前」
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