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◆ 一章八話 紫苑の病 * 元治元年 十月
異なる思惑
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山南がもう一度「土方くん」と静かに呼んで、取りなすように土方の杯に軽く酌をする。
土方はフンと拗ねたような息を吐き、しかし黙ってその酒をちびりと嘗めた。
「……ああ、山南さんのことも、もちろん藤堂くんから色々と伺っておりましたよ」
気を取り直した伊東が、改めて肩を下ろし、落ち着いた視線を土方の隣に流す。
「兄のような存在なのだと、散々自慢されてしまいました。新選組きっての沈着な賢人でいらっしゃるとか」
「とんでもありません、過言ですよ。彼と兄弟のように過ごしたことは、確かですが」
落ち着いて答えながら、山南はわずかな苦笑いに目を細めた。
それもそのはず、今日は幹部陣が集まっての宴会であるが、その中で唯一、藤堂の姿だけがない。近藤と永倉は伊東を伴って帰京したが、ついでの隊士募集も兼ねて、藤堂だけは引き続き江戸に残ることとなったのである。
藤堂本人もきっと帰りたがっただろうが、話を聞いた折には、山南も随分と残念がっていたものだ。
今も同じ思いが湧いたのか、山南は小さな吐息を漏らすと、感傷に引きずられるように「それに」と視線を下げた。
「情けないことに、最近は伏せがちとなっておりますから……今は、組の役に立てているかもどうか」
「おや……それはいけませんね」
謙遜か嘆きか判別のつきづらい山南の言葉に、伊東はそっと眉尻を下げた。
「本日は、お加減はよろしいのですか?」
「え? ああ、もちろんです」
山南は、己の失言にはたとした様子ですぐさま笑みを取り繕った。
「伊東さんの歓迎の宴という大事な日に、欠席するほどではありませんから」
「ふふっ、これは嬉しいことを。ですが、どうぞご無理だけはなされませんよう」
いつでも気兼ねなく退室しても構わない、というように伊東が気遣わしげに頷く。
「ありがとうございます」
答えて、山南はチラと土方を見やった。
が、土方は即座に軽く首を横に振った。さりげなくも明確な、「帰るな」という意思表示だ。あれの相手を自分にさせるな、という土方の縋るような感情が透けて見えていた。
伊東の勧誘に江戸へ向かう前、藤堂と共に『土方と伊東の相性はどうなのか』と話し合ったことを思い出す。結果、合わなさそうだ、と考えた斎藤らの予想に違わず、やはり土方からすると、口が回り妙に癖のある伊東は単純にいけ好かない相手らしい。
が、それに気付いているのか、いないのか。伊東は山南に対し、配慮を重ねるように言葉を続けた。
「もしや先ほどから酒に口を付けておられないのも、お体の具合がよろしくなかったからでしょうか?」
「ああ、いえ……お恥ずかしながら、酒は元から弱い性質でして」
「そうでしたか。少しお顔が赤く見えるのも、そのせい――……あ、いや、熱などはございませんか? 申し訳ありません、気が回らず」
「とんでもありません、熱は特に――」
主賓たる相手にあまり気遣われすぎるのも落ち着かないようで、山南はただただ困ったように微笑んで恐縮に肩をすくめる。
確かにあれは居心地が悪そうだ、と斎藤もつい目をすがめた時、隣からぼそりと、本当に独り言つような低く小さな呟きが聞こえて来た。
「……邪魔だなあ、あの人」
土方以上の、あからさまな忌避の混じった声に、斎藤は驚いて顔を振り向けた。
途端、隣で黙々と酒も飲まず肴と白飯を口に運んでいた沖田が、視線に気付いてへらりと斎藤に笑みを返してくる。
「斎藤さん、どうかしましたか?」
「どうって……あんたな」
声を潜めて言い返しかけた折、不意に上座から「熱があるなら良くないな」と、本気で心配しきった太い声音が割り込んできた。
改めて見やれば、近藤が困ったように眉尻を下げて山南を見ていた。
「山南さん、別室で休むか。それとも、先に帰るのも構わないが」
「いえ、そんな……近藤さん」
山南は慌ててかぶりを振ったが、近藤は人のいい笑みを浮かべると、土方が軽く頭を抱えるように額を押さえているのも気付かず、ゆるりと首を振り返す。
「伊東さんとは、今後いつでも話せるんだ。また体調の良い時に改めて小さな席を設けてもいい」
「そうですよ、山南さん。私のための宴席などで貴殿が体調を悪くさせたなどとあっては、それこそ私が藤堂くんに叱られてしまいますから」
主席と主賓に揃って言われては、それ以上の固辞はさすがにできかねたようで、山南も諦めたようにそっと肩を落とした。
いつもと変わらぬ落ち着いた笑みを浮かべると、「では……申し訳ありません、お言葉に甘えて」と頭を下げる。
斎藤の隣から深々とした溜息が聞こえたと同時に、思いがけず土方からも「斎藤」と、随分苦々しい声で呼びかけられた。
隣から漂ってくる不機嫌な空気を受け流しながら、斎藤は「はい」と抑揚なく土方に視線を返す。
「山南さんを屯所までお送りしてくれ」
「土方くん。さすがに斎藤くんを煩わせる必要はないよ」
山南はやんわり手を振ったが、土方も土方で山南を心配している様子が見て取れ、斎藤はゆっくりと腰を上げた。
「いえ、もう夜更けですし、山南さんお一人をお返しするのも体面上よくありません」
堅苦しく答えつつ、斎藤は山南の傍らまで歩みを寄せると、小声で「私も酒はあまり好まないのです。てい良く逃がしていただけるとありがたい」と密やかに告げる。
さすがに聞こえていたらしい土方が心得た様子で小さく頷き、これには山南も、どこか力を抜いた様子で「そうか」と瞳をなごませる。
「では、お願いしようかな」
「局長、土方副長、伊東先生。お先に失礼します」
斎藤が頭を下げると、上座からは「斎藤くん、よろしく頼む」と力強く返される。
それにあごを引き、斎藤は山南に従って宴会の間を後にした。
去る直前、沖田が先の不機嫌さとは打って変わり、皮肉を交えたような笑みを湛えていたのが気になったが、今は見なかったことにした。
土方はフンと拗ねたような息を吐き、しかし黙ってその酒をちびりと嘗めた。
「……ああ、山南さんのことも、もちろん藤堂くんから色々と伺っておりましたよ」
気を取り直した伊東が、改めて肩を下ろし、落ち着いた視線を土方の隣に流す。
「兄のような存在なのだと、散々自慢されてしまいました。新選組きっての沈着な賢人でいらっしゃるとか」
「とんでもありません、過言ですよ。彼と兄弟のように過ごしたことは、確かですが」
落ち着いて答えながら、山南はわずかな苦笑いに目を細めた。
それもそのはず、今日は幹部陣が集まっての宴会であるが、その中で唯一、藤堂の姿だけがない。近藤と永倉は伊東を伴って帰京したが、ついでの隊士募集も兼ねて、藤堂だけは引き続き江戸に残ることとなったのである。
藤堂本人もきっと帰りたがっただろうが、話を聞いた折には、山南も随分と残念がっていたものだ。
今も同じ思いが湧いたのか、山南は小さな吐息を漏らすと、感傷に引きずられるように「それに」と視線を下げた。
「情けないことに、最近は伏せがちとなっておりますから……今は、組の役に立てているかもどうか」
「おや……それはいけませんね」
謙遜か嘆きか判別のつきづらい山南の言葉に、伊東はそっと眉尻を下げた。
「本日は、お加減はよろしいのですか?」
「え? ああ、もちろんです」
山南は、己の失言にはたとした様子ですぐさま笑みを取り繕った。
「伊東さんの歓迎の宴という大事な日に、欠席するほどではありませんから」
「ふふっ、これは嬉しいことを。ですが、どうぞご無理だけはなされませんよう」
いつでも気兼ねなく退室しても構わない、というように伊東が気遣わしげに頷く。
「ありがとうございます」
答えて、山南はチラと土方を見やった。
が、土方は即座に軽く首を横に振った。さりげなくも明確な、「帰るな」という意思表示だ。あれの相手を自分にさせるな、という土方の縋るような感情が透けて見えていた。
伊東の勧誘に江戸へ向かう前、藤堂と共に『土方と伊東の相性はどうなのか』と話し合ったことを思い出す。結果、合わなさそうだ、と考えた斎藤らの予想に違わず、やはり土方からすると、口が回り妙に癖のある伊東は単純にいけ好かない相手らしい。
が、それに気付いているのか、いないのか。伊東は山南に対し、配慮を重ねるように言葉を続けた。
「もしや先ほどから酒に口を付けておられないのも、お体の具合がよろしくなかったからでしょうか?」
「ああ、いえ……お恥ずかしながら、酒は元から弱い性質でして」
「そうでしたか。少しお顔が赤く見えるのも、そのせい――……あ、いや、熱などはございませんか? 申し訳ありません、気が回らず」
「とんでもありません、熱は特に――」
主賓たる相手にあまり気遣われすぎるのも落ち着かないようで、山南はただただ困ったように微笑んで恐縮に肩をすくめる。
確かにあれは居心地が悪そうだ、と斎藤もつい目をすがめた時、隣からぼそりと、本当に独り言つような低く小さな呟きが聞こえて来た。
「……邪魔だなあ、あの人」
土方以上の、あからさまな忌避の混じった声に、斎藤は驚いて顔を振り向けた。
途端、隣で黙々と酒も飲まず肴と白飯を口に運んでいた沖田が、視線に気付いてへらりと斎藤に笑みを返してくる。
「斎藤さん、どうかしましたか?」
「どうって……あんたな」
声を潜めて言い返しかけた折、不意に上座から「熱があるなら良くないな」と、本気で心配しきった太い声音が割り込んできた。
改めて見やれば、近藤が困ったように眉尻を下げて山南を見ていた。
「山南さん、別室で休むか。それとも、先に帰るのも構わないが」
「いえ、そんな……近藤さん」
山南は慌ててかぶりを振ったが、近藤は人のいい笑みを浮かべると、土方が軽く頭を抱えるように額を押さえているのも気付かず、ゆるりと首を振り返す。
「伊東さんとは、今後いつでも話せるんだ。また体調の良い時に改めて小さな席を設けてもいい」
「そうですよ、山南さん。私のための宴席などで貴殿が体調を悪くさせたなどとあっては、それこそ私が藤堂くんに叱られてしまいますから」
主席と主賓に揃って言われては、それ以上の固辞はさすがにできかねたようで、山南も諦めたようにそっと肩を落とした。
いつもと変わらぬ落ち着いた笑みを浮かべると、「では……申し訳ありません、お言葉に甘えて」と頭を下げる。
斎藤の隣から深々とした溜息が聞こえたと同時に、思いがけず土方からも「斎藤」と、随分苦々しい声で呼びかけられた。
隣から漂ってくる不機嫌な空気を受け流しながら、斎藤は「はい」と抑揚なく土方に視線を返す。
「山南さんを屯所までお送りしてくれ」
「土方くん。さすがに斎藤くんを煩わせる必要はないよ」
山南はやんわり手を振ったが、土方も土方で山南を心配している様子が見て取れ、斎藤はゆっくりと腰を上げた。
「いえ、もう夜更けですし、山南さんお一人をお返しするのも体面上よくありません」
堅苦しく答えつつ、斎藤は山南の傍らまで歩みを寄せると、小声で「私も酒はあまり好まないのです。てい良く逃がしていただけるとありがたい」と密やかに告げる。
さすがに聞こえていたらしい土方が心得た様子で小さく頷き、これには山南も、どこか力を抜いた様子で「そうか」と瞳をなごませる。
「では、お願いしようかな」
「局長、土方副長、伊東先生。お先に失礼します」
斎藤が頭を下げると、上座からは「斎藤くん、よろしく頼む」と力強く返される。
それにあごを引き、斎藤は山南に従って宴会の間を後にした。
去る直前、沖田が先の不機嫌さとは打って変わり、皮肉を交えたような笑みを湛えていたのが気になったが、今は見なかったことにした。
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