櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
上 下
105 / 175
◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月

理解し得ない選択

しおりを挟む
 部屋に入り、斎藤は敷きっぱなしになっていた布団を片し、息を吐いた。

 先に戻ったはずの沖田はいない。そういえばこの後は稽古番だったか、と思い出す。

 斎藤自身は夜勤明けの非番であるので、ここからどう過ごそうかと無作為に視線を開けたままだった障子の向こうへ移す。

 と、不意に静かな気配が近付いてきて、その開け放たれたままの障子の前でぴたりと足を止めた。

「……愁介殿、お帰りになったのではなかったのですか」

 沖田がいなくなってそのまま屯所を出たと思っていただけに、想定外の訪問者だった。

 愁介は「ああ、うん」と曖昧にあごを引くと、随分神妙な顔付きで「少し話していい?」と上目に斎藤を見返す。

「構いませんが……私で話し相手になりますか」
「総司には話せないなあ、と思って一度屯所を出たんだけどさ。それこそ会津本陣に帰ったら、余計に話せる相手がいないなあと思って」

 煮え切らない物言いに斎藤が首を捻れば、愁介は音を立てず部屋に足を踏み入れた。そのまま斎藤の前で足を止め、怒るのとは違う落ち着いた様子で、しかし眉根を寄せた小難しい表情で口を開く。

「オレさ。選べないな、と思ったんだよ」

 脈絡のない切り口に、斎藤は一層深く首をかしげた。

 愁介はただ表情を変えず、視線を逸らすこともせず、言葉を続ける。

「さっき、総司が言ったでしょう。父上か総司か選べって言われたらどうする、って」
「ああ」

 ようやく理解が追いついて相槌を打つ。が、直後に斎藤はつい眉根を寄せて、

「……殿か沖田さんかを、選べない?」

 信じられない、という想いが、つい返した言葉尻から滲み出た。

「愁介殿、それは考えるまでもない話ではないですか?」
「いや、理屈ではわかるよ。一国の主と一介の浪士の一人っていう比べ方をすれば、そりゃ一国の主が優先されるべきで、仕方ないってことはわかってる。ただ、そういう身分だなんだを度外視して、オレ個人で選べって言われたら……選べないな、と思うんだよね」

 オレっておかしいのかな、と愁介は視線を横に流しながら眉間のしわを深くした。

「……名も知らぬ町人と、殿であれば選べますか」
「ああ、まあ、そこまで極端になれば、オレだって父上を選ぶけど」
「愁介殿にとって、然程に沖田さんは大切な立ち位置にあるとおっしゃるのですか」

 父と呼び慕うほどの、一国の主と並ぶほどに。

 愕然と問うてから、ふと、これはこれで、いつぞや土方と話した『愁介の下心』を探る良い機会なのではと、頭の隅で冷静な思考が働く。

 が、愁介はとんでもなく思いがけないことに、

「オレ、お前でも選べないよ」
「は?」
「だから、父上と斎藤でも選べないし、総司と斎藤でも選べないよって」
「正気の沙汰ではないですね」

 つい遠慮の欠片もなく愕然と呟いてしまった。

「そう言うと思ったよ」

 愁介は、相変わらず斎藤の無礼に憤るでもなく、ただ苦笑にまなじりを下げる。

「愁介殿。殿と比較されることも畏れ多すぎてとんでもない話ですが、そもそも私と沖田さんでさえ、比べるべくもない話ではないですか」
「それも言うだろうなと思ったけど、あくまでその辺は斎藤側の視点の話でしょ?」

 まるで斎藤のほうがおかしなことを言ったかのように、愁介は仕方なさそうに肩をすくめて見せる。

 まったく意味がわからず、いっそ頭痛がして、斎藤は指先で己の眉間を押さえた。

「申し訳ありません。真面目に理解が及びませんので直接伺いますが、愁介殿は何のために沖田さんと交流を深め、新選組に立ち入ってくるのですか」
「あー……その辺は個人的な動機だけど、父上から最低限の許可は得てるよ」

 ひくりと、我知らずこめかみが引きつる。

「つまりそれは、私には話せないということですか」
「まあ、そうだね。ただ言えるのは、政治的な意図はまったくないってことだけかな」

 その口ぶりは、良くも悪くも、やはり愁介にとっても何かしらの『下心』は存在していたのだ、という確信をもたらす意味合いが強かった。

 反面、そこで容保かたもりの許可はあるのだと一線を引かれれば、斎藤からはどうあがいても踏み込めなくなってしまい、重い溜息が零れ落ちてしまう。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

梅すだれ

木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。 登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。 時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...