櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月

花の仲裁

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「山南さん、お身体は大丈夫ですか?」

 沖田が驚き半分に問いかけると、体調を崩して私室で休んでいたはずの山南は、寝巻の上に引っかけている薄い羽織を軽く指先で整え、ふわりと目元をほころばせた。

「ありがとう、大丈夫だよ」

 とは答えたが、その山南の顔色は、あまりいいとは言えないようだった。それでもさすがの騒ぎに、出て来ざるを得なくなったらしい。

「申し訳ありません」
「いやいや、斎藤くんの謝ることでもないだろう」

 つい軽く頭を下げた斎藤に、山南は穏やかな相好を崩さず胸の前で手を振る。

「なあ、山南さん。あれ、止めてくれよ」

 原田があっけらかんと言い、土方の部屋の中を指差す。

 が、山南は困ったように眉尻を下げて「うーん」と首を傾けた。

「さすがに私では無理じゃないかなあ」
「でもよ、さっきも言ったけど、いつもならアレって山南さんのやるこったろ?」
「それもだけど、私は松平殿ほど熱くなれないよ」
「山南さんは大人ですからねえ」

 申し訳なさげにかぶりを振る山南に、沖田が助成の言葉を挟む。

 山南は苦笑を深め、不意に気だるげな、わずかに熱っぽい溜息をこぼした。ふと見やれば、痛みでもあるのか、抱えるように腹に回した左手でギリ、と右わき腹を押さえている。

「山南さん――」
「まあでも、収拾はつけないと、このままでは屯所中の隊士が集まってしまうね」

 斎藤が開きかけたところで、山南が先にするりと斎藤らの脇をすり抜け、副長室に踏み込んでいく。

 声をかける間を逸したまま、斎藤は沖田らと共にその背を見送った。

 そうして、未だギャンギャン言い合っている二人の元へ行く――……のかと思いきや。そのまま床の間に足を向けた山南は、簡素な壺に活けられていた花を思いがけず雑な手つきでむんずと掴み、それから改めて二人の元へ歩み寄って、

「そこまでにしようか」

 とても静かな声で言い、山南は二人の頭上から、握り潰した花の残骸をはらはらと散らした。

「……わあ」

 花が降る様だけは美しいが、斎藤の隣で沖田が声を上げる程度には、山南のそれは、本当に『握り潰す』という言葉が相応しいまでの、静かながらも荒々しい手付きだった。

 花の残骸に虚を衝かれ、同時に顔を上げた土方と愁介が、穏やかに微笑んでいる山南を見て瞬時に口をつぐむ。

「土方くん。さすがにこれは、良くないんじゃないかな」

 山南の目線が、チラと斎藤らの後方――渡り廊下の向こう側に集まっている平隊士達に向けられる。

 それを目で追い、ようやく現状を理解したらしい土方が、苦々しく眉根を寄せて自身の額を押さえた。

「松平殿も。かつてのご助力は心より感謝致しておりますが、いくら会津のお方とは申せ、隊内の規律に口を挟まれるのは、ご遠慮願いたいところです」

 二人の言い合いの原因であった、葛山の切腹。山南もこれに反対の立場であったはずだが、それを思わせないほど毅然とした態度と言葉だった。

 丁寧に、しかし明確に一線を引かれ、これには愁介も何も返せなかったようで、気を落ち着けるような深呼吸をひとつ挟む。

「――ご無礼致しました。それがしは失礼致します」

 愁介は普段より堅苦しく礼を取ると、山南と土方に向けて深く頭を下げ、腰を上げた。

 が、とはいえ納得ができたわけではないようで、沖田の傍らにまで来たところで足を止め、かろうじてその場に固まっていた斎藤や原田くらいにまでしか聞こえない小声で、

「総司……どうしよう、腹が立つ」
「うーん、すみません……事これに関しては、私も土方さん派ですので」

 沖田も、声を潜めつつ苦笑いで答える。

「総司、マジに言ってる?」
「大マジですねえ。ご存知の通り、私の中でどうしても譲れない優先順位がありますから」
「でも、そもそも命に優劣なんて」
「ないのは、もちろんわかっていますよ。世間様ではね。それでも……うーん」

 ひそひそと会話を交わしながら、沖田はゆるく首をかしげ、ぼんぼり髪を揺らす。

「例えばですけど。愁介さんだって、私と容保様が全く別方向で死にそうになっていて、自分の命ひとつ捧げることでどちらか片方だけを助けられるとなりましたら、どちらを助けようと思います?」

 静かな謎かけに、原田が「ああ、まあ、そりゃそうだわな」と沖田の言葉に納得した様子であごを引いた。

「特に総司は、そうだよな」

 独り言ちた原田の言葉に、愁介は困ったように眉尻を下げ、ふと、今度は斎藤のほうへ目を向けてくる。

 ……言うまでもなく、そういった意味での『優先順位』は斎藤の中にだって明確にある。

 答えぬままゆったり瞬けば、事情を知る愁介にはそれだけで伝わったようで、普段は気の強い印象を受ける上がり眉が、さらに困ったようにしゅんと下げられた。

 その困惑顔を改めて返された沖田は、「ね」と微笑んで愁介の肩に手を置いた。

「そういうわけですから、あまり土方さんばかり責めてあげないでください。ああ見えて割と打たれ弱いので、あんまり言うと泣いちゃいますし」
「誰が泣くか。馬鹿か」

 思いがけず室内から声が返って来て、「うわ、相変わらずの地獄耳ですねえ」と沖田が首をすくめ、愁介の肩を押して歩き出す。

「愁介さん、撤退しましょう」

 沖田がいそいそと去るのに合わせ、原田もやれやれようやくかと頭の後ろで手を組んで共に離れを後にする。

「さあさあ、皆さんも、お騒がせしました」

 やわらかく、しかし有無を言わせぬ押しの強さで、沖田は母屋側にたむろしていた野次馬達も、ついでとばかりに解散させていく。騒がしさの原因の片割れであった愁介が去れば、後に残るのは鬼の副長ばかりとあって、隊士達もぞろぞろと大人しく自室へ戻っていったようだった。

 斎藤は小さく息を吐き、己も去ろうと足を引いた。

 その直前、ふと最後にもう一度だけ室内に目を向ければ、立ったままの山南と座ったままの土方が、互いに視線を交わし合ったところだった。

 かと思えば、土方がばつ悪そうに視線を逸らし、その様子に山南もどこか悩ましげに目を伏せる。

「……手間ァ、かけさせて悪かったな」
「まあ、程ほどにね」

 そんなささやかな会話を耳の端で拾いながら、斎藤も離れを後にした。

 程なく山南も土方の副長室を後にし、出てきた気配を背に感じたが、声をかけるのは余計なことのように思えて、何も言わずに各々自室へ戻ることとなった。
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