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◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
納得の下心
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頭を抱える沖田のぼんぼり髪が、のたうつように揺れるのを眺めながら、斎藤は何とも複雑な想いを口の中で転がした。
実を言えば、沖田の答えは想定外ではあったが――……呆れは、湧かなかった。それこそ幼子の頃の話ではあるが、沖田の苦悶は、斎藤自身にも身に覚えがあるものだったからだ。
唯一対等と思える相手が、いた頃の話。
会津にいた頃、葛の元に、教育の一環として同年代のおなごであるお貞が来ていた時。斎藤はまさに、今の沖田とまったく同じ気持ちを抱えていた。
男として育てられていたとは言え、葛にとって、おなごとの交流は重要でもあり、必要なことでもあった。それは重々、斎藤自身、理解していた。
が、お貞が来る時は大抵大人が一緒で、『正式な会津の子』ではない隠密の家の出である斎藤は、ほとんど別室で控えていなければならなかった。大人がお貞一人を置いて出て行った時には、こっそり三人で共に遊んだりもしたが――それでも『葛にとって唯一』が誇りであった当事、嬉しそうに楽しそうにお貞と話す葛を見ては、密かにお貞に嫉妬したものだ。
それこそ馬鹿馬鹿しく思うほど、良くも悪くも、斎藤自身が純粋だった頃の話である。
「……沖田さんは、穢れがないんだな」
独り言つように、思ったままを吐露する。
何しろ沖田はいつ何時でも、近藤に楯突く者は誰であれ躊躇なく斬ると言う。何があっても、近藤と土方について行けると豪語する。そして、ただ真っ直ぐに、親友を独占したいのだと望む。本当にすべて、良くも悪くも純粋でなければできないことばかりだ。
羨ましいとまで思うわけでもないが――ただ無心に、眩しい人だなと感じられた。
「斎藤さん、呆れましたよね」
「そうでもない」
恐る恐るといった問いかけにはっきり答えれば、沖田が驚き半分に目を瞬かせて顔を上げた。
「沖田さんは元々、近藤局長や土方さんも含めて、目上の人間ばかりに囲まれて育ってきたんだろう。俺や藤堂さんとはそこまで気が合う質でもなかったし、対等な相手が初めてだというのも納得がいく」
言葉通り、先日土方とも話した『沖田の下心』が理解できて、むしろ斎藤はすっきりした心持ちだった。覚えのある感情だっただけに、下手な言い訳をこねくり回されるより余程信用できる。これを土方がどう思うのかは、別として。
ただし、であればこそ――やはり愁介は別だ、と改めて身構える気持ちも湧いた。
似ているところもあるが、それでも愁介は沖田とは違う。あれほど奔放に振る舞いながらも、他者の懐に入るのが上手い質なのだ。人の機微を読むのに長け、それでも人に合わせるのではなく周りを己に巻き込むあの性格で、過去、沖田のような友と呼べる相手が一度もいなかったとは考えづらい。沖田ほど純粋に、己の立場を度外視してさえ、沖田を独占したくて傍らにいるのだとは、とてもではないが思えない。
「斎藤さんって、寛容ですよねえ」
感心なのか何なのか、沖田がふと呟く。
斎藤は思わず顔をしかめ、
「初めて言われたな。気のせいだろう」
「何でですか。言っておきますけど私、愁介さんとは別の形で斎藤さんのことも好きなんですよ」
沖田はさも心外だといわんばかりの膨れ面を見せる。
「俺が、じゃなくて、俺との稽古が、じゃないのか」
「そこは否定できませんけど!」
ようやく感情の波も落ち着いて来たのか、沖田は普段通りの毒のない笑みに目を細めた。
「でも、とにかく。斎藤さん、ありがとうございます。否定せずにいてくださるのは嬉しいです」
やわらかくはにかまれ、その言葉にやはり複雑な想いが湧いて「別に」と言葉を濁す。
斎藤はふいと目を逸らし、促すように壬生のほうへ足を向けた。
「屯所へ戻ろう。話が一段落してやり切ったような顔をしているが、沖田さん。俺達が河上を逃がしたことに変わりはないから、これから土方さんの説教が待ってる」
「あわ……そうでした。ちょっと忘れてました」
沖田が嘆くように眉尻を下げる。
薄くわずかな笑みを返すと、歩き出しざま、沖田がコホ、と小さな咳をした。喉が乾燥しているかのような、乾いた咳だ。
「何だ……また風邪か」
笑みも引っ込んでつい眉根を寄せると、沖田もむすっと拗ねた顔をして「違います、引きかけなだけです」と意地の張ったことを言った。
「結局風邪なんじゃないか。悪化する前に治してくれ、また土方さんがうるさくなる」
「もう、過保護なんだからなあ!」
額を押さえた沖田に並び、斎藤も歩き出す。
河上の一件は思うところもあるし、何とも間の抜けた帰還になったが、不思議と気負いや後悔より、穏やかに凪いだ想いが胸に揺蕩っていた。
実を言えば、沖田の答えは想定外ではあったが――……呆れは、湧かなかった。それこそ幼子の頃の話ではあるが、沖田の苦悶は、斎藤自身にも身に覚えがあるものだったからだ。
唯一対等と思える相手が、いた頃の話。
会津にいた頃、葛の元に、教育の一環として同年代のおなごであるお貞が来ていた時。斎藤はまさに、今の沖田とまったく同じ気持ちを抱えていた。
男として育てられていたとは言え、葛にとって、おなごとの交流は重要でもあり、必要なことでもあった。それは重々、斎藤自身、理解していた。
が、お貞が来る時は大抵大人が一緒で、『正式な会津の子』ではない隠密の家の出である斎藤は、ほとんど別室で控えていなければならなかった。大人がお貞一人を置いて出て行った時には、こっそり三人で共に遊んだりもしたが――それでも『葛にとって唯一』が誇りであった当事、嬉しそうに楽しそうにお貞と話す葛を見ては、密かにお貞に嫉妬したものだ。
それこそ馬鹿馬鹿しく思うほど、良くも悪くも、斎藤自身が純粋だった頃の話である。
「……沖田さんは、穢れがないんだな」
独り言つように、思ったままを吐露する。
何しろ沖田はいつ何時でも、近藤に楯突く者は誰であれ躊躇なく斬ると言う。何があっても、近藤と土方について行けると豪語する。そして、ただ真っ直ぐに、親友を独占したいのだと望む。本当にすべて、良くも悪くも純粋でなければできないことばかりだ。
羨ましいとまで思うわけでもないが――ただ無心に、眩しい人だなと感じられた。
「斎藤さん、呆れましたよね」
「そうでもない」
恐る恐るといった問いかけにはっきり答えれば、沖田が驚き半分に目を瞬かせて顔を上げた。
「沖田さんは元々、近藤局長や土方さんも含めて、目上の人間ばかりに囲まれて育ってきたんだろう。俺や藤堂さんとはそこまで気が合う質でもなかったし、対等な相手が初めてだというのも納得がいく」
言葉通り、先日土方とも話した『沖田の下心』が理解できて、むしろ斎藤はすっきりした心持ちだった。覚えのある感情だっただけに、下手な言い訳をこねくり回されるより余程信用できる。これを土方がどう思うのかは、別として。
ただし、であればこそ――やはり愁介は別だ、と改めて身構える気持ちも湧いた。
似ているところもあるが、それでも愁介は沖田とは違う。あれほど奔放に振る舞いながらも、他者の懐に入るのが上手い質なのだ。人の機微を読むのに長け、それでも人に合わせるのではなく周りを己に巻き込むあの性格で、過去、沖田のような友と呼べる相手が一度もいなかったとは考えづらい。沖田ほど純粋に、己の立場を度外視してさえ、沖田を独占したくて傍らにいるのだとは、とてもではないが思えない。
「斎藤さんって、寛容ですよねえ」
感心なのか何なのか、沖田がふと呟く。
斎藤は思わず顔をしかめ、
「初めて言われたな。気のせいだろう」
「何でですか。言っておきますけど私、愁介さんとは別の形で斎藤さんのことも好きなんですよ」
沖田はさも心外だといわんばかりの膨れ面を見せる。
「俺が、じゃなくて、俺との稽古が、じゃないのか」
「そこは否定できませんけど!」
ようやく感情の波も落ち着いて来たのか、沖田は普段通りの毒のない笑みに目を細めた。
「でも、とにかく。斎藤さん、ありがとうございます。否定せずにいてくださるのは嬉しいです」
やわらかくはにかまれ、その言葉にやはり複雑な想いが湧いて「別に」と言葉を濁す。
斎藤はふいと目を逸らし、促すように壬生のほうへ足を向けた。
「屯所へ戻ろう。話が一段落してやり切ったような顔をしているが、沖田さん。俺達が河上を逃がしたことに変わりはないから、これから土方さんの説教が待ってる」
「あわ……そうでした。ちょっと忘れてました」
沖田が嘆くように眉尻を下げる。
薄くわずかな笑みを返すと、歩き出しざま、沖田がコホ、と小さな咳をした。喉が乾燥しているかのような、乾いた咳だ。
「何だ……また風邪か」
笑みも引っ込んでつい眉根を寄せると、沖田もむすっと拗ねた顔をして「違います、引きかけなだけです」と意地の張ったことを言った。
「結局風邪なんじゃないか。悪化する前に治してくれ、また土方さんがうるさくなる」
「もう、過保護なんだからなあ!」
額を押さえた沖田に並び、斎藤も歩き出す。
河上の一件は思うところもあるし、何とも間の抜けた帰還になったが、不思議と気負いや後悔より、穏やかに凪いだ想いが胸に揺蕩っていた。
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