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◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
人を斬りやすい場所
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祇園感神院(八坂神社)は、古くは足利将軍家から始まり、豊臣秀吉やら徳川将軍家やら、代々の権力者からの信仰が篤い社だという。大晦日や正月でなくともいつも参拝者がいて、しかし広大な境内を有しているため、ひと気はまばらだ。
ゆえに祭事のない時ならば己の身を誤魔化すのに丁度良い場所、と斎藤は捉えていた。容保をはじめ、会津方へ報告に向かう際は、大体この境内を抜ける時を見計らって笠を脱ぎ着する。参拝のため、あるいは参拝から帰るための所作であると容易に他者を欺ける。
また、境内は広いのだが、年輪を重ねた木々に囲われた中、本殿のみならず摂社や薬師堂、鐘楼などもあり、人の目を遮る場所も多い。そして境内の中には程ほどに人もいるが、東大路通や四条に面した西楼門と、石鳥居のある南楼門を除けば、北や東北門からの出入りは少なく、一歩出ればひと気も格段に減る。そういう意味でも臨機応変に動きやすく――……
つまり、追っ手や尾行を気にする人間には、それなりに都合の良い場所。罰当たりかもしれないが、祇園社に対する斎藤の認識は、そんなものだった。
だからこそ。
「あー、これはいてもまったくおかしくなさそうな感じ」
境内に足を踏み入れてすぐ、愁介が斎藤の隣に並びながら言った。
「ですねえ」
愁介の反対隣に並んだ沖田も、頬を指の腹で撫でながらうなずく。
斎藤はゆるく首をかしげ、二人に視線を返した。
「お二人とも、祇園社は初めてなのですか」
「うん。何か、用もないのにわざわざ通るところでもないかなって」
「私は、まあ……京に着たばかりの頃、巡察で一、二度通ったことがある、くらいですかね。壬生浪士がーって社僧の方々に忌避されたので、以降は必要がなければ、という感じです。斎藤さんは違うんですか?」
「……散歩がてら、時折」
答えると、愁介はすぐに察した様子で「ああ、まあ、息抜きにも良さそうな雰囲気だね」とあごを引く。
沖田はただ愁介に同意を示し、「確かに子供もいませんし、壬生寺と違って厳かで静かですね」と、斎藤の好みを加味したような納得の声を上げた。
「広そうだし、三手に分かれる?」
愁介が、きょろきょろと周囲を見回しながら提案する。
効率を考えればうなずきたいところだが、斎藤は「ああ……いえ」とゆるく首を振って答えた。
「さすがに、色んな意味で愁介殿をお一人には致しかねるので――」
「じゃあ、愁介さんは私と一緒に行きましょう!」
斎藤の言葉を喰いながら、沖田が意気揚々と愁介の手を取って歩き出した。
「お? よっし、じゃあ斎藤、後はよろしくー!」と愁介も肩越しに手を振って、そのまま沖田についていく。
斎藤は思わず半端に口を開けたまま、軽い足取りの二人を見送る形になった。別に組み分けに不満があるわけでもないが、飲み屋の前でのやり取りの延長線上と考えれば、
「……沖田さん、わざと引き離したな」
つい、独り言も零れ出ようというものである。
仕方なく息を吐き、斎藤は踵を返してたった今くぐったばかりの西楼門をくぐり、東大路通と四条に面した境内の外へ出た。そのまま外周を辿るように北門の方角へ向かう。境内の中は二人に任せ、周囲を見て回ろうと考えたのだ。
賑わいの届く東大路通に背を向け北門に回り込むと、やはり途端に周囲から人の気配が減って人々の声も遠くなる。道幅は広々としたものだが、ぽつぽつ儲かっているのかどうかもよくわからない茶屋があるだけで、風が木々を揺らす葉擦れの音だけが己の足音より大きく響くくらい閑静だった。
ああ、なるほど、と改めて思う。
すぐ近くに賑わう場所があれば、人混みの中に己の姿を紛れ込ませて逃げやすい。かと言って、事を起こす際には早々人が駆け付けられるほど賑わいに近い場所でもない、というひっそりとした空気。
「……これは人を斬りやすい」
「そうだろう」
斎藤の呟いた言葉に、妙に甲高い、しかし女というには野太い声が後ろからかけられた。
ゆえに祭事のない時ならば己の身を誤魔化すのに丁度良い場所、と斎藤は捉えていた。容保をはじめ、会津方へ報告に向かう際は、大体この境内を抜ける時を見計らって笠を脱ぎ着する。参拝のため、あるいは参拝から帰るための所作であると容易に他者を欺ける。
また、境内は広いのだが、年輪を重ねた木々に囲われた中、本殿のみならず摂社や薬師堂、鐘楼などもあり、人の目を遮る場所も多い。そして境内の中には程ほどに人もいるが、東大路通や四条に面した西楼門と、石鳥居のある南楼門を除けば、北や東北門からの出入りは少なく、一歩出ればひと気も格段に減る。そういう意味でも臨機応変に動きやすく――……
つまり、追っ手や尾行を気にする人間には、それなりに都合の良い場所。罰当たりかもしれないが、祇園社に対する斎藤の認識は、そんなものだった。
だからこそ。
「あー、これはいてもまったくおかしくなさそうな感じ」
境内に足を踏み入れてすぐ、愁介が斎藤の隣に並びながら言った。
「ですねえ」
愁介の反対隣に並んだ沖田も、頬を指の腹で撫でながらうなずく。
斎藤はゆるく首をかしげ、二人に視線を返した。
「お二人とも、祇園社は初めてなのですか」
「うん。何か、用もないのにわざわざ通るところでもないかなって」
「私は、まあ……京に着たばかりの頃、巡察で一、二度通ったことがある、くらいですかね。壬生浪士がーって社僧の方々に忌避されたので、以降は必要がなければ、という感じです。斎藤さんは違うんですか?」
「……散歩がてら、時折」
答えると、愁介はすぐに察した様子で「ああ、まあ、息抜きにも良さそうな雰囲気だね」とあごを引く。
沖田はただ愁介に同意を示し、「確かに子供もいませんし、壬生寺と違って厳かで静かですね」と、斎藤の好みを加味したような納得の声を上げた。
「広そうだし、三手に分かれる?」
愁介が、きょろきょろと周囲を見回しながら提案する。
効率を考えればうなずきたいところだが、斎藤は「ああ……いえ」とゆるく首を振って答えた。
「さすがに、色んな意味で愁介殿をお一人には致しかねるので――」
「じゃあ、愁介さんは私と一緒に行きましょう!」
斎藤の言葉を喰いながら、沖田が意気揚々と愁介の手を取って歩き出した。
「お? よっし、じゃあ斎藤、後はよろしくー!」と愁介も肩越しに手を振って、そのまま沖田についていく。
斎藤は思わず半端に口を開けたまま、軽い足取りの二人を見送る形になった。別に組み分けに不満があるわけでもないが、飲み屋の前でのやり取りの延長線上と考えれば、
「……沖田さん、わざと引き離したな」
つい、独り言も零れ出ようというものである。
仕方なく息を吐き、斎藤は踵を返してたった今くぐったばかりの西楼門をくぐり、東大路通と四条に面した境内の外へ出た。そのまま外周を辿るように北門の方角へ向かう。境内の中は二人に任せ、周囲を見て回ろうと考えたのだ。
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