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◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
土方の青い時代
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「まあ、お前が試衛館に来る前の話だったからな。相手ももう死んでやがるし」
「はあ……」
遅れて思考も働き始め、なるほど出会う前ならそういうこともあり得たのか、と納得する。加えて――同じ故人とは言え、土方と婚約を結ぶような相手なら、それは葛ではないな、というところにも考えが至る。
土方は、今でこそ武士以上に武士足るべしと研鑽し落ち着いているが、斎藤が試衛館に厄介になり始めた頃は、まだ今ほど『武士』が板についていなかった。試衛館の食客として腹は据わっていたが、あの頃はまだ侍としての生き方や行動がどうこうというより、良くも悪くも百姓倅の商売人という気質が抜けていなかったのだ。世情が、国勢がどうという話よりも、季節季節の田畑の実りがどうとか、市井の需要がどうとか商売相手の顔色がどうとか……のほうが、流暢に話すくらいには。
試衛館で過ごす上では当然、それをどうこう言う者など誰一人としていなかったし、今となってはそんな過去も悪くない形で新選組の運営に活かされている。が、それはそれ。葛が絡むとなれば、さすがに話は別だった。
葛自身も身分を気にするような人間ではなかったが、それでも彼女は、どうあがいたって会津松平家の嫡子だった。幼かろうとも己の身の程を理解していたし、せざるを得ない立場だった。口約束であったとしても、百姓の出である土方と婚約など結べるはずもないし、彼女なら、そんな無責任な約束は交わさなかっただろう。
土方の言う『愁介に似ていた女』が、もし葛なら……なんてことも考えかけたが、さすがに飛躍しすぎたようだ――。
そう結論付けると、自然と肩から力が抜けていく。それがどういう感情によるものなのかは、よくわからなかった。
とりあえずひと息ついてから、斎藤は改めて問いを重ねた。
「その女性と愁介殿は……そんなに、似ているのですか」
「顔だけな」
土方は、またぞろ気味悪そうに鼻の頭にしわを寄せ、吐き捨てた。
「あいつは愁介と違って小柄だったし、仮に生きてたとしたって、あんなバカでかくなれるはずもねぇ。わかってんだ、あいつなわけねぇって。ただ……」
ひと呼吸を置いて、切れ長の目が伏せられる。土方の長いまつ毛が、頬にかすかな影を落とす。
「……顔の造りが同類っつーか、ほぼ同じっつーか。とにかく、どうしたって思い出す。別に昔の女なんざ引きずってるわけでもねぇが、単純に気色悪ィだろ、亡霊を目の前に据え置かれてるみたいでよ」
実に不本意そうに、ぼそぼそと言い募られた。
そういうことならば確かに、と同情の余地があって、斎藤はゆるくあごを引いた。何より、「違うと理解しているのに、どうにも重ねてしまう」という点においては、同情を通り越して理解できてしまうのだから、妙に気まずいような気持ちすら湧く。
どう返すべきか、少しばかり迷って――……
「……土方さんにも、そんな青い時代があったんですね」
「お前がこれまで俺をどう見てたのか、よぉーくわかったよ」
心底心外そうに呻かれたが、敢えて当たり障りなく感心することで、斎藤はこの話題を出してしまったことへの気まずさを誤魔化した。
「容赦してください。それこそ出会う前の話なら、仕方がないではないですか」
「よく言うぜ。俺が生まれて間もないガキの頃から、女ァ転がしてたとでも思ってんのか」
そんなわけねぇだろ、と棘のある物言いで返されたが、実際それもありそうだと思えてしまうのだから、どうしようもない。
つつ、と視線を泳がせれば、「お前な……」と今日一番の呆れた声を投げられる。
土方はふてくされた様子で背を丸め、あぐらをかいた膝に頬杖をついて半眼を寄越した。
「普段滅多に表に出さないくせに、こんな時だけあからさまな顔してんじゃねぇよ」
「ですが、もし永倉さんや藤堂さんがその許嫁のことをご存知なければ、似たような反応になると思いますよ」
「そん……――」
そんなはずはない、と言いたかったのだろう。しかし、結果としては否定しきれなかったらしい。今度は土方のほうが視線を泳がせて、口をつぐんだ。斎藤からすれば至極真面目な所感だったため、さもあろう。
不服そうに黙りこくってしまった土方にささやかな苦笑を返し、斎藤は「すみません」と改めて謝罪した。
「意図せずでしたが、結果として随分と踏み込んだことを伺ってしまいました」
「いや、まあ、それは別にいいんだが……斎藤」
土方は前傾していた姿勢を正し、ふと真っ直ぐに斎藤を見据えた。
「こっちも改めて訊いておきてぇんだが、お前、愁介をどう見てるんだ」
「はあ……」
遅れて思考も働き始め、なるほど出会う前ならそういうこともあり得たのか、と納得する。加えて――同じ故人とは言え、土方と婚約を結ぶような相手なら、それは葛ではないな、というところにも考えが至る。
土方は、今でこそ武士以上に武士足るべしと研鑽し落ち着いているが、斎藤が試衛館に厄介になり始めた頃は、まだ今ほど『武士』が板についていなかった。試衛館の食客として腹は据わっていたが、あの頃はまだ侍としての生き方や行動がどうこうというより、良くも悪くも百姓倅の商売人という気質が抜けていなかったのだ。世情が、国勢がどうという話よりも、季節季節の田畑の実りがどうとか、市井の需要がどうとか商売相手の顔色がどうとか……のほうが、流暢に話すくらいには。
試衛館で過ごす上では当然、それをどうこう言う者など誰一人としていなかったし、今となってはそんな過去も悪くない形で新選組の運営に活かされている。が、それはそれ。葛が絡むとなれば、さすがに話は別だった。
葛自身も身分を気にするような人間ではなかったが、それでも彼女は、どうあがいたって会津松平家の嫡子だった。幼かろうとも己の身の程を理解していたし、せざるを得ない立場だった。口約束であったとしても、百姓の出である土方と婚約など結べるはずもないし、彼女なら、そんな無責任な約束は交わさなかっただろう。
土方の言う『愁介に似ていた女』が、もし葛なら……なんてことも考えかけたが、さすがに飛躍しすぎたようだ――。
そう結論付けると、自然と肩から力が抜けていく。それがどういう感情によるものなのかは、よくわからなかった。
とりあえずひと息ついてから、斎藤は改めて問いを重ねた。
「その女性と愁介殿は……そんなに、似ているのですか」
「顔だけな」
土方は、またぞろ気味悪そうに鼻の頭にしわを寄せ、吐き捨てた。
「あいつは愁介と違って小柄だったし、仮に生きてたとしたって、あんなバカでかくなれるはずもねぇ。わかってんだ、あいつなわけねぇって。ただ……」
ひと呼吸を置いて、切れ長の目が伏せられる。土方の長いまつ毛が、頬にかすかな影を落とす。
「……顔の造りが同類っつーか、ほぼ同じっつーか。とにかく、どうしたって思い出す。別に昔の女なんざ引きずってるわけでもねぇが、単純に気色悪ィだろ、亡霊を目の前に据え置かれてるみたいでよ」
実に不本意そうに、ぼそぼそと言い募られた。
そういうことならば確かに、と同情の余地があって、斎藤はゆるくあごを引いた。何より、「違うと理解しているのに、どうにも重ねてしまう」という点においては、同情を通り越して理解できてしまうのだから、妙に気まずいような気持ちすら湧く。
どう返すべきか、少しばかり迷って――……
「……土方さんにも、そんな青い時代があったんですね」
「お前がこれまで俺をどう見てたのか、よぉーくわかったよ」
心底心外そうに呻かれたが、敢えて当たり障りなく感心することで、斎藤はこの話題を出してしまったことへの気まずさを誤魔化した。
「容赦してください。それこそ出会う前の話なら、仕方がないではないですか」
「よく言うぜ。俺が生まれて間もないガキの頃から、女ァ転がしてたとでも思ってんのか」
そんなわけねぇだろ、と棘のある物言いで返されたが、実際それもありそうだと思えてしまうのだから、どうしようもない。
つつ、と視線を泳がせれば、「お前な……」と今日一番の呆れた声を投げられる。
土方はふてくされた様子で背を丸め、あぐらをかいた膝に頬杖をついて半眼を寄越した。
「普段滅多に表に出さないくせに、こんな時だけあからさまな顔してんじゃねぇよ」
「ですが、もし永倉さんや藤堂さんがその許嫁のことをご存知なければ、似たような反応になると思いますよ」
「そん……――」
そんなはずはない、と言いたかったのだろう。しかし、結果としては否定しきれなかったらしい。今度は土方のほうが視線を泳がせて、口をつぐんだ。斎藤からすれば至極真面目な所感だったため、さもあろう。
不服そうに黙りこくってしまった土方にささやかな苦笑を返し、斎藤は「すみません」と改めて謝罪した。
「意図せずでしたが、結果として随分と踏み込んだことを伺ってしまいました」
「いや、まあ、それは別にいいんだが……斎藤」
土方は前傾していた姿勢を正し、ふと真っ直ぐに斎藤を見据えた。
「こっちも改めて訊いておきてぇんだが、お前、愁介をどう見てるんだ」
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