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◆ 一章七話 至純の涙 * 元治元年 九月
男の視点
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「――女、なんてことは、あり得ねえよな?」
しばらく考え込んでいた土方が、唐突にぽつりと呟いた。
瞬間、斎藤は己の鼓動が大鐘を打つ音を聞いた。一瞬、息が詰まるほどの。着物の下で、全身にざわ、と鳥肌が立つ。
いつの間にか下げていた視線を、ぎこちなく正面の土方に向ける。
そんな斎藤の視線を知る由もない土方は、軽く頭を抱えるように額に手を当てて、庭に面した淡い光の射す障子へ視線を流していた。
「うーん、それは……ないと思いますね」
しかしそんな斎藤と土方とは打って変わり、山崎が戸惑い混じりながらもあっけらかんと答えた。
あまり迷いの感じられない声に、斎藤は首を回して隣を見やった。
それに気付いた穏やかな瞳と視線が交錯すれば、山崎はわずかな苦笑を滲ませつつも、やはり先と変わらない落ち着いた様子で言葉を続ける。
「いや、ほんまのところを申し上げると、私もちょっと疑いはしたんですよね。松平殿って、侍として見れば少々細身ですし……仮に女やったとすれば、松平殿が会津様の後継を固辞するのも、つじつま合うわけですからね」
言って、山崎は指先で軽くこめかみを撫でながら「でも」と一度軽く首を横に振る。
「逆に言うと松平殿って、背丈も沖田先生くらいありますし、おなごにしては骨格もしっかりしてますから、決して女らしいとは言えんやないですか。せやから微妙やなーと思ったんで、実は前にいっぺん、コケるふりしてご本人に抱き着いてみたんですよ」
斎藤は思わずぎょっとして目を瞠った。心中で再び漂い始めていた『仮説』に対するざわめきもつい見失って、絶句する。
と、土方も同じ思いだったのか、呆気に取られたような声で「山崎お前……よくそんなベタなこと大胆にできたもんだな」と呻いた。
「はは。言うて大坂人なんで、ベタもボケれば誤魔化せてしまうんですよね」
山崎は見た目だけは本当に穏やか、かつ爽やかな笑顔を浮かべながら、おどけるように軽く両手を開いて見せた。
「今回みたいな場合は、蹴躓いたことにものすごい照れたフリしながら『わあーっ、ほんますいませーん!』って慌てふためいといたら、大体相手も笑ってくれますよ」
言葉の通り、恐らく同じことをしたとしても、状況によって対応を使い分けることもあるのだろう。まさに市井にまぎれ込み、あらゆる場所から情報収集を行う監察向きの柔軟性である。では、あるが……――
あまりの強かさに、斎藤は内心で舌を巻いた。お陰で感情がぐるりと半周くらい回って、少し平静を取り戻せた気がする。
そっと、密やかに吐息をこぼす。
そうだ、偏ってはいけない。愁介に関しては、正しく見極めなければいけない。それが容保の命でもあるのだ。動揺してばかりではいられない。
斎藤は胸中で己に言い聞かせ、努めて公正に山崎の言を咀嚼しようと、ゆっくり目を瞬かせて心持ちを切り替えた。
「それでまあ恐縮ながら、内心では大真面目に、松平殿に触れてみた結果なんですけど。細いのは、間違いなく細いなと思ったんです」
山崎は開いていた両手をそっと自身の膝に下ろし、当時を思い返しでもするように視線を流して言った。
「ただ、女性独特のやわらかさは、なかったんですよね。いくら鍛えても、おなごにしかない感触ってあるやないですか。でも松平殿にはそれがなくて……ご本人が言わはった『筋肉の付きづらい体質』っていう説明で、納得できてしまう感じやったんです」
「……山崎さんのことですから、それ以外にも『女』であることを否定できる何かが、あったのではないですか?」
斎藤が抑揚なく促せば、案の定「そうですね」と軽い首肯が返された。
「数月の間、陰から観察した上で……下世話な話になりますが、おなごなら、月のモノがどうしたってついて回るでしょう? でも、その気配も一切なかったんですよ」
山崎は少しばかり気まずそうに、総髪に結わえてある頭の後ろを撫でつけながら続けた。
「もちろん、毎日姿を確認できてたわけではありませんから、その辺の不正確さは否めません。でも逆に、姿が見えんかった時にソレがあったと仮定した上で色んな周期を計算してみても、ほんまに気配がなかったんで……ほぼ、間違いないと思います」
それは確かに、何より説得力のある報告だった。
ああ、やはり、愁介が葛であるなんて夢物語みたいなことはあり得ないのだ――。
改めて現実を突きつけられ、今度は無意識に吐息がこぼれ落ちた。
だが、当然と言えば、当然の答えでしかない。結局は斎藤が、いつまで経とうと葛の生存を諦めきれずにいるだけのこと。拗らせ切った己の執着心を目の当たりにさせられて、気分の悪さと自己嫌悪と後悔にさいなまれる――本当に、いつものことだ。
でも、こんなだから。毎度こんなことばかりだから。だから、せめて墓だけでも教えて欲しいと言っているのだ、と悪態だって吐きたくもなる。
「まあ、あとは何より、おなご相手に、沖田先生があそこまで気ぃ許しはるでしょうかっていうところも、結構な判断基準にさせてもらうことになりましたけど」
報告を締めくくるように、山崎が付言する。
と、土方はこれこそ納得せざるを得ない、というように苦々しく眉間にしわを寄せた。
「そりゃ……確かになァ。あれで愁介が女だったとしたら、別の意味で大問題か」
土方は沖田と愁介の仲睦まじさを思い返した様子で、大きな溜息を吐いた。それから、指の節でぐりぐりと眉間を揉んで、
「……わかった。悪い、変なことを訊いちまったな」
「いえ。ただ、逆にお訊きしておきたいんですけど、土方副長。何か、副長が女と疑うようなところが、松平殿にあったんですか? おなごについては正直、私より土方副長のほうがよほどお詳しいと思うんで、何かあるならそこを重点的に調査しなおしてみますけど」
首をかしげた山崎の問い返しに、土方は眉間に手を当てたままだった。
しばらく考え込んでいた土方が、唐突にぽつりと呟いた。
瞬間、斎藤は己の鼓動が大鐘を打つ音を聞いた。一瞬、息が詰まるほどの。着物の下で、全身にざわ、と鳥肌が立つ。
いつの間にか下げていた視線を、ぎこちなく正面の土方に向ける。
そんな斎藤の視線を知る由もない土方は、軽く頭を抱えるように額に手を当てて、庭に面した淡い光の射す障子へ視線を流していた。
「うーん、それは……ないと思いますね」
しかしそんな斎藤と土方とは打って変わり、山崎が戸惑い混じりながらもあっけらかんと答えた。
あまり迷いの感じられない声に、斎藤は首を回して隣を見やった。
それに気付いた穏やかな瞳と視線が交錯すれば、山崎はわずかな苦笑を滲ませつつも、やはり先と変わらない落ち着いた様子で言葉を続ける。
「いや、ほんまのところを申し上げると、私もちょっと疑いはしたんですよね。松平殿って、侍として見れば少々細身ですし……仮に女やったとすれば、松平殿が会津様の後継を固辞するのも、つじつま合うわけですからね」
言って、山崎は指先で軽くこめかみを撫でながら「でも」と一度軽く首を横に振る。
「逆に言うと松平殿って、背丈も沖田先生くらいありますし、おなごにしては骨格もしっかりしてますから、決して女らしいとは言えんやないですか。せやから微妙やなーと思ったんで、実は前にいっぺん、コケるふりしてご本人に抱き着いてみたんですよ」
斎藤は思わずぎょっとして目を瞠った。心中で再び漂い始めていた『仮説』に対するざわめきもつい見失って、絶句する。
と、土方も同じ思いだったのか、呆気に取られたような声で「山崎お前……よくそんなベタなこと大胆にできたもんだな」と呻いた。
「はは。言うて大坂人なんで、ベタもボケれば誤魔化せてしまうんですよね」
山崎は見た目だけは本当に穏やか、かつ爽やかな笑顔を浮かべながら、おどけるように軽く両手を開いて見せた。
「今回みたいな場合は、蹴躓いたことにものすごい照れたフリしながら『わあーっ、ほんますいませーん!』って慌てふためいといたら、大体相手も笑ってくれますよ」
言葉の通り、恐らく同じことをしたとしても、状況によって対応を使い分けることもあるのだろう。まさに市井にまぎれ込み、あらゆる場所から情報収集を行う監察向きの柔軟性である。では、あるが……――
あまりの強かさに、斎藤は内心で舌を巻いた。お陰で感情がぐるりと半周くらい回って、少し平静を取り戻せた気がする。
そっと、密やかに吐息をこぼす。
そうだ、偏ってはいけない。愁介に関しては、正しく見極めなければいけない。それが容保の命でもあるのだ。動揺してばかりではいられない。
斎藤は胸中で己に言い聞かせ、努めて公正に山崎の言を咀嚼しようと、ゆっくり目を瞬かせて心持ちを切り替えた。
「それでまあ恐縮ながら、内心では大真面目に、松平殿に触れてみた結果なんですけど。細いのは、間違いなく細いなと思ったんです」
山崎は開いていた両手をそっと自身の膝に下ろし、当時を思い返しでもするように視線を流して言った。
「ただ、女性独特のやわらかさは、なかったんですよね。いくら鍛えても、おなごにしかない感触ってあるやないですか。でも松平殿にはそれがなくて……ご本人が言わはった『筋肉の付きづらい体質』っていう説明で、納得できてしまう感じやったんです」
「……山崎さんのことですから、それ以外にも『女』であることを否定できる何かが、あったのではないですか?」
斎藤が抑揚なく促せば、案の定「そうですね」と軽い首肯が返された。
「数月の間、陰から観察した上で……下世話な話になりますが、おなごなら、月のモノがどうしたってついて回るでしょう? でも、その気配も一切なかったんですよ」
山崎は少しばかり気まずそうに、総髪に結わえてある頭の後ろを撫でつけながら続けた。
「もちろん、毎日姿を確認できてたわけではありませんから、その辺の不正確さは否めません。でも逆に、姿が見えんかった時にソレがあったと仮定した上で色んな周期を計算してみても、ほんまに気配がなかったんで……ほぼ、間違いないと思います」
それは確かに、何より説得力のある報告だった。
ああ、やはり、愁介が葛であるなんて夢物語みたいなことはあり得ないのだ――。
改めて現実を突きつけられ、今度は無意識に吐息がこぼれ落ちた。
だが、当然と言えば、当然の答えでしかない。結局は斎藤が、いつまで経とうと葛の生存を諦めきれずにいるだけのこと。拗らせ切った己の執着心を目の当たりにさせられて、気分の悪さと自己嫌悪と後悔にさいなまれる――本当に、いつものことだ。
でも、こんなだから。毎度こんなことばかりだから。だから、せめて墓だけでも教えて欲しいと言っているのだ、と悪態だって吐きたくもなる。
「まあ、あとは何より、おなご相手に、沖田先生があそこまで気ぃ許しはるでしょうかっていうところも、結構な判断基準にさせてもらうことになりましたけど」
報告を締めくくるように、山崎が付言する。
と、土方はこれこそ納得せざるを得ない、というように苦々しく眉間にしわを寄せた。
「そりゃ……確かになァ。あれで愁介が女だったとしたら、別の意味で大問題か」
土方は沖田と愁介の仲睦まじさを思い返した様子で、大きな溜息を吐いた。それから、指の節でぐりぐりと眉間を揉んで、
「……わかった。悪い、変なことを訊いちまったな」
「いえ。ただ、逆にお訊きしておきたいんですけど、土方副長。何か、副長が女と疑うようなところが、松平殿にあったんですか? おなごについては正直、私より土方副長のほうがよほどお詳しいと思うんで、何かあるならそこを重点的に調査しなおしてみますけど」
首をかしげた山崎の問い返しに、土方は眉間に手を当てたままだった。
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