櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章六話 揺りの根 * 元治元年 八月

斎藤の望むもの

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 夜も更けていたため、和解してから帰途につくのは早かった。皆で容保への感謝を改めて伝え、容保も満足げに受け入れてくれたので、全員揃って凝華洞ぎょうかどうを後にする。

 すっかり空は藍が深まり、湿気の減り始めた風が心地よく吹き抜けていく。御所近くということもあり、周りに人もいないので、それぞれの足音がよく通った。

「近藤局長、馬は私が」

 徒歩で凝華洞を訪れた斎藤らとは違い、近藤が馬を引いていたので、島田が変わって手綱を引き受けた。

「ありがとう、すまないね」

 近藤は朗らかに頷いた。かと思えば、手ぶらになったのを幸いとばかりに、飛びつくように永倉と原田の肩を抱く。

「おッ、何だ!?」
「っと、近藤さん、どしたの?」
「ははは。こんなふうに並んで歩くのは、江戸を発った頃以来じゃないか?」

 子供のように破顔して話す近藤に、永倉も原田も楽しげに肩を抱き返して笑う。

「確かに、そうかもねぇ」
「へっへ、まぁ最近は土方さんが許さねぇところもあるからなァ」
「今日くらいはトシも許してくれるさ!」

 そんな三人を、島田と尾関が微笑ましく見ている。葛山もそろそろ気が抜けたのか、同じように何かを懐かしむような目で三人のやり取りを眺めていた。

「斎藤、今回は色々動いてくれてありがとうね。お前が松平に仲介を頼もうって言ってくれなきゃ、もっとこじれてたかもしんないし」

 ふと永倉に言葉をかけられる。

 原田のわずか斜め後ろを歩いていた斎藤は、そっと首を横に振って答えた。

「いえ、私は何も。それこそお礼は愁介殿に――」

 言葉の途中で、横から長い腕がにゅっと伸びてくる。

「謙遜すんなって!」
「っ……!?」

 原田が斎藤の肩を強く抱き込んで、輪の中に引き込まれてしまった。

「ちょっと、原田さん……」
「斎藤くん、私からも改めて礼を言いたい。君も、本当にありがとう」

 近藤からも告げられ、斎藤はつい抵抗の手を止めてしまった。

 ——さり気なくはあったが、近藤は恐らく今件における斎藤ヽヽ立場ヽヽを知っている。土方から聞いていたのだろう。

 近藤の目は、この場の他の誰よりも澄んでいて真っ直ぐで、何やらこそばゆいような感覚に見舞われる。

「……いえ、私は本当に何も」
「おっ、照れてんのか?」
「そういうのではありません。原田さん、肩が痛いです」
「あっはは、斎藤、諦めなー。左之の馬鹿は加減ってものを知らないから」
「ん? おいこら新八、馬鹿っつったか?」
「いんや? 馬鹿力って言った。お前は力も立派なもんだもんねえっていう誉め言葉」
「そうか、なら許す!」
「はっはっは! 私は本当にいい仲間に恵まれた!」

 楽しそうに、嬉しそうに。無邪気に瞳を和ませて近藤が喉を鳴らす。

 それを隣で見上げる永倉の目に、ほんのわずか光るものが浮かんだのが月明りに見えた。すぐさま誤魔化すように拭い去られたそれに気付いたのは、恐らく斎藤だけだっただろう。

「皆、これからもよろしく頼む」
「んっふふ、こちらこそ」
「おうよ、任せとけ!」

 三者の晴れやかな笑顔を横から眺め、そこで初めて斎藤も肩の力が抜けた気がした。

 結果として何事もなく済んだことを、良かったと思える。

 三人が豪快に笑い合う様は、江戸で世話になっていた頃もよく見た光景だ。出自も辿ってきた人生も、何もかも異なる一癖も二癖もある人達だが、特にこの三人が集まる場は明るく晴れやかで、おおよそうらぶれた空気も吹き飛んでいく。

 そんな三人が、わずかなすれ違いごときで溝を作るなど、できれば二度と――……

 そこまで考えたところで、はたとした。

 ぎこちなく、視線を下げる。

 先と変わらず原田に半ば引きずられるようにして歩くまま、斎藤は愕然とした。

 ——今、何を考えた。

 斎藤は今、会津に大事だいじがなかったことではなく、近藤と永倉らが和解したことを喜んでいなかったか。本来なら、容保の手をわずらわせてしまった事実を猛省すべき立場なのに。

 ――『斎藤。そなたの行動はすべて、本当に会津のためのものなのか』

 昼間、何気なく問われた容保の言葉が耳の奥でこだまする。

 ……わからない。知らない。

 胸中で呟いて、斎藤は再び顔を上げた。

 三人は変わらず、楽しげに談笑を続けている。

 斎藤は口元に薄い笑みを張り付けて、聞き入っているふりヽヽをする。

 ……——わからない。気付いてはいけない。

 見透かすように煌々と照り付ける月の光が目に痛くて、澄み切った夜空を見上げられなかった。
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