櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
上 下
77 / 159
◆ 一章六話 揺りの根 * 元治元年 八月

へそを曲げると厄介な男

しおりを挟む
「収拾つきそう?」
「殿が直々に動いてくださるというのです。これで収拾がつかないのであれば、新選組は長州征伐にかこつけて滅ぼしたほうがよろしいと進言します」

 改めて新選組屯所へ向かいながら、今件について愁介と交わした会話はそれだけだった。

 行きは小道に入れば内緒話ができたものだが、如何せん帰る頃には人の気配が増えており、会話に気を遣わざるを得なかった。いつの間にか日が少々傾き始めており、大通りの賑わいは勿論、其処ここの小宅でも、洗濯物を取り入れるためだ夕餉の支度だと塀や垣根の奥の気配が耳目をつく。

 斎藤からすれば、滅多にない愁介との二人きりで、訊きたいことも話したいことも山ほどあるというのに、うかつに口を開くことができず消化不良を起こした気分だった。

「……御礼を、申し上げます」

 壬生村に入った頃、伝え損ねていた言葉だけは改めて短く口にする。

「とんでもない。面倒にならずに済みそうなら、オレも良かったよ」

 隣を歩いていた愁介は、それまでの沈黙を気まずそうにするでもなく、むしろ軽やかな足取りで笑みをたたえて前を向いていた。今日はともかく、これまで散々無様を見せて半月ほど前には幾度目かの「殺して欲しい」という心裏まで伝えている――そんな複雑極まりない斎藤との関係も一切気にしない様子は相変わらずで、だからこそ斎藤も愁介の考えは相変わらず何一つ読めずにいる。

「……ん? 何?」

 しばらく横目に眺めていたからか、ふと愁介があごを上げた。

「いえ……沖田さんとの約束は、間に合うのかと思いまして」

 誤魔化すように抑揚なく答えると、愁介は突然、悟りを開いたような笑みを浮かべた。

「いや、それが全然間に合ってないんだよね。結構な刻限すっぽかしてるんだよ、オレ」
「それは――」

 さすがに申し訳なさが立った。思わず眉根を寄せて視線を流すと、愁介は額に手を当てながら深々と溜息をこぼす。

「いやぁ、もうさあ……凝華洞あっちを出た時点で完全に遅れてて、走って間に合う状況でもなかったし、これは斎藤と一緒に行って一緒に言い訳してもらうしかないかなって」
「一緒に、と申されましても……」
「建白書は父上に渡った後だし、総司になら事情説明するくらいはいいでしょ?」

 当然のように言われ、何ともはやと口をつぐむ。

 途端に愁介は弾かれたように顔を上げて、斎藤にぐいと上半身を寄せた。

「えっ、何その沈黙。もしかして駄目なの? そうなると完全に予定が狂うんだけど」

 上級武士らしい上品な香と椿油のにおいが鼻腔をくすぐる。が、その中に馴染みのあるようなないようなほろ苦い何かの香りも混ざっていた気がして、斎藤はつい首をかしげた。

 しかし、あまりにもかすかで、すぐにわからなくなってしまう。

「ねえってば、斎藤!」
「あ……ええ。そう、ですね」

 思考が遅れて追いつき、意識が引き戻される。

「まあ、沖田さんになら構いませんよ。永倉さんも承知の上で貴殿に託されましたので」
「良かった! びっくりさせないでよ、もう」

 愁介は気が抜けたように胸を撫で下ろした。姿勢を正し、改めて適切な距離で隣を並び歩く。

 白紙に小さな墨汁の一滴を落としたような違和感が胸に残ったが、正体を確かめる術はなかった。容保の別れ際の笑みといい、溶かしきれないおりが心に溜まるようで気味が悪い。愁介と関わると、やはり毎度のごとく訳のわからない疑問ばかりが募っていく。

「……ただ、予め断っておきますが」
「え、何?」
「沖田さんは、へそを曲げると少々厄介ですよ。私の加勢ごときでどうにかなる保証は致しかねますので、悪しからず願います」

 些細な抵抗というわけでもないが、事実をありのまま告げると「んげ」と潰れた蛙のような声が愁介の喉から漏れ出てきた。

「厄介って、どれくらい……?」
「江戸にいた頃、稽古の約束を完全に忘れてすっぽかした原田さんが、毎日顔を合わせながらも半月ほど口を利いてもらえずにいたくらいですね」

 愁介は声もなく肩を落として、両手で顔を覆ってしまった。

 屯所は、もう目の前だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

処理中です...