櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章六話 揺りの根 * 元治元年 八月

不穏な集い

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 しばらく歩き、茶屋町の一角で「此処だよ」と永倉が立ち止まる。蕎麦屋と言っていたが、たどり着いたのは大衆の食事処ではなく、座敷のあるそれなりに格調高い店だった。

 つい視線をやった斎藤に、永倉は「個室のが落ち着いて話せるからね」と悪戯めいた笑みで片目を瞑る。案内されて二階に上がると、座敷には既に数名の隊士が待機していた。

「おっ、斎藤。やっぱお前も来たのか」

 悪びれず手を上げたのは、八畳間の奥に荒々しく膝を立てて座し、窓の格子にもたれかかっていた原田だった。その隣では、監察方の島田魁が大きな体を小さくし、恐縮した様子で斎藤に会釈する。

 そして原田、島田だけでなく、室内には他にあと二人の姿もあった。

 一人は、島田と同じ監察の尾関雅次郎まさじろうだ。気難しげに口を引き結んだまま、一礼される。

 尾関は新選組が会津に名前を賜る前、『壬生浪士組』と呼ばれていた頃からいる古参の隊士だ。池田屋の折は屯所番で活躍はなかったが、永倉と同じくらい小柄で、普段から黙々と任務をこなす仕事一辺倒の男、という印象が強い。斎藤ほどではないが表情も永倉や原田ほど豊かではなく、元より真面目な人物が多い監察方の中でも群を抜いて生真面目な男、と思われるのが尾関だった。

 そして最後の一人は、会津出身の隊士である葛山かつらやま武八郎たけはちろうだ。

 顔に出すことはしなかったが、これには少々斎藤も驚いた。会津武士らしい融通の利かない頑固さはあったものの、基本的には従順で上に逆らう印象もなく、今いる面子とも普段から一緒にいるというわけでもない。

 尾関に目礼を返した斎藤が視線を流すと、葛山は神経質そうな狐目を細め、何故か強気にあごを上げた。

 斎藤自身、あからさまでないにせよ会津出身という点で普段から葛山を避けていたところがあるので、その仕草の意味するところはわからなかった。誰に対しても淡白に接する斎藤ではあるが、関わり合いが極端に少ない葛山からすると、斎藤には稽古でしごかれた記憶しかないであろうから単純に嫌いなのかもしれない。

「やー、お待たせお待たせ」

 永倉は明るく手を上げて部屋に入り、部屋の中央辺りで腰を下ろした。

 斎藤も続き、永倉の隣に足を崩して座る。自然と、六人で円座を組む形になった。

 永倉は一呼吸置くと、明日の天気について話すかのように気負いなく、ただ瞳だけは鋭くきらめかせて口を開いた。

「昼飯食う前に話しちゃお。ここに集まってくれたってことは、皆、最近の近藤さんについて思うところありって認識で間違いないよね?」

 ――やはり、その話だったか。

 斎藤は静かに瞬いて、ゆっくり室内を見回した。

 池田屋恩賞金の分配の件があってから、山南が懸念していた通り、少なからず隊士から不満の声が上がっていた。ほとんどの隊士は土方の一蹴に委縮して何も言えなくなっていたが、少なくともこの場にいる面子に関しては、収まりのつかないものを胸中に抱えているのだろう。

「いくら言っても、さして響いてなさそうなのがなぁ」

 原田が疲れたように息を吐く。いつぞやの進言の後も、増長しつつある近藤の態度に対し永倉と共に繰り返し苦言を呈していたのは斎藤も知っている。

「私はそこまで局長の言動が気にかかっているわけではありませんが……ただ、くすぶっている隊士の不満を放置するのは良くないと思う次第です」

 島田が、少し困ったように眉尻を下げて答える。言葉通り、近藤がどう、というよりは新選組の先を憂慮しての立場表明のようだ。詳しくは知らないが、江戸にいた頃、試衛館門人となる前の永倉と交流があったらしいので、旧知の繋がりで今回の誘いを受けたのかもしれない。

「島田さんに同じく」

 重く頷いたのが、尾関だった。

「私どもを使っていただく任務上の差配に不満はありませんが、今回のやり方には納得がいきません。池田屋の折、確かに私ども屯所番は、出陣組に比べれば苦労は少なかったと認めています。しかし働かなかったわけではありません。働きを認められないことほど、虚しいことはないのです。今回は呑めても、繰り返されれば恐らく厳しい」

 淡々と言い募られる内容は、冷静な訴えだった。理解はできる。

 これに葛山が、苦いものを食んだように顔をしかめて続けた。

「近藤局長は、常に親身に平隊士にも接してくれる方であると認識していました。それが最近は大きく違ってこられた。確かに新選組の長ではあられるが、元は浪人であった身分を忘れ、偉ぶっておられるのはよろしくない」

 斎藤は内心で眉をひそめた。

 永倉以下の面々が近藤への愛情ないし組への憂慮を口にしているのに対し、過去の身分や出自がどうのと持ち出してきたことに違和を覚える。問題の論点が、彼だけわずかに異なっているように思えた。

 斎藤は思わず永倉に視線を流す。

 しかしこの論点の違いに気付かぬはずはなかろうに、永倉は何も言わず口の端を薄く引き上げただけだった。
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