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◆ 一章五話 空ろの胸 * 元治元年 八月
永倉の怒り
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原田が苦々しく吐き捨てる。
「池田屋以降、局長局長って敬われることに慣れてきてんじゃねえか、あの人!」
「それじゃダメなんだ」
永倉はさらに深く頷いて、一つ舌打ちをした。
「えっと、いまいちよくわかんないんだけど……その気持ち、ご本人には伝えたの?」
愁介がおずおずと口を挟む。
永倉は「当然」とあごを上げて、しかしそれまで以上に苦々しく顔をしかめた。
「でも、言ったところで『だが俺は局長で、土方は副長だ』だってさ! 俺らのこと、何も考えちゃいないよ!」
斎藤は口をつぐみ、眉根を寄せた。
まずいな、と思う。普段から直情型の原田はともかく、おおよそ冷静な永倉が堂々と近藤を避難することは酷く厄介である。茶目っ気もあり面倒見が良い分、永倉を慕う隊士は多い。そんな永倉が声を上げれば、最悪、隊の分裂の懸念さえ生じてしまう。
禁門の戦の収束から間がなく、長州征伐も叫ばれているこの時勢に、新選組でいざこざを起こされるなど会津にとってはたまったものではなかった。
「少し……落ち着いてください」
「落ち着いてるよ。つーか斎藤も、報奨金の分配に関しては呆れてたみたいって平助から聞いたけど、違うわけ?」
腕を組んで威圧的に見上げられた。これは全く落ち着いていないなと頭の隅で考えながら、「まあ確かに呆れはしましたけど」と嘘を吐く。
……そう、嘘だ。先刻の土方と山南のやり取りも含め、報奨金なども斎藤にとっては好きにすればいいとしか思えない。
が、今ここで永倉と対立することだけは得策でない気がした。
「呆れとこの話は、また別です。永倉さんも立場を考えてください。あなたを慕う人は多いんです、あなたが声を大にして言えば、新選組などあっという間に瓦解しますよ」
「……高く買ってくれて嬉しいけど、俺は仲間を見下すような男は嫌いだ」
永倉は眉間のしわを深くして、唸るように言う。
「俺は、近藤さんの横に並んで世の中を変えていきたいと思ったからついて来たんだ。『仲間』に優劣つける奴が、俺は一番嫌いなんだよ」
「気持ちはわかります。しかし、小さな火種でも放り込まれれば爆発することはあります。望まぬ方向に事態が転がって、収拾がつかなくなるようなことだけは避けなければ」
あなたはそれだけの力のある人なのだから、と、持ち上げるでもなくただの真実として告げると、つり上がっていた永倉のまなじりがようやくわずかに下がった。
「――あれ? 皆さんどうしたんです。部屋の前でぞろぞろと」
そこへ、顔でも洗いに行っていたのか、沖田が手拭いで口元を拭いながら戻ってきた。
「あ、総司。お帰りー」
「ただいまですー」
愁介と沖田の妙に気の抜けたやり取りに、永倉と、そして原田も深く息を吐いて本当に肩の力を抜く。
皆で部屋に入り、腰を下ろして輪を作りながら、永倉がすべての経緯を改めて沖田と愁介に説明した。
「――ああ、そのことでしたら、私ではお役に立てませんねぇ。近藤先生と土方さんの言う通りにすればいいんじゃないですかって思うので」
事情を話し終えたところで、沖田がのほほんとゆるんだ笑顔で言った。
途端、原田と永倉が脱力したようにうな垂れて、先ほどよりも深い嘆息を漏らす。
「まあ、お前ならそう言うよなァ」
「うん、わかってたよ……」
「あはは、すみません。永倉さんや原田さんが『下』とかは思ったことないんですけど、私にとっての『てっぺん』は幼い頃から近藤先生ただ一人なので。私にはその先生を否定するなんて、できないんですよ」
「まあ、総司の中の道理だもんねぇ」
あぐらをかいた膝の上に頬杖をつき、永倉は遠いものでも見るように視線を上げた。
沖田はくすぐったそうに首をすくめ、愁介に目を向ける。
愁介がそんな沖田を許容するように頷くと、沖田は安堵したように息を吐いていた。
「……とにかく、激情をまき散らすだけでは何の解決にもなりません。少し時を置いて、落ち着いて考えてみませんか」
斎藤の提案に、原田が「だなぁ」と首を縦に振った。
「なぁ新八。間を置いて何度か言わにゃ、近藤さんも理解できないかもしれねぇしよ」
永倉は「近藤さんは左之ほど理解力に乏しいわけじゃないけどね」と、誰に対しての揶揄なのかわからない切り返しをしつつも、静かに目を閉じて一つ頷く。
「……そうだね、悪かった。さすがにちょっと大人気なかったよ」
再び目を開けた永倉の瞳からは、怒りの色が消えていた。
納得したわけでは当然ないだろうが、少なくとも冷静さはしかと取り戻したようだ。
「今日はひとまず置いといて、明日にまた掛け合ってみよう」
永倉の言葉でとりあえず解散となり、永倉と原田は連れ立って自室に戻っていった。
やれやれとひと息ついた心地で見送ってから、斎藤も改めて腰を上げた。巡察から戻った後、すっかり忘れていた誠の隊服を脱ぎ、軽くたたんで部屋の隅に置く。
「――あれ、斎藤さん、どこ行くんですか?」
部屋を出ると、沖田が不思議そうに問うてきた。
「顔を洗いに行くだけだ」と端的に答え、振り返ることなく離れへ向かう。
「……あ? 斎藤か。どうした」
何かの書面を確認していた土方は、斎藤が部屋の前に立つと、気配を察してかすぐさま振り返った。
「池田屋以降、局長局長って敬われることに慣れてきてんじゃねえか、あの人!」
「それじゃダメなんだ」
永倉はさらに深く頷いて、一つ舌打ちをした。
「えっと、いまいちよくわかんないんだけど……その気持ち、ご本人には伝えたの?」
愁介がおずおずと口を挟む。
永倉は「当然」とあごを上げて、しかしそれまで以上に苦々しく顔をしかめた。
「でも、言ったところで『だが俺は局長で、土方は副長だ』だってさ! 俺らのこと、何も考えちゃいないよ!」
斎藤は口をつぐみ、眉根を寄せた。
まずいな、と思う。普段から直情型の原田はともかく、おおよそ冷静な永倉が堂々と近藤を避難することは酷く厄介である。茶目っ気もあり面倒見が良い分、永倉を慕う隊士は多い。そんな永倉が声を上げれば、最悪、隊の分裂の懸念さえ生じてしまう。
禁門の戦の収束から間がなく、長州征伐も叫ばれているこの時勢に、新選組でいざこざを起こされるなど会津にとってはたまったものではなかった。
「少し……落ち着いてください」
「落ち着いてるよ。つーか斎藤も、報奨金の分配に関しては呆れてたみたいって平助から聞いたけど、違うわけ?」
腕を組んで威圧的に見上げられた。これは全く落ち着いていないなと頭の隅で考えながら、「まあ確かに呆れはしましたけど」と嘘を吐く。
……そう、嘘だ。先刻の土方と山南のやり取りも含め、報奨金なども斎藤にとっては好きにすればいいとしか思えない。
が、今ここで永倉と対立することだけは得策でない気がした。
「呆れとこの話は、また別です。永倉さんも立場を考えてください。あなたを慕う人は多いんです、あなたが声を大にして言えば、新選組などあっという間に瓦解しますよ」
「……高く買ってくれて嬉しいけど、俺は仲間を見下すような男は嫌いだ」
永倉は眉間のしわを深くして、唸るように言う。
「俺は、近藤さんの横に並んで世の中を変えていきたいと思ったからついて来たんだ。『仲間』に優劣つける奴が、俺は一番嫌いなんだよ」
「気持ちはわかります。しかし、小さな火種でも放り込まれれば爆発することはあります。望まぬ方向に事態が転がって、収拾がつかなくなるようなことだけは避けなければ」
あなたはそれだけの力のある人なのだから、と、持ち上げるでもなくただの真実として告げると、つり上がっていた永倉のまなじりがようやくわずかに下がった。
「――あれ? 皆さんどうしたんです。部屋の前でぞろぞろと」
そこへ、顔でも洗いに行っていたのか、沖田が手拭いで口元を拭いながら戻ってきた。
「あ、総司。お帰りー」
「ただいまですー」
愁介と沖田の妙に気の抜けたやり取りに、永倉と、そして原田も深く息を吐いて本当に肩の力を抜く。
皆で部屋に入り、腰を下ろして輪を作りながら、永倉がすべての経緯を改めて沖田と愁介に説明した。
「――ああ、そのことでしたら、私ではお役に立てませんねぇ。近藤先生と土方さんの言う通りにすればいいんじゃないですかって思うので」
事情を話し終えたところで、沖田がのほほんとゆるんだ笑顔で言った。
途端、原田と永倉が脱力したようにうな垂れて、先ほどよりも深い嘆息を漏らす。
「まあ、お前ならそう言うよなァ」
「うん、わかってたよ……」
「あはは、すみません。永倉さんや原田さんが『下』とかは思ったことないんですけど、私にとっての『てっぺん』は幼い頃から近藤先生ただ一人なので。私にはその先生を否定するなんて、できないんですよ」
「まあ、総司の中の道理だもんねぇ」
あぐらをかいた膝の上に頬杖をつき、永倉は遠いものでも見るように視線を上げた。
沖田はくすぐったそうに首をすくめ、愁介に目を向ける。
愁介がそんな沖田を許容するように頷くと、沖田は安堵したように息を吐いていた。
「……とにかく、激情をまき散らすだけでは何の解決にもなりません。少し時を置いて、落ち着いて考えてみませんか」
斎藤の提案に、原田が「だなぁ」と首を縦に振った。
「なぁ新八。間を置いて何度か言わにゃ、近藤さんも理解できないかもしれねぇしよ」
永倉は「近藤さんは左之ほど理解力に乏しいわけじゃないけどね」と、誰に対しての揶揄なのかわからない切り返しをしつつも、静かに目を閉じて一つ頷く。
「……そうだね、悪かった。さすがにちょっと大人気なかったよ」
再び目を開けた永倉の瞳からは、怒りの色が消えていた。
納得したわけでは当然ないだろうが、少なくとも冷静さはしかと取り戻したようだ。
「今日はひとまず置いといて、明日にまた掛け合ってみよう」
永倉の言葉でとりあえず解散となり、永倉と原田は連れ立って自室に戻っていった。
やれやれとひと息ついた心地で見送ってから、斎藤も改めて腰を上げた。巡察から戻った後、すっかり忘れていた誠の隊服を脱ぎ、軽くたたんで部屋の隅に置く。
「――あれ、斎藤さん、どこ行くんですか?」
部屋を出ると、沖田が不思議そうに問うてきた。
「顔を洗いに行くだけだ」と端的に答え、振り返ることなく離れへ向かう。
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