櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
上 下
54 / 159
◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月

もう一人の同い年

しおりを挟む
「――あ、斎藤。お帰りー」

 道場から部屋に戻った時、思いがけぬ声に迎えられて斎藤は目を瞬かせた。

 室内に座していたのは、同室の沖田ではなく「山南を飲みに誘う」と言って道場を出た藤堂だったのだ。

「総司なら、さっき土方さんとこ行くって部屋出てったよ」
「はぁ……そうですか」

 明るく報告されるものの、斎藤は戸惑いを隠せず、敷居をまたいだところで足を止める。

「……沖田さんに用だったんですか?」
「んーにゃ。お前とちょっと話がしたかった」

 あぐらをかいていた藤堂は、よいせと両腕を振りながら勢いづけて立ち上がった。訝る斎藤の目の前まで歩いてくると、わずかに低い位置から覗き込むように見上げてくる。

 斎藤は軽く身を引いて、困惑に眉根を寄せた。

 ――互いに同い年ではあるが、試衛館時代から、斎藤は藤堂と二人きりになったことなど数えるほどしかない。元来の性格が違いすぎるためだ。寡黙で賑わいを敬遠する斎藤と違い、藤堂はいつも元気で爛漫としている。

 沖田も斎藤とは違い、賑わいを好む性質ではあるが……仮に沖田が賑わいを外から眺めるのが好きな性質だとすれば、藤堂は賑わいの中にいるのが好きな性質であり、要は斎藤にとって藤堂は苦手な部類なのだった。

「話……ですか」

 そんな相手に突然、二人きりで「話がある」と言われれば、戸惑うなと言うほうが難しいだろう。

 しかし藤堂は普段通りの様子で、むしろ斎藤の態度に苦笑して、クセの強い髪を指先でいじった。髪に編み込んである洒落た赤い紐が、指の動きにあわせて艶やかに揺れる。

 考えるような間を置いてから、藤堂はほとんど独り言のように呟きを漏らした。

「オレはさー。腕っ節とか、冷静なとことか、結構お前のこと尊敬してたり、まぁもっと端的に言えば割と好きなんだけど」
「はあ……それは、どうも」
「だから、どうしても言いたくて」

 藤堂は一旦言葉を切ると、指先で髪を払い、寂しげに目尻を下げてはっきりと言った。

「あのね。お前が死んだら、オレ、泣くよ?」

 明るく、しかし真摯に告げられた言葉に、斎藤は絶句した。

 瞬きさえ忘れて藤堂を凝視していると、藤堂は少しばかり照れたようにあごを引き、額の傷を手持ち無沙汰にそっとなぞる。

「えーっと……ごめんね。要するにオレ、昨日のお前と松平とのやり取りを、実は割としっかり聞いてたわけでして」
「は……?」
「いや、だって……お前ら完全に何も考えてなかっただろうけど、ていうか遅れを取り戻すためにコッソリ腕立てとかやって障子閉めてたオレも悪いのかもしんないけど……お前らが口論してたの、オレらの部屋の真ん前だからね?」

 軽くめまいがした。言われればそうだと気付くものの、それこそ今更の話で、一瞬にして全身から血の気が引いていく。

「あっ、聞いた話のこと、別にハチとか左之っちゃんには言ってないから! あの時、部屋にいたのオレだけだったし」

 藤堂は慌てたように顔の前で手を振った。

 が、そういうことではなくて。

 斎藤は思考を巡らせて、昨日のことを思い返した。

 ――葛のことを口にしたのは覚えている。が、それ以外はどうだ。会津の間者であることや、それをにおわせるようなことは、口走っただろうか。

 必死に記憶をなぞっていき――

 何も、言っていないはず。

 結論にたどり着いて、思わず深く嘆息した。

 しかし冷静になれば、もしそのようなことを口走っていればそもそも藤堂が何よりまずそこを突いてくるだろうと考えが至り、余計に脱力してしまう。

 ……動揺しすぎだ。

 自分に舌打ちをしたくなり、片手で額を覆ってもう一度深く嘆息する。

「わーっ、あの、えっと、ごめんって! 結果的に盗み聞きになっちゃって悪かったって反省してます!」

 藤堂は見当違いのところで焦っていたが、逆にそれがありがたくもあった。仲がいいわけではないが、さすがに付き合いはそれなりの年数になる。藤堂が下手な嘘をつける人間でないことだけは、斎藤も知っていた。

「……いえ、こちらこそお聞き苦しいものを、失礼しました」

 溜息交じりに言って改めて視線を上げると、藤堂は空気をかき回すように動かしていた手を止めて、何か煮え切らないような顔をした。

「いや、別に聞き苦しいとは思わなかったけど……そうじゃなくてさ」
「忘れていただけると助かるんですが」
「それは無理だろ!?」

 間髪容れず突っ込まれ、斎藤が眉根を寄せると、藤堂も困ったように眉尻を下げた。

「いや、だって……もっかい言うけど、お前が死んだらオレ、泣くよ?」
「……それほど親しいわけでもないのにですか?」
「おお……胸に刺さることをざっくり言うね、お前」

 藤堂は胸を押さえて、よろりと一歩後ろに引いた。

「はあ、すみません。ですが……少なくとも、藤堂さんが亡くなっても俺は泣けませんよ」
「そりゃ、お前が死にたがりだからだろうよ」

 人のことを言えないざっくりとした物言いで、藤堂は切り返した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...