51 / 175
◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月
解放されたいだけなのに
しおりを挟む
――無性にいら立つ。
そんなやり切れぬ思いを抱えたまま部屋に戻る途中、驚いたことに濡れ縁の向かいから愁介が歩いてきた。
「……あ」
気付いた愁介が、酷くぼんやりとした声を上げる。
互いに足を止めたところで、斎藤はわずかに身を引いて道をゆずった。
「沖田さんなら、出かけましたよ。すぐそこの壬生寺に行くと言っていましたが」
「そう……」
愁介は頷いて沖田を追って行くかと思いきや、何故かその場に立ち止まったままだった。
「……何か?」
「うん……柴さんの一件の折は、ありがとう」
静かに頭を下げられる。
斎藤は思わず胸中で舌打ちし、だから蒸し返すな、と八つ当たりで毒吐いてしまった。
「礼をいただくようなことなど、私は何もしていません」
ほとんど切り捨てるように言って、愁介の隣をすり抜ける。
沖田がいないのだから、もしかすると葛のことを訊ける機会でもあったかもしれないが……今は腹がむかむかして、落ち着いて会話できる心持ちではなかった。
ところがすれ違いを果たそうとしたところで、不意に腕を掴まれる。
驚いて視線を返すと、愁介はいやに痛ましい表情で顔を伏せていた。
「……何かご用なら、言葉でお願いできますか」
不機嫌さをあまり隠すでなく、再び低く問いかける。
愁介は驚いたように斎藤を見上げた。
沖田と同じ、拳一つ分ほど低い位置からじっと見据えられ、えも言われぬ居心地の悪さを感じる。
「……柴殿の一件、慰めて欲しいのでしたら沖田さんのところに行ってください。私ではお役に立てませんよ」
「何、その言い方?」
訝るように眉をひそめ、愁介は首を傾けた。
「別に慰めて欲しいとか、そういうんじゃないよ。オレはただ、お前に……」
「そうでないのなら、離していただけませんか。今は貴殿と話したくないのです」
本来ならばかしずいてでも口にできぬ拒絶を、しかしここが新選組の屯所で、己が新選組隊士を名乗る者であることを利用して斎藤ははっきり言い切った。
……やり切れない。
あの時、柴と声を揃え、むしろ柴より率先して迷いのない真っ直ぐな瞳を斎藤に返した愁介を見ていると、否応なく息詰まりを感じてしまう。
「何で……?」
唖然としたその問いには答えず、斎藤は冷めた一瞥を返して「失礼」と腕を振り払った。
改めて去ろうとすると、しかし愁介は斎藤の背に「オレは!」と悲痛な声を投げかける。
「柴さんを立派だと思った! でも、同じくらい胸が痛くて、苦しくて……」
「だから俺の知ったことじゃないと言っている!」
反射的に声を荒らげ、斎藤は振り返った。
愁介は面食らったように口をつぐみ、斎藤を凝視していた。それもそうだろう、仕えるべき身分相手に不躾に声を荒らげるなど、無礼討ちにされても文句は言えない所業である。
けれどわかっていて、斎藤は愁介の言葉を跳ね除けた。
むしろ、無礼討ちにされるなら、それが――。
拳を握り締め、斎藤は平坦な声で、しかし本心から畳み掛けるように言った。
「愁介殿、はっきり申し上げて鬱陶しいです。人の死という現実を、側にいる誰もが悲しむだなんて、そんなお伽噺は信じないことですね。私は今回の一件で柴殿をうらやみ、妬みすらしました。皆が感じている『やり切れなさ』など私には理解しえないものなんです。理解したくもない!」
「……な、に……?」
「腹が立つんですよ、あれほどあっさり……俺は、どんなに望んだって――」
未だに解放されないのに。
続く言葉をつむぐ前に、表情を強張らせた愁介に突然、胸倉を掴まれた。
「お前、何言ってんの?」
間近から覗き込む愁介の瞳には、大木の虚のような深い漆黒が塗り込められていた。
思わず息を呑むと、愁介は唸るように声を震わせる。
「うらやましい……? うらやましいって、死んだことが?」
「……ええ」
「お前、本当に死にたいの? 池田屋で俺に殺されようとしたの、本当に本気だったの?」
「……そうですよ」
虚ろな瞳を見返しながら、はっきりと答える。
途端に愁介は放心したように顔から表情を削ぎ落し、斎藤の襟元から手を放す。
「そう……本気で死にたかったんだ……」
まるで己に再確認させるように呟きを漏らす。
愁介は左手で額を覆い、かすかに吐息を震えさせると、
次の瞬間、反対の手を力いっぱい振りかぶり、容赦なく斎藤の左頬に平手を叩きつけた。
パァン、と乾いた音が響く。
一拍遅れて、痛みが湧き上がる。斎藤は顔をしかめ、愁介を睨み文句を言おうとした。
ところが視界に入ったものを見て、とっさに口を閉ざしてしまう。
愁介が、鋭い瞳で斎藤を睨み上げて――それまで以上に、酷く傷付いた顔をしていたからだ。涙こそないが、泣きそうだ、とも見えてしまうほどに。
そんなやり切れぬ思いを抱えたまま部屋に戻る途中、驚いたことに濡れ縁の向かいから愁介が歩いてきた。
「……あ」
気付いた愁介が、酷くぼんやりとした声を上げる。
互いに足を止めたところで、斎藤はわずかに身を引いて道をゆずった。
「沖田さんなら、出かけましたよ。すぐそこの壬生寺に行くと言っていましたが」
「そう……」
愁介は頷いて沖田を追って行くかと思いきや、何故かその場に立ち止まったままだった。
「……何か?」
「うん……柴さんの一件の折は、ありがとう」
静かに頭を下げられる。
斎藤は思わず胸中で舌打ちし、だから蒸し返すな、と八つ当たりで毒吐いてしまった。
「礼をいただくようなことなど、私は何もしていません」
ほとんど切り捨てるように言って、愁介の隣をすり抜ける。
沖田がいないのだから、もしかすると葛のことを訊ける機会でもあったかもしれないが……今は腹がむかむかして、落ち着いて会話できる心持ちではなかった。
ところがすれ違いを果たそうとしたところで、不意に腕を掴まれる。
驚いて視線を返すと、愁介はいやに痛ましい表情で顔を伏せていた。
「……何かご用なら、言葉でお願いできますか」
不機嫌さをあまり隠すでなく、再び低く問いかける。
愁介は驚いたように斎藤を見上げた。
沖田と同じ、拳一つ分ほど低い位置からじっと見据えられ、えも言われぬ居心地の悪さを感じる。
「……柴殿の一件、慰めて欲しいのでしたら沖田さんのところに行ってください。私ではお役に立てませんよ」
「何、その言い方?」
訝るように眉をひそめ、愁介は首を傾けた。
「別に慰めて欲しいとか、そういうんじゃないよ。オレはただ、お前に……」
「そうでないのなら、離していただけませんか。今は貴殿と話したくないのです」
本来ならばかしずいてでも口にできぬ拒絶を、しかしここが新選組の屯所で、己が新選組隊士を名乗る者であることを利用して斎藤ははっきり言い切った。
……やり切れない。
あの時、柴と声を揃え、むしろ柴より率先して迷いのない真っ直ぐな瞳を斎藤に返した愁介を見ていると、否応なく息詰まりを感じてしまう。
「何で……?」
唖然としたその問いには答えず、斎藤は冷めた一瞥を返して「失礼」と腕を振り払った。
改めて去ろうとすると、しかし愁介は斎藤の背に「オレは!」と悲痛な声を投げかける。
「柴さんを立派だと思った! でも、同じくらい胸が痛くて、苦しくて……」
「だから俺の知ったことじゃないと言っている!」
反射的に声を荒らげ、斎藤は振り返った。
愁介は面食らったように口をつぐみ、斎藤を凝視していた。それもそうだろう、仕えるべき身分相手に不躾に声を荒らげるなど、無礼討ちにされても文句は言えない所業である。
けれどわかっていて、斎藤は愁介の言葉を跳ね除けた。
むしろ、無礼討ちにされるなら、それが――。
拳を握り締め、斎藤は平坦な声で、しかし本心から畳み掛けるように言った。
「愁介殿、はっきり申し上げて鬱陶しいです。人の死という現実を、側にいる誰もが悲しむだなんて、そんなお伽噺は信じないことですね。私は今回の一件で柴殿をうらやみ、妬みすらしました。皆が感じている『やり切れなさ』など私には理解しえないものなんです。理解したくもない!」
「……な、に……?」
「腹が立つんですよ、あれほどあっさり……俺は、どんなに望んだって――」
未だに解放されないのに。
続く言葉をつむぐ前に、表情を強張らせた愁介に突然、胸倉を掴まれた。
「お前、何言ってんの?」
間近から覗き込む愁介の瞳には、大木の虚のような深い漆黒が塗り込められていた。
思わず息を呑むと、愁介は唸るように声を震わせる。
「うらやましい……? うらやましいって、死んだことが?」
「……ええ」
「お前、本当に死にたいの? 池田屋で俺に殺されようとしたの、本当に本気だったの?」
「……そうですよ」
虚ろな瞳を見返しながら、はっきりと答える。
途端に愁介は放心したように顔から表情を削ぎ落し、斎藤の襟元から手を放す。
「そう……本気で死にたかったんだ……」
まるで己に再確認させるように呟きを漏らす。
愁介は左手で額を覆い、かすかに吐息を震えさせると、
次の瞬間、反対の手を力いっぱい振りかぶり、容赦なく斎藤の左頬に平手を叩きつけた。
パァン、と乾いた音が響く。
一拍遅れて、痛みが湧き上がる。斎藤は顔をしかめ、愁介を睨み文句を言おうとした。
ところが視界に入ったものを見て、とっさに口を閉ざしてしまう。
愁介が、鋭い瞳で斎藤を睨み上げて――それまで以上に、酷く傷付いた顔をしていたからだ。涙こそないが、泣きそうだ、とも見えてしまうほどに。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
伊藤とサトウ
海野 次朗
歴史・時代
幕末に来日したイギリス人外交官アーネスト・サトウと、後に初代総理大臣となる伊藤博文こと伊藤俊輔の活動を描いた物語です。終盤には坂本龍馬も登場します。概ね史実をもとに描いておりますが、小説ですからもちろんフィクションも含まれます。モットーは「目指せ、司馬遼太郎」です(笑)。
基本参考文献は萩原延壽先生の『遠い崖』(朝日新聞社)です。
もちろんサトウが書いた『A Diplomat in Japan』を坂田精一氏が日本語訳した『一外交官の見た明治維新』(岩波書店)も参考にしてますが、こちらは戦前に翻訳された『維新日本外交秘録』も同時に参考にしてます。さらに『図説アーネスト・サトウ』(有隣堂、横浜開港資料館編)も参考にしています。
他にもいくつかの史料をもとにしておりますが、明記するのは難しいので必要に応じて明記するようにします。そのまま引用する場合はもちろん本文の中に出典を書いておきます。最終回の巻末にまとめて百冊ほど参考資料を載せておきました。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―
馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。
華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。
武士の世の終わりは刻々と迫る。
それでもなお刀を手にし続ける。
これは滅びの武士の生き様。
誠心誠意、ただまっすぐに。
結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。
あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。
同い年に生まれた二人の、別々の道。
仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜
八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる