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◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月
無抵抗
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「でも斎藤さん、あんまり本気で勝ちに来てくれないからなぁ」
井戸から水を汲み上げていると、後を追ってきた沖田が苦笑交じりにぼやいた。
「……あんた相手に、俺が手加減してるとでも思ってるのか?」
汲み上げた水を桶に流しながら、斎藤は思わず半眼を返す。
「まさかそんな。手加減しているんじゃなくて、勝ちに来てくれないなーって話です」
沖田は斎藤が桶にあけた水を何食わぬ顔で先に使い始めた。手拭いを浸し、それからぎゅっと水気を絞って、
「……真剣だったら良かったのにって、思ったでしょう」
普段のそれに比べて随分低い声で、ささめいた。
斎藤は瞬き一つで沖田から目を逸らすと、もう一度井戸から水を汲み上げる。
「斎藤さん。剣は口ほどにものを言うんですよー」
「……それを言うなら、目は口ほどにものを言う、だ」
「思うんですけど、以前より酷くなってません? 『無抵抗』ぶりが」
さらりと問われ、斎藤は今度こそ口をつぐんだ。
答えず、自分の手拭いを絞って体を拭く。
――『山口さんって、強いくせに妙に無抵抗だからなぁ』
いつかに沖田がぼやいた言葉が脳裏をかすめた。
「池田屋の前頃は、昔よりましになったかなって思ってたんですけど……私が寝ている間に、何かありました?」
「……別に」
隣で同じく体を拭いていた沖田は、しばらくの沈黙の後、やれやれと息を吐いて今度は自分から井戸に手をかけた。
ガランガランと縄を引く姿を横目に窺うと、沖田はお気に入りの玩具を取り上げられたみたいな顔で唇を尖らせていた。
「斎藤さんが本気で相手してくれなくちゃ、稽古が楽しくなくなるじゃないですか」
「……永倉さんに相手してもらえばいい」
「えっ、斎藤さん、私を捨てる気ですか!?」
沖田が切実な表情で声を張ったものだから、道場の中で稽古を再開していた隊士達が、何事かとこちらを振り返ったのが気配で伝わった。
「……語弊のある言いかたをするな」
いたたまれない気持ちを噛み締めながら顔をしかめる。
沖田は頬をふくらませ、「薄情者です……」と懲りずに文句を垂れた。
「そりゃ永倉さんはお強いですし、相手していただくのは面白いですけど。何か違うじゃないですか。永倉さんって年長ですし、人生経験そのものが上ですし、どちらかといえば目標って感じじゃないですか」
「否定はしないが、沖田さんに取れば望むところなんじゃないのか」
「もう! 永倉さんがいれば斎藤さんいらないっていうのは、また違うじゃないですかってお話しですよ!」
沖田は汲み上げた水桶を、井戸の囲いに叩きつけるように置いた。
かと思えばその瞬間、ひゅっと喉鳴らして軽く咳き込み出す。
「……まだ本調子じゃないのか」
眉をひそめて問うと、しかし沖田は首を横に振り、汲んだ水で喉を潤した。
「違います。勢い込んだせいで、唾が喉に引っかかりました」
「なら、いいが」
相変わらず咳は嫌いだと、苦い思いを持て余す。
自分も喉を潤したくて、沖田が汲み上げた水を分けてもらおうと手を伸ばすと、
「ダメです」
沖田はパッと桶を取り上げ、一切の水を足元にぶちまけてしまった。
「まともに私の相手をしてくれない斎藤さんに差し上げる水はありません。ご自分で汲んでください」
「……あのな」
子供か、と呆れ交じりの視線を向けるものの、沖田はどこ吹く風で斎藤に桶を押し付けて伸びをする。
「あーあ。柴さんの一件以来、愁介さんも顔を見せてくれませんし……大丈夫かなぁ、あの人」
そんな独り言に、斎藤は密かに眉根を寄せた。
――明保野亭の一件から半月近くが経つというのに、柴の真っ直ぐな瞳を思い返す度、未だに胸の奥を引っ掻き回される思いがする。
井戸から汲み上げ、口に含んだ水を一度吐き出してから、斎藤は改めて喉を潤した。
「……部屋に戻る」
残った水を捨て、短く言い置いて踵を返す。
「はーい。私はようやく外出許可を得られたことですし、ちょっと壬生寺にでも行ってきますねー」
背に飄々とした声をかけられたが、それに反応を返すことはしなかった。
井戸から水を汲み上げていると、後を追ってきた沖田が苦笑交じりにぼやいた。
「……あんた相手に、俺が手加減してるとでも思ってるのか?」
汲み上げた水を桶に流しながら、斎藤は思わず半眼を返す。
「まさかそんな。手加減しているんじゃなくて、勝ちに来てくれないなーって話です」
沖田は斎藤が桶にあけた水を何食わぬ顔で先に使い始めた。手拭いを浸し、それからぎゅっと水気を絞って、
「……真剣だったら良かったのにって、思ったでしょう」
普段のそれに比べて随分低い声で、ささめいた。
斎藤は瞬き一つで沖田から目を逸らすと、もう一度井戸から水を汲み上げる。
「斎藤さん。剣は口ほどにものを言うんですよー」
「……それを言うなら、目は口ほどにものを言う、だ」
「思うんですけど、以前より酷くなってません? 『無抵抗』ぶりが」
さらりと問われ、斎藤は今度こそ口をつぐんだ。
答えず、自分の手拭いを絞って体を拭く。
――『山口さんって、強いくせに妙に無抵抗だからなぁ』
いつかに沖田がぼやいた言葉が脳裏をかすめた。
「池田屋の前頃は、昔よりましになったかなって思ってたんですけど……私が寝ている間に、何かありました?」
「……別に」
隣で同じく体を拭いていた沖田は、しばらくの沈黙の後、やれやれと息を吐いて今度は自分から井戸に手をかけた。
ガランガランと縄を引く姿を横目に窺うと、沖田はお気に入りの玩具を取り上げられたみたいな顔で唇を尖らせていた。
「斎藤さんが本気で相手してくれなくちゃ、稽古が楽しくなくなるじゃないですか」
「……永倉さんに相手してもらえばいい」
「えっ、斎藤さん、私を捨てる気ですか!?」
沖田が切実な表情で声を張ったものだから、道場の中で稽古を再開していた隊士達が、何事かとこちらを振り返ったのが気配で伝わった。
「……語弊のある言いかたをするな」
いたたまれない気持ちを噛み締めながら顔をしかめる。
沖田は頬をふくらませ、「薄情者です……」と懲りずに文句を垂れた。
「そりゃ永倉さんはお強いですし、相手していただくのは面白いですけど。何か違うじゃないですか。永倉さんって年長ですし、人生経験そのものが上ですし、どちらかといえば目標って感じじゃないですか」
「否定はしないが、沖田さんに取れば望むところなんじゃないのか」
「もう! 永倉さんがいれば斎藤さんいらないっていうのは、また違うじゃないですかってお話しですよ!」
沖田は汲み上げた水桶を、井戸の囲いに叩きつけるように置いた。
かと思えばその瞬間、ひゅっと喉鳴らして軽く咳き込み出す。
「……まだ本調子じゃないのか」
眉をひそめて問うと、しかし沖田は首を横に振り、汲んだ水で喉を潤した。
「違います。勢い込んだせいで、唾が喉に引っかかりました」
「なら、いいが」
相変わらず咳は嫌いだと、苦い思いを持て余す。
自分も喉を潤したくて、沖田が汲み上げた水を分けてもらおうと手を伸ばすと、
「ダメです」
沖田はパッと桶を取り上げ、一切の水を足元にぶちまけてしまった。
「まともに私の相手をしてくれない斎藤さんに差し上げる水はありません。ご自分で汲んでください」
「……あのな」
子供か、と呆れ交じりの視線を向けるものの、沖田はどこ吹く風で斎藤に桶を押し付けて伸びをする。
「あーあ。柴さんの一件以来、愁介さんも顔を見せてくれませんし……大丈夫かなぁ、あの人」
そんな独り言に、斎藤は密かに眉根を寄せた。
――明保野亭の一件から半月近くが経つというのに、柴の真っ直ぐな瞳を思い返す度、未だに胸の奥を引っ掻き回される思いがする。
井戸から汲み上げ、口に含んだ水を一度吐き出してから、斎藤は改めて喉を潤した。
「……部屋に戻る」
残った水を捨て、短く言い置いて踵を返す。
「はーい。私はようやく外出許可を得られたことですし、ちょっと壬生寺にでも行ってきますねー」
背に飄々とした声をかけられたが、それに反応を返すことはしなかった。
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