櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章三話 竹取の月 * 元治元年 六月

合体の妨げ

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 玄関に向かうと、沖田の言葉通り、脇の庭にわらわらと数名の隊士が集まっていた。中には助っ人の会津兵も混ざっている。一様に落ち着きがなく、浮足立っている様子だった。

 縁側の上から一望した斎藤の目に、輪の中心に立つ柴の姿が見て取れた。皆が落ち着きのない中で、特に柴の顔色が悪く見えるのは、遠目の錯覚だろうか。

「――おう、斎藤。起きたのか」

 声をかけるべきか逡巡していると、輪の中に混じっていた原田が斎藤に気付き、軽く手を上げた。困ったような顔で首元を引っかきながら歩み寄ってくる。

 斎藤はその場に膝をついて、これ幸いと原田に問いかけた。

「何事ですか」
「やー、俺もよくわかんねーんだけどよ。何か柴さんが御用改めで誰かを召し捕らえたらしいんだけど、それがマズいとかマズくないとか……」
「召し捕らえてまずい? どういうことです?」
「頭が合体でどうのこうの言ってたぜ」

 何の話だそれは。斎藤は眉をひそめた。

「――柴さん」

 斎藤が改めて柴を呼ぼうとした時、背後から別の声が割り込んできた。

 振り返ると、後を追ってきたのか、愁介が表情を引き締めて立っている。

「……ああ、総司に、会津の人間も騒ぎの中にいたって聞いてさ」

 斎藤の視線に気付いた愁介は、問いかけるまでもなく答えて苦笑した。

「愁介様!」

 輪の中にいた会津の兵達が、愁介の姿を認め、揃って集い駆け寄ってくる。

 ……愁介様、か。

 彼の存在が認知され、かつ敬称で呼ばれていることに少々驚いた。いや、「普段は殿の側近をしている」と言っていたので別段おかしくはないのだが、つい数日前までその存在を知らなかった斎藤には、まだ慣れない。

 心中複雑な思いを抱きながらも、斎藤はひとまず口を閉ざして様子を見ることにした。

「何かあったの?」

 愁介は斎藤の隣に同じく膝をつくと、真っ先に柴に問いかけた。柴の動揺が最も大きく見えたのは、愁介もやはり同じだったらしい。

「実は……池田屋の残党の垂れ込みを受け、東山の明保野亭に向かったのですが……」

 柴は顔を青くしたまま、視線を下げてとつとつと語った。

「御用改めにて料亭の各部屋を見回ったところ、特に不審な者はおらず……ただ、浪士風の男が一人、目に留まりましたので、出自を問うたのです」
「柴さんが?」
「はい。しかしそうしましたら、相手がこちらに背を向けて逃げようと致しまして……」

 そこまで聞いた時、柴の隣にいた別の兵が、柴を気遣うように言葉を継いだ。

「その時、隊を率いておられた新選組の武田殿が『逃がすな、捕らえよ』と叫ばれまして、柴殿を先頭に我々がその男を追うこととなりました。しかし神妙にせよと訴えても相手は受け入れず、それどころか抜刀してまいりましたので、柴殿が槍で相手を突いたのです」
「それで、生け捕りにしたの?」

 愁介の問いに、皆が揃って首を縦に振る。

「しかし実は、私が怪我を負わせ、生け捕った相手が……土佐の者だったというのです。浪士ではなく、れっきとした土佐山内家のご家臣で、麻田時太郎という者だと」

 ぼそりと返された柴の呟きに、愁介は大きく目を瞠った。

 同じく斎藤も思わず顔を強張らせる。

 ――それは確かに、厄介なことをしてくれた。

 思うが、傍らにいた原田は事の重大さを全く理解していないようで、噛み切れない何か転がすように口をもごもごさせながら斎藤の腕をつついてきた。

「……で、結局、何がマズいんだ?」

 斎藤は小さく息を吐くと、原田に「ですから」と淡々と言葉を返す。

「会津と土佐は、共に公武合体を目指す間柄です。ささいなことでも、いさかいは共に手を取り合おうとしている両家にとって望ましくありません。それが原因で関係にヒビが入らないとも限りませんから」
「待った。だからその頭部ヽヽ合体って何なんだ。頭の合体ってことは、何か。国の頭かどっかが合体すんのか」
「……頭部ではありません、公武ヽヽ合体です」

 斎藤の脳裏を、今朝方永倉が口にしていた「時折、左之が馬鹿なのか阿呆なのかわからなくなる」という言葉がかすめていった。

「原田さんのおっしゃることも、当たらずしも遠からずですが……要は公が朝廷、武が幕府です。公と武が共に手を取り合い、異国を共通の外敵と認識し、協力し合って国を盛り立てていこうという働きかけのことです」

 説明すると、理解したのかしていないのか、原田はひとまず神妙な顔をして「ほぅん」と短い相槌を打った。

「とにかく、その公武合体に先駆けて手をたずさえるべき会津と土佐の間で刃傷沙汰など、もっての外ということですよ」

 斎藤の率直な言葉に、柴が小さく肩を跳ねたのが視界の端に映る。

「今頃、黒谷にも伝令が行っているとは思いますが……私は一体、どうすれば……」

 拳を震わせる柴を見て、愁介は指の節を口元に当てながら神妙に言った。

「……斎藤。もうしばらく、兵達をこの屯所で預かってもらうことって、できる?」
「私の一存では何とも」

 答えると、愁介は片手で額を覆い、思案するようにうな垂れた。

「……どうなさりたいのです?」

 抑揚のない声で問い返せば、兵らが不安げな表情で斎藤と愁介、交互に目をやる。

 愁介はすぐさま凛と表情を引き締めた。顔を上げ、毅然と斎藤に向き直る。

「お前の言った通り、会津と土佐は今、いさかいを起こしちゃいけない間柄にある」
「つまりそれは、新選組に罪を負えということでしょうか? まぁ確かに、元は武田さんの命だったようですから、今ならまだ可能でしょうが」

 淡々と受け答えた途端、原田は勿論、その場にいた新選組の隊士達が全員ぎょっと目を剥いてざわついた。

 ところが愁介と柴は間髪容れず声を張り上げ、

「そんなわけにはいかない!」

 見事に重なった強い言葉に、一瞬にして場が鎮まる。

「……オレはそういうことを言いたいんじゃないよ、斎藤」

 愁介は膝を進め、軽く身を乗り出して訴えるように続けた。

「聞く限り柴さんに落ち度はなかった。それでも今、黒谷に柴さんや他の兵を戻せば、性急な判断を柴さんに迫る人が必ず出る。それを避けたいんだ。だから最低限、会津が落ち着いて判断できるようになるまで、新選組にみんなを置いて欲しいんだよ」
「――構わねぇぞ」

 真摯な愁介に答えたのは、斎藤のものではない、低く掠れた低音だった。

 顔を上げると、廊下の奥から報告を受けたらしい土方がやって来る。

「土方さん……」

 どこか気の抜けたような声を出す愁介に、土方はフンと面倒くさげに息を吐いた。それでも愁介の前まで来ると姿勢を正して膝をつき、芯のある声できびきびと告げる。

「手を下したのが柴殿とは言え、命を出したのはウチの武田だ。今回の件、組の落ち度に他ならない」
「いや、しかし……!」

 口を挟もうとした柴を、土方は一瞥して黙らせた。

 それから再び愁介に目をやり、軽く頭を下げて言葉を続ける。

「近藤局長が先ほど黒谷に向かわれた。局長も実直な慎重派だ。一件を充分に理解していらっしゃる。悪いようにはさせません、沙汰が来るまで屯所で待機されるがよろしかろう」

 愁介はまぶたを閉じると、細く長い息を吐き出した。

「……感謝申し上げます」

 両手を床板につき、土方に深々と頭を下げる。

 そんな愁介にならい、柴をはじめ他の会津兵達も、揃って土方に深く一礼した。

 ――色々と、こじれなければいいのだが……。

 危ぶみながら、斎藤は静かに愁介の背中を眺めたのだった。
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