櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
上 下
43 / 175
◆ 一章三話 竹取の月 * 元治元年 六月

かぐや姫《過去》

しおりを挟む
「かぐや姫みたいに、月に帰りたいとか言わないでくださいね?」

 一は思わず足を止めて、叱るように言った。

 葛はくすぐったそうに笑いながら、澄んだ瞳を一に返す。

「おれ、たしかに『ふつう』じゃないけど、別にかぐや姫でもないよ」
「それは、そうですけど……」

 どう表せばいいのか。綺麗な白紙に墨を一滴落とされたような心地の悪さが、一の胸をざわつかせた。続く言葉を出せず、もごもごと空気を噛む。

「……そういえばさぁ。かぐや姫が月に帰った後、おじいさんやおばあさんって、どうしたんだろうね」

 一が口ごもっていると、葛は頬に笑みを乗せたまま視線を下げて、足元の草を蹴った。

「……さあ。そこは物語には書かれてませんから」
「一なら、どうしたと思う?」

 小首をかしげられ、一は思わず口をへの字に曲げた。

「……むずかしいことを訊かないでください。俺、計算ほどじゃないですけど、文学も別に得意ってわけじゃないんです」
「文学とかどうでもいいよ。一はどうするのかなーって思っただけ」

 明るい口調とは裏腹に、葛の瞳は妙に頼りなげに揺れていた。

 寂しげな表情に胸が締め付けられる。一は繋いだままの手に、ぎゅっと力を込めた。

「……月へ行く方法を、さがします」

 真っ直ぐ目を見て答えると、葛は一瞬、今にも泣き出しそうに表情を歪めた。

「一は、ダメだよ」
「……何がですか」
「月に行くなんて、ぜったいダメ」

 ぴしゃりと言って、今度は葛が一の手を引いて歩き出した。

 面食らいながら、たたらを踏みそうになった足を動かし葛の後につく。林の木々が邪魔で隣に並べず、葛の顔を見られないのがもどかしく感じられた。

「俺は月になんて、行きませんよ。俺は、ずっと葛さまの側にいます」
「うん、そうだね。だからおれが月に行っても、お前は来ちゃダメだよ」

 さらりと命じられ、一は大きく目を瞠った。

「だから……っ!」

 一は無理やり足を止め、葛を思い切り引っ張った。

 わっと背中から倒れこんでくる小さな体を、腕いっぱいに抱きとめる。

 目を丸くする葛を上から覗き込んでめ下ろし、一は声を荒らげた。

「嫌ですからね! 月になんて、ぜったい行かせません!」
「……だから、おれはかぐや姫じゃないよ?」
「あなたが言ったんでしょう!?」

 横っ面を張るような一の剣幕に、葛はビクリと首を引っ込めた。

「おねがいですから、そういう……そんなこと、言わないでください……」

 情けなく声を震わせながら、懇願する。

 少しして、葛は体の向きを変えると、おもむろに一の胸に額をこすりつけてくる。

「……ごめんなさい……」

 か細い声に、一もようやく我を取り戻した。

「あ……すみません、大きな声を……」
「いいよ。一だけだもん。一しか言ってくれないし、一にしか言えないから、いいよ」
「葛さま……」

 一は葛の小さな背に片腕を回し、痛いかもしれないほどに強く抱き締めた。

 そしてもう片方の手で、だらりと力なく垂れ下がっていた葛の手を握り締める。

「……安心してください。ぜったい、月になんて行かせませんから。こうして手をつないでいれば、月になんて飛んでいけないでしょう?」

 努めて声をやわらげて告げると、「……うん」と、安堵したような相槌が返ってくる。

 繋いだ手にもやんわりと力が込め返され、一もほっと息を吐いた。

「帰りましょう。それに、そろそろ眠らないと」
「……いっしょに、寝てくれる?」
「いいですよ。手をつないで寝ましょう」

 顔を上げた葛は、大きな瞳をたわめて嬉しそうに微笑んでいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。 ⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。 ⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。 ⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/ 備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。 →本編は完結、関連の話題を適宜更新。

よあけまえのキミへ

三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。 落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。 広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。 京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。 新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。 武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。 ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。 否、ここで滅ぶわけにはいかない。 士魂は花と咲き、決して散らない。 冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。 あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。 伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。 そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。 さて、この先の少年の運命やいかに? 剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます! *この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから! *この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

処理中です...