櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
上 下
21 / 175
◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月

正論と道理

しおりを挟む
「……何だ?」

 土方が押さえつけるような重低音を発する。斎藤はその声を追うように後ろを見やった。

 試衛館組の後列に座していた助勤達は、土方に圧されて二の句を告げず、しかし何か納得がいかないとでもいうように、互いに視線を交差させていた。

「……土方くん。総出、というのは私も聞いていないな」

 不意に、助勤達の思いを汲み上げるように山南が声を上げた。

 山南は眼鏡を指先で押し上げると、柔和ながらも思慮深い視線を土方に向ける。

「敵も古高を取り戻そうと、屯所に奇襲をかけてくるかもしれない。それに今、隊士達の間で夏風邪が流行っているだろう? 屯所を手薄にしては、まずいのではないかな」

 その慎重な言に、助勤達が同意するように息を吐いた。

 正論である。ここで古高を奪還されては意味がないし、こちらが動いている間に屯所を壊滅させられたのでは目も当てられない。

「馬鹿くせえ」

 しかしそんな正論を、土方は上段からぶった斬った。面倒くさそうに髪をかき上げ、冷ややかな視線を山南に返す。

「山南さんの言う通り、古高を奪い返されるのは確かにまずい。よって監察数名の手で、奴の身柄は秘密裏に別の場所へ移すとしよう。だが、風邪っ引きなんざ知ったことか。自分の体調すら管理できねえ奴らを護るために、ただでさえ少ない人員を裂けるか」
「……屯所が、どうなろうと構わないと?」

 山南が困ったように眉尻を下げた。

 土方はフンと不敵に口の端を上げ、肩をすくめて近藤に目を向けた。

「屯所なんざ、別にどこだっていいんだ。新選組は『屯所』にあるんじゃねえ、局長のいる場所に成り立つ組織だ。ここが無事なら戻ってくる。ここが落ちるなら、拠点を別に移すまでのこと」

 乱暴な言葉だった。屯所にいる仲間を見捨てるようにも聞こえ、横暴でさえあった。

 しかし、これはこれで道理でもあった。

「……なるほど。言葉は荒いけれど、我が身は我が身で護ってこそ武士、ということかな」

 助勤達は絶句したように口を開いていたが、山南だけは、土方の言葉を補足するように微笑みを浮かべた。それこそ、絶句している者達に、土方の言が道理であると伝えるかのように。屯所にいる者達を見捨てるのではない、風邪を引いているとはいえ動ける数人の武士が屯所に残るのだから、ここは彼らに預ける。土方の言葉はそういう意味なのだと、諭すように――。

「屯所の采配は山南さん、あんたに任せるよ」

 構わないですね局長、と土方が確認を取ると、近藤は神妙に頷いて、わずかに目元を和ませながら山南に視線を投げた。

「山南さんも風邪を引かれているそうですが……申し訳ない。頼みにしています」

 山南は穏やかに笑みを深めて、膝の上に手をそろえ、丁寧に頭を下げた。

「承知しました」

 その後、敵に気取られないよう、動ける隊士達は隊服も身に着けずバラバラに屯所を出て陣に向かうよう指示され、会議はお開きとなった。

 近藤が退室した後、助勤達も各々立ち上がり、伸びをしながら、あるいは今夜への緊張に息を詰めながら部屋を出て行く。

「しかし相変わらず、土方副長と山南副長は仲が悪いなぁ……」
「土方さんの言葉もわかるんだけど、山南さんが不憫に思えちまうよ」

 斎藤も退室しようと立ち上がったところで、廊下からコソコソと話す声が聞こえた。

 どうせ話すなら、もっと部屋を離れてからにすればいいものを――。

 呆れて吐息が漏れる。するとそこで、斎藤の背後から「ははっ、よく言うよ」と小馬鹿にするような明るい声が上がった。

「山南さんにわからされてるヽヽヽヽヽヽヽとも知らないで」

 顔を向けると、くせのある髪に真紅の結い紐を絡め遊ばせている、洒落者の青年が立ち上がった。青年は、その年若さに似合わぬ「はー、どっこいしょ」なんて掛け声を上げながら、鉄紺の袴のしわを小気味良い音を立ててはたく。

「何が『仲が悪い』だか。信頼あってこそのモンだって、わからないのかな」

 藤堂平助――斎藤や沖田と同い年であり、三人の中ではもっとも年相応な茶目っ気を持つ好青年だ。彼もまた、元試衛館の食客である。真偽のほどは定かではないが、津の国、藤堂和泉守いずみのかみ落胤らくいん(隠し子)という噂もある。その噂に違わぬ、月白の着物がよく似合う、垂れ気味の双眸に強い意志を宿した品のある面立ちをしている。

「ただの山南さんいじめなら、オレが黙ってないっての」

 藤堂は「ね?」と無邪気に歯を見せて、上座に目を向けた。

 黙っていない、というのは、藤堂が誰よりも山南を慕っているがゆえである。二人は試衛館に集う前から北辰一刀流という流派で学んでいた同門同士で、仲が良い。

 既に山南は退室していたが、上座に残っていた土方が藤堂の視線を受け、苦い顔で「知るか」とそっぽを向いた。

 藤堂はクスクス肩を揺らし、「素直じゃないんだからぁ」と頭の後ろで腕を組む。

「ま、わかってるのが試衛館組オレたちだけだからこそ、いわゆる暗黙の了解なんだろうけど? でも多少は手加減してよー、山南さん、割と繊細さんなんだからね」

 藤堂は陽気に言葉を続けて、ひらひらと手を振りながら去っていった。

 他の助勤達も既にいなくなっており、部屋に土方と斎藤だけが残される。

 土方は、ばつ悪そうな視線を斎藤に投げ寄越した。

 斎藤は軽く肩をすくめて、「まあ、毎度よくやるなとは思いますけど」と平坦な声を返すしかない。

 ――今の会議での、山南と土方のやり取り。別に毎回打ち合わせをしているわけではないらしいが、二人は何かあれば、いつもああして軽く言い争い、場を収拾させる。すなわち山南が『正論』を言い、土方が『組の道理』を返して貫き通すことで、他の者から上がるかもしれない『反論』をけん制するのである。

 少々回りくどい気もするが、これは隊士を納得させ物事を円滑に進めるための、土方と山南の常套手段であった。

 何も知らなければ、矢面に立たされる山南は確かに不憫にも見えるだろう。が、だからこそ、知る者から見れば互いの信頼がなければできないことだと敬意を表す。

「それにしても、よく古高に吐かせましたね」

 斎藤は呟いて、静かに目を細めた。一日も持たさず吐かせるとは見事な手際だと、素直に感心した。

 ――ところが土方は答えず、少し疲れたように薄く口の端を上げただけだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。 ⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。 ⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。 ⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/ 備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。 →本編は完結、関連の話題を適宜更新。

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。 新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。 武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。 ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。 否、ここで滅ぶわけにはいかない。 士魂は花と咲き、決して散らない。 冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。 あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

処理中です...