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◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月
御用改めの通達
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「おい斎藤! お前こんな時によく散歩なんかしてられるな!」
日が西の空に傾きかけた頃、屯所の玄関をくぐったところで、待ちかねていたように奥から永倉が飛び出してきた。斎藤は下駄を脱ぐのもそこそこに腕を取られ、小柄な体のどこにそんな力があるのかと思うほどの強引さで引っ張られる。
「……いえ、こういう時だからこそ頭を冷静にさせようかと」
引きずられるように歩きつつ静かに答えると、
「安心しな、お前はいつだって本当に血が通ってんのかと思うくらい冷静だ」
永倉は褒めているのか貶しているのか、至極真面目にきっぱり答えた。
はあ、と短く返すが、永倉は斎藤の様子など気にも留めず、肩越しに顔を振り向ける。
「もうお前以外の助勤は全員、副長室に集まってんの。枡屋が吐いたってさ」
その言葉に、斎藤はすぐさま表情を引き締めた。
思ったより早かったな――。
考えて、細めた視線を屋敷の離れに向ける。
神妙に受け取ったのが伝わったのか、永倉は斎藤の手を離して「ほら急げ」と軽く駆け足になった。
「局長。斎藤連れてきましたよ」
永倉が副長室に入った後、斎藤も一歩遅れて部屋の敷居をまたいだ。「遅くなりました」と一礼すると、上座に腰を据えている三人と目が合う。近藤と土方、そして近藤の一つ年上で、新選組のもう一人の副長である山南敬助だ。
真ん中に座る近藤が重く頷き、右隣の土方は私情を切り捨てた厳しい視線を斎藤に向けた。そして近藤の反対隣に座る山南は、下がり気味のまなじりに土方と相反する優しい微笑みを浮かべ、頬にかかる癖のない髪をやわらかく揺らした。生成りの着物の袖を押さえ、丸い眼鏡を指で押し上げて「さあ、座ってください」と、陽だまりを音にしたような穏やかな言葉を発する。そのまま、乱れのない鈍色の袴の上に手を正した。
他、彼らに向かい合うように座り、二列を作っていた十人足らずの副長助勤達も、横目で斎藤を見上げていた。
斎藤は局長と副長達に目礼し、前列の隅、永倉の隣に正座した。
「――枡屋の正体がわかった」
それを皮切りに、土方が腹の底に響くような重い声を上げた。
「本名は古高俊太郎。元は江州大津の代官手代で……要は、侍が商人のフリして長州や肥後の奴らを援助してやがったわけだ」
土方はその場にいる全員を睨むように一瞥し、低く続けた。
「いわく、決行は今月――六月の下旬。風の強い日を選んで禁裏御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明帝を長州へ連れ去り、会津侯らを討ち果たす――」
土方の言葉が終わると同時に、近藤と山南を除き、その場にいた全員が息を呑んだ。
――これはまた、何という大それたことを……。
斎藤も表情こそ動かさなかったが、膝の上に乗せていた手をそっと握り締める。
火付けは大罪だ。それを帝のおわす御所で犯すどころか、幕府と朝廷の架け橋である容保を殺し、あまつさえ帝を拉致するなど、普通なら思い付くことさえ困難な所業である。
しかし、やると言ったらやる、それが過激派志士の怖いところでもあった。出自は違えど、一介の名もなき浪士達が幕府の大老を闇討ちした、数年前の桜田門外の変がいい例だ。
「会津侯には、伝えたのかよ……」
横手から掠れた声が上がった。
ちらと目をやると、永倉の反対隣にあぐらをかいていた副長助勤――試衛館の元食客でもある原田左之助が、土方に劣らぬ整った顔を引きつらせ、柳眉をしかめていた。ただでさえ崩し気味の赤銅の着流しが乱れるのも構わず、荒々しく前傾姿勢を取る。
「さすがに『やばい話だな』ってだけじゃ、収まらねぇだろ」
言いながら、原田は永倉より顔半分ほど上に突き出ている長身の短髪を、粗雑な手でかき混ぜた。
「会津侯には先刻、早馬を出した。そろそろ黒谷に着いている頃だろう」
原田の問いに、近藤が落ち着き払った声を返した。近藤はこの一大事に少しも慌てる様子を見せず、袖の中で腕を組んでどっしり構えている。
その貫禄に、わずかに浮き足立っていた部屋の空気が、しんと鎮まった。
が、斎藤は、近藤の瞳が少しばかり揺れていたことに気が付いた。同様に沖田、永倉、原田など、試衛館の門人と食客達も、やはり近藤の小さな緊張を見抜いたらしい。彼らはまるでそれを引き受けるかのように、身にまとう空気を引き締め、背筋を伸ばした。
「……古高が捕まったことで、あちらさんも相当焦ってやがるはずだ。古高が企てを白状する前にどうにかしようと、必ず対策を練るために集会を開くだろう。逆を言えば、よもや敵が『今日中に吐いた』とは思いもよらないだろう今は、好機――」
土方は一旦間を置いて、再び口を開いた。
「今夜、総出で捜索に当たる」
あごを上げ、有無を言わさぬ明瞭さで土方は言った。
「監察の報告によれば、におうのは四条から三条、鴨川の東西に並ぶ料亭と宿場。古高も、そこいら辺りをほのめかすとうろたえていた」
その瞬間、試衛館組を除く助勤達が再び浮き足立ち、ざわついた。
「……何だ?」
土方が、押さえつけるような重低音を発した。
日が西の空に傾きかけた頃、屯所の玄関をくぐったところで、待ちかねていたように奥から永倉が飛び出してきた。斎藤は下駄を脱ぐのもそこそこに腕を取られ、小柄な体のどこにそんな力があるのかと思うほどの強引さで引っ張られる。
「……いえ、こういう時だからこそ頭を冷静にさせようかと」
引きずられるように歩きつつ静かに答えると、
「安心しな、お前はいつだって本当に血が通ってんのかと思うくらい冷静だ」
永倉は褒めているのか貶しているのか、至極真面目にきっぱり答えた。
はあ、と短く返すが、永倉は斎藤の様子など気にも留めず、肩越しに顔を振り向ける。
「もうお前以外の助勤は全員、副長室に集まってんの。枡屋が吐いたってさ」
その言葉に、斎藤はすぐさま表情を引き締めた。
思ったより早かったな――。
考えて、細めた視線を屋敷の離れに向ける。
神妙に受け取ったのが伝わったのか、永倉は斎藤の手を離して「ほら急げ」と軽く駆け足になった。
「局長。斎藤連れてきましたよ」
永倉が副長室に入った後、斎藤も一歩遅れて部屋の敷居をまたいだ。「遅くなりました」と一礼すると、上座に腰を据えている三人と目が合う。近藤と土方、そして近藤の一つ年上で、新選組のもう一人の副長である山南敬助だ。
真ん中に座る近藤が重く頷き、右隣の土方は私情を切り捨てた厳しい視線を斎藤に向けた。そして近藤の反対隣に座る山南は、下がり気味のまなじりに土方と相反する優しい微笑みを浮かべ、頬にかかる癖のない髪をやわらかく揺らした。生成りの着物の袖を押さえ、丸い眼鏡を指で押し上げて「さあ、座ってください」と、陽だまりを音にしたような穏やかな言葉を発する。そのまま、乱れのない鈍色の袴の上に手を正した。
他、彼らに向かい合うように座り、二列を作っていた十人足らずの副長助勤達も、横目で斎藤を見上げていた。
斎藤は局長と副長達に目礼し、前列の隅、永倉の隣に正座した。
「――枡屋の正体がわかった」
それを皮切りに、土方が腹の底に響くような重い声を上げた。
「本名は古高俊太郎。元は江州大津の代官手代で……要は、侍が商人のフリして長州や肥後の奴らを援助してやがったわけだ」
土方はその場にいる全員を睨むように一瞥し、低く続けた。
「いわく、決行は今月――六月の下旬。風の強い日を選んで禁裏御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明帝を長州へ連れ去り、会津侯らを討ち果たす――」
土方の言葉が終わると同時に、近藤と山南を除き、その場にいた全員が息を呑んだ。
――これはまた、何という大それたことを……。
斎藤も表情こそ動かさなかったが、膝の上に乗せていた手をそっと握り締める。
火付けは大罪だ。それを帝のおわす御所で犯すどころか、幕府と朝廷の架け橋である容保を殺し、あまつさえ帝を拉致するなど、普通なら思い付くことさえ困難な所業である。
しかし、やると言ったらやる、それが過激派志士の怖いところでもあった。出自は違えど、一介の名もなき浪士達が幕府の大老を闇討ちした、数年前の桜田門外の変がいい例だ。
「会津侯には、伝えたのかよ……」
横手から掠れた声が上がった。
ちらと目をやると、永倉の反対隣にあぐらをかいていた副長助勤――試衛館の元食客でもある原田左之助が、土方に劣らぬ整った顔を引きつらせ、柳眉をしかめていた。ただでさえ崩し気味の赤銅の着流しが乱れるのも構わず、荒々しく前傾姿勢を取る。
「さすがに『やばい話だな』ってだけじゃ、収まらねぇだろ」
言いながら、原田は永倉より顔半分ほど上に突き出ている長身の短髪を、粗雑な手でかき混ぜた。
「会津侯には先刻、早馬を出した。そろそろ黒谷に着いている頃だろう」
原田の問いに、近藤が落ち着き払った声を返した。近藤はこの一大事に少しも慌てる様子を見せず、袖の中で腕を組んでどっしり構えている。
その貫禄に、わずかに浮き足立っていた部屋の空気が、しんと鎮まった。
が、斎藤は、近藤の瞳が少しばかり揺れていたことに気が付いた。同様に沖田、永倉、原田など、試衛館の門人と食客達も、やはり近藤の小さな緊張を見抜いたらしい。彼らはまるでそれを引き受けるかのように、身にまとう空気を引き締め、背筋を伸ばした。
「……古高が捕まったことで、あちらさんも相当焦ってやがるはずだ。古高が企てを白状する前にどうにかしようと、必ず対策を練るために集会を開くだろう。逆を言えば、よもや敵が『今日中に吐いた』とは思いもよらないだろう今は、好機――」
土方は一旦間を置いて、再び口を開いた。
「今夜、総出で捜索に当たる」
あごを上げ、有無を言わさぬ明瞭さで土方は言った。
「監察の報告によれば、におうのは四条から三条、鴨川の東西に並ぶ料亭と宿場。古高も、そこいら辺りをほのめかすとうろたえていた」
その瞬間、試衛館組を除く助勤達が再び浮き足立ち、ざわついた。
「……何だ?」
土方が、押さえつけるような重低音を発した。
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