7 / 159
◆ 一章一話 池田屋の桜 * 元治元年 六月
馬の耳に念仏
しおりを挟む
「土佐ァ?」
ひっくり返ったひと言で、部屋に張られていた緊張の糸が、あっさり断ち切られる。
土方は引きつったようにこめかみを震わせた。それを見た近藤が、神妙にしていた表情をおかしそうにゆるませる。
そして沖田も、今までの硬い声音はどこへやら、
「あっは、そうなんです、長州の方じゃなかったんですよ! 珍しく外れちゃいましたねえ、土方さんの勘!」
楽しげに喉を鳴らして、土方の苦い顔を「変な顔!」と指差した。
「……まあ、そういうことです」
斎藤の締めの言葉に、土方は「げえっ」と眉根を寄せ、あからさまにやる気の失せた顔をした。乱暴に髪をかき混ぜて、荒々しく片膝を立てる。
厳しくも落ち着きのあった雰囲気が一変し、凛としていた居住まいが、さながらヤクザ者のようにガラ悪くなった。
「ああ、くそっ、うざってえ! 何のためにお前ら二人に行かせたと……」
「無駄だったなあ」
「頼む近藤さん、無駄とか言わねぇでくれ」
「ねえ斎藤さん、やっぱり『大した用』じゃなかったですね。むしろ雑用って言っても良かったかもしれませんよ」
寄越された言葉に、斎藤は片方の肩をすくめるようにして首をかしげた。否定はできないが、かと言って肯定もしにくい。
案の定土方は「馬鹿か、雑用とか言うな」と、また沖田の膝頭を蹴った。
痛いなあと眉根を寄せる沖田に笑みを向けた近藤が、けれどそこでふと顔をしかめ、腕を組む。
「だが、その者達も尊王攘夷はともかく、何故それを幕府側に訴えるでなく人を斬ろうとするのかね。けしからん」
生真面目な呟きに、土方が鼻で笑って軽く手を振った。
「そりゃ近藤さん、あれだ。人を斬ることで訴えたいんだろうよ、新選組は、引いて徳川は弱いってな」
「まあ、結果的にはこちらが強かったわけですけどね。ああいう人達って、何かズレてる気がするんですよねえ」
「そういうところが許せんのだ。二百余年もの間、国を治めてくださっているのは徳川様だぞ。その恩義を仇で返すとは、不忠義にも程がある」
眉をつり上げて切り捨てる近藤に、沖田は眩しいものを見るように目を細めた。
「ああ、そう言えば私もお説教されちゃいましたよ。思想ぐらいは持ちなさいとか言って」
明るく打ち明けた沖田に、土方がクッと肩を震わせる。
「馬の耳に念仏だな」
その言葉は、考えようによっては浪士達以上に沖田を貶すことになるのだが……。
しかし当の沖田は、褒められたかのように「ですよねぇ」なんて瞳を和らげた。
「私は国のための思想なんて、どうでもいいですもん。近藤先生と土方さんについて行くだけなので。近藤先生が徳川様に尽くすとおっしゃられるなら、私もそうするのみです」
それは、清々しいほどに迷いのない言葉だった。
土方は沖田の言葉が当然だとでも言うようにあごを上げ、近藤は「少しは学んだ方がいいぞ」と言いながらも、嬉しそうに頬をゆるめていた。
「先生、私は学ぶのは苦手なんです」
澱みなく答えつつも、沖田は困ったように頭をかく。それを土方が意地悪く口角をつり上げながら見下ろし、「何せ剣の腕は一品でも、おつむはお子様だからな」と嘲笑した。
「お前、もうちっと斎藤を見習えや。どうせさっき叫んでたのだって、斎藤はもっと別の意味で言ったんじゃねえのか? それをいちいち面白おかしくわめき立てやがって。お子様。なあ、総司。お子様」
「ちょっと土方さん、何ですかその言い方、いやらしい!」
「はははっ、まぁまぁ総司、そう目くじらを立てるな」
「――あの、土方さん」
余談に収束の兆しが見えなかったので、斎藤はやむなく和やかな空気に割り込んだ。
控えめに名前を呼んだところで、土方は別段気を悪くした風もなく「うん?」とあごを引く。
「話を切って申し訳ありませんが、今回の輩は、結局『幕府の犬だから』という理由だけで、闇雲に隊士を狙ってくるような奴らでした。お世辞にも思慮深い行動とは言えません。残りの取調べは奉行所に任せていますが、やはり長州側との繋がりは期待できないと思うのですが」
至極真面目に仕事の話を蒸し返すと、土方は思い出したように「ああ」と頷いた。
「まあ、そうだろうな。先年の政変以来、本来なら長州モンは都への立ち入りを禁止されてるわけなんだからよ。実際は繋がりなんざ、見つからないのが一番平和なんだろうが」
言って、思案するように髪をかき上げる。
そこへ近藤が真摯に続けた。
「どの道、長州勢が密かに京入りしているだなんて噂が絶えん限り、我々は片っ端から動くのみだよ。不穏なことは、できる限り未然に防がねば」
土方は「ああ、そうだな」と首肯する。が、その割には大して緊迫した様子もなく、気の抜けるような吐息と共に「まあ今回は駄目だったが、その内どうにかなるだろ」なんてことを言った。
「アテでもあるんですか?」
問えば、土方は含みのある表情で「まあな」とあごを撫でる。
「……永倉さんですか」
「さすが斎藤、鋭いな。ま、永倉に頼んだのは現状あくまで待機だが。今は監察方の報告待ちってところだ」
「報告待ち……」
「聞きたいか?」
アテの仔細を、ということだろう。
しかし斎藤は無表情のまま、首を左右に振った。
「今は遠慮します。次第がある程度明確になったところで教えていただければ、それで充分です」
「淡白だな」
斎藤はもう一度静かに首を振る。
「……興味がないだけです。ある意味では都合がいいだけかもしれません。組が動く際の重要なことだけを教えてくださいと言っているのですから」
「いや、それでいい。お前のそういうところを、俺は買ってる」
土方は笑みを深めて、満足げに前傾姿勢を取った。
「それは――」
――そのほうが『駒』として、使い勝手がいいからですか?
訊けるはずもない言葉が喉元にせり上がり、斎藤はとっさに息を止めた。
ひっくり返ったひと言で、部屋に張られていた緊張の糸が、あっさり断ち切られる。
土方は引きつったようにこめかみを震わせた。それを見た近藤が、神妙にしていた表情をおかしそうにゆるませる。
そして沖田も、今までの硬い声音はどこへやら、
「あっは、そうなんです、長州の方じゃなかったんですよ! 珍しく外れちゃいましたねえ、土方さんの勘!」
楽しげに喉を鳴らして、土方の苦い顔を「変な顔!」と指差した。
「……まあ、そういうことです」
斎藤の締めの言葉に、土方は「げえっ」と眉根を寄せ、あからさまにやる気の失せた顔をした。乱暴に髪をかき混ぜて、荒々しく片膝を立てる。
厳しくも落ち着きのあった雰囲気が一変し、凛としていた居住まいが、さながらヤクザ者のようにガラ悪くなった。
「ああ、くそっ、うざってえ! 何のためにお前ら二人に行かせたと……」
「無駄だったなあ」
「頼む近藤さん、無駄とか言わねぇでくれ」
「ねえ斎藤さん、やっぱり『大した用』じゃなかったですね。むしろ雑用って言っても良かったかもしれませんよ」
寄越された言葉に、斎藤は片方の肩をすくめるようにして首をかしげた。否定はできないが、かと言って肯定もしにくい。
案の定土方は「馬鹿か、雑用とか言うな」と、また沖田の膝頭を蹴った。
痛いなあと眉根を寄せる沖田に笑みを向けた近藤が、けれどそこでふと顔をしかめ、腕を組む。
「だが、その者達も尊王攘夷はともかく、何故それを幕府側に訴えるでなく人を斬ろうとするのかね。けしからん」
生真面目な呟きに、土方が鼻で笑って軽く手を振った。
「そりゃ近藤さん、あれだ。人を斬ることで訴えたいんだろうよ、新選組は、引いて徳川は弱いってな」
「まあ、結果的にはこちらが強かったわけですけどね。ああいう人達って、何かズレてる気がするんですよねえ」
「そういうところが許せんのだ。二百余年もの間、国を治めてくださっているのは徳川様だぞ。その恩義を仇で返すとは、不忠義にも程がある」
眉をつり上げて切り捨てる近藤に、沖田は眩しいものを見るように目を細めた。
「ああ、そう言えば私もお説教されちゃいましたよ。思想ぐらいは持ちなさいとか言って」
明るく打ち明けた沖田に、土方がクッと肩を震わせる。
「馬の耳に念仏だな」
その言葉は、考えようによっては浪士達以上に沖田を貶すことになるのだが……。
しかし当の沖田は、褒められたかのように「ですよねぇ」なんて瞳を和らげた。
「私は国のための思想なんて、どうでもいいですもん。近藤先生と土方さんについて行くだけなので。近藤先生が徳川様に尽くすとおっしゃられるなら、私もそうするのみです」
それは、清々しいほどに迷いのない言葉だった。
土方は沖田の言葉が当然だとでも言うようにあごを上げ、近藤は「少しは学んだ方がいいぞ」と言いながらも、嬉しそうに頬をゆるめていた。
「先生、私は学ぶのは苦手なんです」
澱みなく答えつつも、沖田は困ったように頭をかく。それを土方が意地悪く口角をつり上げながら見下ろし、「何せ剣の腕は一品でも、おつむはお子様だからな」と嘲笑した。
「お前、もうちっと斎藤を見習えや。どうせさっき叫んでたのだって、斎藤はもっと別の意味で言ったんじゃねえのか? それをいちいち面白おかしくわめき立てやがって。お子様。なあ、総司。お子様」
「ちょっと土方さん、何ですかその言い方、いやらしい!」
「はははっ、まぁまぁ総司、そう目くじらを立てるな」
「――あの、土方さん」
余談に収束の兆しが見えなかったので、斎藤はやむなく和やかな空気に割り込んだ。
控えめに名前を呼んだところで、土方は別段気を悪くした風もなく「うん?」とあごを引く。
「話を切って申し訳ありませんが、今回の輩は、結局『幕府の犬だから』という理由だけで、闇雲に隊士を狙ってくるような奴らでした。お世辞にも思慮深い行動とは言えません。残りの取調べは奉行所に任せていますが、やはり長州側との繋がりは期待できないと思うのですが」
至極真面目に仕事の話を蒸し返すと、土方は思い出したように「ああ」と頷いた。
「まあ、そうだろうな。先年の政変以来、本来なら長州モンは都への立ち入りを禁止されてるわけなんだからよ。実際は繋がりなんざ、見つからないのが一番平和なんだろうが」
言って、思案するように髪をかき上げる。
そこへ近藤が真摯に続けた。
「どの道、長州勢が密かに京入りしているだなんて噂が絶えん限り、我々は片っ端から動くのみだよ。不穏なことは、できる限り未然に防がねば」
土方は「ああ、そうだな」と首肯する。が、その割には大して緊迫した様子もなく、気の抜けるような吐息と共に「まあ今回は駄目だったが、その内どうにかなるだろ」なんてことを言った。
「アテでもあるんですか?」
問えば、土方は含みのある表情で「まあな」とあごを撫でる。
「……永倉さんですか」
「さすが斎藤、鋭いな。ま、永倉に頼んだのは現状あくまで待機だが。今は監察方の報告待ちってところだ」
「報告待ち……」
「聞きたいか?」
アテの仔細を、ということだろう。
しかし斎藤は無表情のまま、首を左右に振った。
「今は遠慮します。次第がある程度明確になったところで教えていただければ、それで充分です」
「淡白だな」
斎藤はもう一度静かに首を振る。
「……興味がないだけです。ある意味では都合がいいだけかもしれません。組が動く際の重要なことだけを教えてくださいと言っているのですから」
「いや、それでいい。お前のそういうところを、俺は買ってる」
土方は笑みを深めて、満足げに前傾姿勢を取った。
「それは――」
――そのほうが『駒』として、使い勝手がいいからですか?
訊けるはずもない言葉が喉元にせり上がり、斎藤はとっさに息を止めた。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
パパー!紳士服売り場にいた家族の男性は夫だった…子供を抱きかかえて幸せそう…なら、こちらも幸せになりましょう
白崎アイド
大衆娯楽
夫のシャツを買いに紳士服売り場で買い物をしていた私。
ネクタイも揃えてあげようと売り場へと向かえば、仲良く買い物をする男女の姿があった。
微笑ましく思うその姿を見ていると、振り向いた男性は夫だった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる