上 下
10 / 12

引き分けの花嫁

しおりを挟む
 二人のプレイヤーのどちらもが相手にはっきり勝ちたい、最後まで諦めないときめたなら、途中での投了も引き分け交渉もなしだ。そうなると白と黒の軍勢はチェックメイトを目指して最後まで死力を尽くす運命となる。

 オレの説明も大詰めだ。ここでチェックメイト関連を振り返っておこうか。

 チェックとは、キング以外の駒を相手のキングへの攻撃を行えるマスに動かして次で討ち取るのを示す一手のことだ。チェックの状況を並べていこう。


 黒がビショップを繰り出して白キングにチェックをかけた。白は次の一手でキングへの攻撃をかならず防がなければならない。チェックの防ぎ方は、キングを動かす、他の駒に盾となってもらう、チェックしてきた駒をとる、だ。たとえばこうだ。


 白はポーンを前進させ黒ビショップの攻撃が白キングに届かないようガードしてチェックを防いだ。

 別の盤面で見てみよう。


 白がビショップを動かし、c6のマスにいた黒ナイトをぶっ飛ばしてそこを占拠、黒キングにチェックをかけた。黒はこれをふせがにゃいかん。


 黒は白ビショップをポーンでとって反撃しチェックを外した。

 キングを動かすのは次のような局面だ。


 黒がキングを動かして後ろにひかえているルークの射線を白キングまでのばしてチェックをかけた。


 対して白はキングを動かしてルークの射線から逃げ出し、チェックを外した。


 チェックしてきた駒をキング自身がやっつけるのもありだ。 


 白はビショップをf7のマスに突っ込ませてそこのポーンをとり、強引にチェックをかけた。


 黒はキングでもってビショップを倒した。これで黒のキャスリングの権利は失われるが、ポーンとビショップの取引と考えれば上々だ。

 チェックはいくら数を積み上げても勝ちにならないし、されても負けにはならない。されてもあせらないのが大切だ。敵のクイーンがチェックをかけてきた時のプレッシャーなんてすごいもんだ。だがとにかくあせらないことだ。動揺して得することはひとつもありゃせん。

 チェックがチェックメイトと判定されて勝敗が決するのは、チェックを受けたキングがどうやってもそれを防ぐことができない時だ。かわしようのないチェック、それがチェックメイトだ。

 ちょっとした問題を出すぞ。気楽に考えてみてくれ。

 白がルークをぐんと進めてチェックをかけた。黒キングは逃げ切れるだろうか。


 さてどうだい。





 残念ながら逃げ切るのは無理だ。赤丸で示した黒キングの移動できるマスはどこもふたつの白ルークの攻撃が直射している。チェックメイトだ。



 これはどうだろう。黒がクイーンを斜めに進ませて白キングの真ん前においてチェック。白キングに方策はあるか。

 どう思う?





 白にできることはない。緑丸で示した白キングの移動できるマスすべてに黒のキングとクイーンの攻撃が効いてる。クイーンをとろうとしてもその後ろの黒キングの反撃でやられるから自害にあたって駄目。チェックメイトだ。


 別方向からのチェックも見てみよう。黒クイーンがこう飛んでチェックをかけてきたらどうだろうか。白キングはまだ逃げられるだろうか。

 さあ今度はどうだ。 





 これも無理だ。クイーンは障害物がなければどこまでも進めるから、横には逃げられない。前方にでれば黒キングの攻撃範囲。チェックメイトだ。



 どうだい、わかってきたかい。チェックされてどうにもならない、それがチェックメイト、詰みだ。こういう風に追い詰めた方が勝ち、やられた方が負けと決まる。盤面ではっきり勝敗が決まり、説明できるわけだ。

 チェスってのはガンガン駒を押し出していって相手のキングが動けないようにしてしまえば勝ち、そういうとらえかたもできる。駒が減ろうが残り時間がわずかだろうがとにかくチェックメイトできれば勝利だからな。

 だがここに落とし穴がある。メイトにはチェックメイトのほかにもう一つ、ステイルメイトってのがあってな。これがやっかいなんだ。

 ステイルメイトはチェックメイトと同じく盤面の状況で決まるから、誰が見たってそうだ。しかしなれるまではわかりづらい。

 二つのメイトの分かれ目を示そう。


 配下が全滅した白キングが隅に追い込まれ、絶体絶命の状況だ。次は黒の番、クイーンを動かせば勝利決定。

 と、ここで黒はこうクイーンを動かした。どうだ、白の王様め、身動きがとれまい、チェックメイトだといわんばかりだ。たしかに白キングはもうどこにも行けない。移動できるマスはすべて黒のキングとクイーンの攻撃範囲だ。ならチェックメイトかというと、違う。

 これはチェックメイト……ではなくステイルメイトだ。ここで試合は終了となり、結果は引き分けだ。黒は自らの最後の一手で勝ちを逃して引き分けにしてしまったのさ。

 もしも黒がクイーンをこう動かしていたらチェックメイトだった。違いがわかるかい。


 チェックメイトは、「チェックされた」キングがそれをはずすことができない状況だ。対してステイルメイトは、「チェックされていない」キングがどこにも動けず、キング以外の駒も動かせない状況だ。そしてステイルメイトになったら引き分けで試合終了と決められている。

 追い詰められた白の王様はこう考えているのかもしれん。「ものは考え様じゃ。わしはもう勝つことはできぬが、うごかなければ負けることもない。負け戦かと思うたがあきらめないで良かったわい」。

 黒の王様は歯ぎしりして悔しがっているにちがいない。勝っていた戦を自分のヘマで引き分けにしちまったんだからな。

 こういう風に、ステイルメイトは優勢な方が負うことになるリスクで、不利な方には最後の希望だ。

 とはいえ負けている側が狙ってステイルメイトに持ち込むのはとても難しく、勝っている側がうっかりステイルメイトにしてしまうのがありがちでな。自分が優勢な終盤戦エンドゲームは要注意だ。持ち時間が残り少ないとやっちまう恐れはより強まる。

 優勢時にステイルメイトを避けるのに有効な手立ては、相手の駒をとりすぎないことだ。まるで原則と矛盾しとるような話だ。チェスでは相手を追い詰めすぎてはいかんのだ。手負いの獣は恐ろしく、狩人の足元は刻一刻と暗くなる。このさじ加減の難しさがいい味を出しとるのさ。

 さっきの黒がチェックメイトを逃した局面で、もしも白のポーンが一つ残っていたらどうだったかを見てみよう。


 白キングが動けないのは一緒だが、まだ盤上に残ってる白ポーンは動ける。こうなるとルール上、白はポーンを一マス進める手を指すしかない。そして黒には再びチェックメイトの機会がめぐってくる。白に駒が残っているためにステイルメイトが成立しなかったのさ。

 ステイルメイトについてはこんなところで、他の引き分け規定にうつろう。これらは要はどちらもキングを詰ませるのが難儀になってきたら引き分けにしようじゃないかというものだ。申し出と違って合意を必要としないのが特徴だ。ただしその一以外は申請が必要だ。細かく言えば自分が手を指す前に申請する決まりがあるが、その辺は追々覚えればいいだろう。まあどれも最初は右から左へ聞き流してもかまわんくらいのもんだ。



 引き分け判定条件その一。戦力不足。

 チェスの駒は一度やられると二度と盤上に戻れないから、駒が減りすぎてチェックメイトが不可能になる状況が生まれる。わかりやすいのは究極の、双方のキングのみが残ってるやつだな。キングの性質上そうなったら絶対に勝敗がつかないのがわかるだろう。引き分け確定だ。

 キング以外にどちらかにクイーン、ルーク、ポーンが一つ残っていればまだチェックメイトが成立する可能性があるので試合は続行できる。ポーンはプロモーションがあるからだな。

どちらかがビショップを二つとも残していればこれも可能性ありだ。

ビショップとナイトのコンビも可能性あり。

ビショップかナイトが一つだけは不可能、戦力不足で引き分けだ。

 ややこしいのがどちらかがナイトを二つ残している場合で、これは孤立無援の方のキングが逃げ回れば決着がつかんが、非常に複雑な現実離れした手順を踏んでわざとチェックメイトになることは可能だそうで、そのせいで戦力不足からの引き分けは申請できんことにされとる。これじゃあ永遠に判定が下せないから、ナイト二つの場合は次の条件その二か三を満たせば追い詰められている方が引き分けを申請して終わらせることができる。


 条件その二。50手ルール。
 50手指す間に駒の減りが全くなく、ポーンの動きもない時、進展の見込みなしとして引き分けを申請できる。


 条件その三。同一局面三回ルール。
 全く同じ局面が三回発生した時、引き分けを申請できる。同一局面の発生は三回連続でなくてもよい。
 これは戦況が膠着こうちゃくしてどちらも有効な手を見いだせなくなった時に起こりがちだ。同じ駒を同じマスの間で行ったりきたりさせるとこの条件を満たす。

 干物亭ここの常連にとびきり無口な奴がいてな。普段ほとんど喋らんで、チェスのときもしゃべらんのだ。で、こいつが自分から引き分けを申し出る時は声を出す代わりにこのルールを使う。さっき動かした駒を元のマスに戻すんだ。そうすると対戦相手のオレたちは、ははあ引き分けの申し出だなと思うわけだ。合意するときはこっちも駒の行ったり来たりを繰り返してから引き分け申請するのさ。拒否するときは同じ局面にならないような手を指すんだ。

 この繰り返しルールはさらに、チェックが絡むか絡まないかの二つに分けられる。チェックがらみの三回繰り返しはチェックをかけられてる方が引き分けに持ち込むためのテクニックとして使われ、パーペチュアルチェックと呼ばれている。例の、負けるよりは引き分けが良いというやつだな。戦局は堂々巡りですよ、ここらで引き分けに……というわけだ。

 さあこれでチェスのルールはほぼ全て説明した。あとはとにかくやってみて楽しんでみることだ。試合をしてみるんだ。ずっと顔つきあわせていたオレじゃなくて別の人間がいいだろう。そこらの試合をしていないのに声をかけて対局を申し込んでみるんだ。みな気の良い奴らだから安心さ。

 一局か二局終えたら戻ってきてくれ。最初にやって見せた試合の解説をして、それからいくつかの格言に触れて、それで終わろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

実家を追い出されホームレスになったヒキニート俺、偶然再会した幼馴染の家に転がり込む。

高野たけし
ライト文芸
引きこもり歴五年のニート――杉野和哉は食べて遊んで寝るだけの日々を過ごしていた。この生活がずっと続くと思っていたのだが、痺れを切らした両親に家を追い出されてしまう。今更働く気力も体力もない和哉は、誰かに養ってもらおうと画策するが上手くいかず、路上生活が目の前にまで迫っていた。ある日、和哉がインターネットカフェで寝泊まりをしていると綺麗な女の人を見つけた。週末の夜に一人でいるのならワンチャンスあると踏んだ和哉は、勇気を出して声をかける。すると彼女は高校生の時に交際していた幼馴染の松下紗絢だった。またとないチャンスを手に入れた和哉は、紗絢を言葉巧みに欺き、彼女の家に住み着くことに成功する。これはクズでどうしようもない主人公と、お人好しな幼馴染が繰り広げる物語。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...