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第3章 公爵令息ランダルの過去
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しおりを挟む俺こと十九歳の公爵令息ランダル・アクアノートは、父親から愛されていないと赤ん坊の頃から気づいていた。
正直この認識は辛いことだが──決して間違っていないと、俺は思っている。
なにしろ、可愛がられたという記憶がまったくないのだ。
言葉の意味を理解できる年齢(たぶん二歳くらい)になると「お前はダメな子供だ」「ポンコツ」「みんなお前を嫌っている」と言われ続けた。
それらの言葉はばっちり脳に刷り込まれ、俺は四歳にして無気力人間になっていた。
金持ちの侯爵令嬢だった母ジョスリンはとても綺麗な人で、人格的にも素晴らしかった。しかし夫との暮らしの中で地獄のような経験をしたせいかずっと伏せっていて、俺の五歳の誕生日に死んでしまった。
心臓が原因の病死となっているけれど、正しい死因は『夫』だろう。
葬儀の翌日、父親の愛人が領地の屋敷に来た。三歳の男の子を連れていた。いわゆる隠し子というやつだ。
愛人はド平民だったので、表向き彼らは『新しい使用人とその子供』ということにされた。しかし実際は『後妻と我が家のスター』の登場だった。
弟のレイフが父から猫かわいがりされる一方で、俺は事あるごとに侮蔑され、否定され、ポンコツの烙印を押された。屋敷の中で、俺は弟の陰に隠れる存在に過ぎなかった。
父の愛人(内実は新しい母親)との暮らしの中で、俺もまた地獄のような経験をした。
殴られ、蹴られ、バルコニーから逆さづりにされ、飯を抜かれ、戸外に締め出された。父はそれを黙認した。当時の俺にとっては領地の屋敷だけが自分の世界で、他に逃げ場などなかった。
王都へは年に数回連れて行って貰えた。
父は外面がものすごく良く、社交界での評価も高い。周囲からは『いい人』だと思われている。
若くして妻を亡くし、再婚もせず男手ひとつで子育てをする『悲劇のヒーロー』のように振る舞いさえする。
おまけに俺の亡き母の双子の妹キャサリンは王妃で、王都滞在中の俺を何くれとなく気にかけてくれたから、父も下手なことはできない。
叔母である王妃と、従妹で王女のエイドリアナと一緒にいる間だけ、俺は普通の子供でいられた。
二歳下のエイドリアナは俺によく懐き『ランダルおにいたまとけっこんしゅる』とまで言ってくれた。
もちろん子供の戯言で、彼女的には黒歴史なのだが。
叔母とその夫である国王は「それはいいわね」「エイドリアナは綺麗な花嫁さんになるだろう」などと言って、我が子の夢を守った。彼らは口が達者で外面がいいだけの俺の父とは違い、本当に素晴らしい親だった。
領地に戻ると、父と愛人は鬼のように俺を叩きのめした。
「調子に乗るな」
「母親があんな女だったから、お前みたいに最低な子供になったんだ」
「お前が未来の国王だって? 冗談じゃないっ! お前のようなポンコツが王になったら国が滅ぶっ!!」
父から脅され、誹謗中傷され、わずかに残っていた自尊心を傷つけられた。
そして愛人(内実は義母)から小突かれ、殴られ、蹴られ、ナイフを突きつけられた。
俺と国王一家との交流を制限するため、父は俺を騎士団の寮に放り込んだ。騎士団には独自のルールや文化が存在していて、いかに国王夫妻でも建前上えこひいきをするわけにはいかないからだ。
俺は当時七歳で、貴族令息としては最年少入団記録保持者となった。ちなみに一般的な入団年齢は十二歳。そして最上位の貴族である公爵家は、普通なら嫡男を騎士団に入れたりしない。
「この子は小柄で体力がありません。得意なことも何ひとつなく、このままではろくな大人になりません。どうか、皆様の手で鍛えていただきたい」
七歳の俺が小柄で体力もなかったのは、どう考えても愛人のせいなのだが。
しかし口がうまい父は、騎士団の複数の有力者を味方につけていた。貧乏な家柄の若手騎士の支援もしていて、崇拝者みたいになっている連中もいた。
そしてびくびく、おどおどしている俺は、そいつらからはポンコツそのものに見えたのだった。何をやっても笑われ、馬鹿にされた。
「お貴族様なのにこんなことも知らないのか?」
「言わなきゃわかんないのかよ、言われる前に動け!」
「お前は弱すぎる、そんなポンコツじゃ誰からも必要とされない」
寮の同室になった連中はもちろん全員年上で、育ちと性格の悪い男ばかりだった。父が『教育のため』に自ら選んだのだから、筋金入りだ(ちなみに四人部屋だった)。
少しの失敗で怒鳴られ、一生懸命頑張っても揚げ足を取られた。
味方はいない。信頼できる大人も、友人もいない。そんな環境に五年耐えた。
騎士団に同い年の貴族令息たちが入団してきた。俺は十二歳になっていた。支給品ではない騎士服を着てキラキラしている彼らが眩しく、自分を惨めに感じた。
父と愛人は俺から経済的自由を奪っていた。貴族令息なら毎月あるはずの差し入れや小遣いは最低限か、あるいはゼロだったのだ。そこら辺のコントロールが、彼らは異常に上手かった。
(五年間の下っ端生活で身体が鍛えられ、そもそも顔は誰よりもよかったから、官給品でもサマになっていたことだけが救いだ)
おまけに父の配下によって貴族令息との交友を監視・制限され、親しい友人を作ることを妨害された。
「アクアノート公爵は心を鬼にして、嫡男に庶民の暮らしを学ばせている」
「なかなかできることじゃない」
「素晴らしい人格者だ」
プレゼンテーション能力が非常に高い父は、社交界の人々にそう思い込ませた。心を鬼にするも何も、父は鬼そのものでしかないのだが。
十三歳になる頃には色々と知恵や知識がついて、父と愛人の異常性をはっきりと自覚した。
(俺の人生をあいつらの好きにさせてたまるか)
そう決意したものの、父は一枚も二枚も上手だった。何をどうやっても、気が付くと父の言いなり、思うがまま。
どこまでいっても、俺はポンコツだったのだ。
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