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第3章:鉱山都市ラグリア

第31話:さらわれたドラセナ

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「……様……ハト様……」



 声が、聞こえる。

 ずっと、遠くから響いているような、それとも、耳元でささやかれているかのような。



「ナ……様……ト様……」



 声が、聞こえる。

 その声の主を知っている。そうだ、この声の主は……。



「ナハト様! ナハト様!」



 ハッとして目を見開く。イヴが自分を呼ぶ声に違いはなかった。



「ここは……」



 思わず声に出す。視界は横向きで薄暗い空間の中にいる。

 意識を失った時のベッドのフカフカの感触とは程遠い冷たい床の感触。

 どうやら床に転がされているようだった。立ち上がろうとして、気づく。両腕を後ろ手に縄で縛られていることに。

 四苦八苦しながらなんとか起き上がるとそこにはナハトだけではなくイヴ、イーニッド、グレース、アイネの姿もあった。全員、縄で両腕を縛られている。



「ナハト様! やっと起きて下さいましたね!」



 イヴが嬉しそうに言う。何があった? とナハトは記憶を辿り、そして、思い出した。



「そうだ! 俺たちは……!」



 ラグリア領主ラング伯爵の屋敷に招待され、そこで歓待の食事を食べ、その食事に盛られていた薬で睡魔に倒れ、自室で倒れ込んでしまったはずだ。

 そして、今、縄で縛られてこんなところ――地下、だろうか?――に転がされているところを見るに……そこまで思い出したところでハッと思い当たる。自分たちの仲間で今、ここにいない少女の名を。



「そうだ! ドラセナは!」



 グレースの方を見る。グレースは面目なさそうに顔をうつむけた。その態度から眠りに落ちる直前に思い浮かんだ嫌な予感が当たってしまったことを知り、ナハトは絶望的な気持ちになった。



「すまない……ドラセナ様は、ヤツらに……」



 グレースが悔しそうに呟く。ドラセナを守る騎士として、ドラセナを守れなかったことに恥じ入る気持ちでいっぱいなのだろう。



「もう! なんなのよ、あのラングとか言うデブは! 麗しい乙女のアタシを縄で縛ってこんな地下蔵に押し込んで!」



 アイネが怒り心頭と言った様子で叫ぶ。

 ナハトはドラセナがさらわれてしまった。そのことに衝撃を受けつつも、今、自分たちのいる場所を冷静に観察しようとした。

 ワイン蔵か何か、だろうか? 地下の壁一面にはワインらしきボトルが何本も詰め込まれている。「くそっ」とナハトは呟く。



「早くここから抜け出してドラセナを助けに行かないと……!」



 そのナハトの言葉に一同は沈痛の面持ちになる。

 それは誰もが分かっていることだ。しかし、全員、縄で両腕を縛られ、立つことすらもままならない今の状況ではそんなことできるはずもない。

 だが、それでもなんとかするしかない。自分はドラセナを守ると約束したのだ。こんなところで敵の奸計にはまってみすみすドラセナをさらわれてしまったのでは申し訳が立たない。

 なんとかして縛めをほどき、外に出なければ。両腕を縛る縄を解く手段がないか、部屋の中に視線を走らせて見るも早々都合よく、抜身の刃物などあるはずもなかった。

 ならば、と両腕に力を込めて、自分を縛る縄を解こうとするが、それでほどけれくれる程、ゆるく結ばれているはずもない。



「ええい……くそぉ!」



 ナハトは思わず叫ぶ。そして、自分の無警戒さを呪った。

 ラング伯爵から感じていた胡散臭い雰囲気。それは事実だったのだ。

 ラングはドラセナを狙っていて、それで自分たちを自らの屋敷に招待したのだろう。

 桜の勇者のことなどどうでもよく、初めから狙いはドラセナ一人だったという訳だ。

 そんなことにも気付かず、ほいほいと誘いに乗ってしまい、薬が盛られた料理まで食べさせられてしまった。

 その迂闊さを呪えば、怒りが頭にこみ上げてくる。



「出せよ! 俺たちをここから出せよ! 俺は約束したんだ。ドラセナを守るって! ドラセナを助けに行かないといけないんだよ!」



 怒りのままに思いの丈をぶちまける。そんなことをしても何も変わらない。

 自分たちが縄で縛られ、ここに閉じ込められている事実は変わりないし、自分たちがドラセナを助けに行くことができないことも変わらない。

 だが、叫ばずにはいられなかった。その叫びが通じた、という訳ではないだろうが……。

 ガタン、と音がした。

 全員が音の方向に振り向く。ワイン蔵の入り口の方だった。

 扉が開き外から何人かの人間が入ってくる。いよいよ、監禁だけでは飽き足らず自分たちの首でも斬りに来たか、そう思ったナハトだったが、外から入ってきた先頭の男が「大丈夫ですか!? 皆さん!」と叫んだのを聞いて考えを改めた。

 よくよく見れば入ってきた男女はこの館の使用人の格好をしていた。使用人たちはナハトたちの側に駆け寄ると「待っていて下さい。今、縄をほどきます」と言った。

 その言葉に偽りはなく、使用人たちはナハトたちの縛めを解き放つとナハトたちを自由にしてくれた。「ありがとう」と思わずナハトは呟く。縄でしばられていた窮屈な状態から両腕が自由になり、立ち上がって、解放感を堪能する。



「お前たち、何故、わたしたちを助けてくれるのだ? わたしたちはお前たちの主の敵だぞ?」



 同じく縛めから解き放たれたイーニッドが、しかし、警戒心を隠そうともせず訊ねる。使用人たちの筆頭格と思われる男は「はい」と頷いた。



「私たちはもうラング様についていけません」



 そう答える。そう言いながらも使用人たちの顔には恐怖心があり、今、ナハトたちを助けているのも恐る恐るやっているのだということが分かった。

 「ついていけない、とは……?」とグレースが鋭い視線で使用人たちを一瞥しながら訊ねる。使用人の筆頭格の男はためらいがちに言った。



「ラング様はヴァルチザン帝国と内通しておられます」



 その言葉に、ナハトたち一同――この世界の世情に疎いナハトでさえ――に衝撃が走った。

 ヴァルチザン帝国だって? それはこの国、アインクラフトの敵国の名前じゃないか。アインクラフトの貴族でこんな大都市の領主の男が敵国と内通している……その事実に驚愕する。



「ラング様がヴァルチザンと繋がっているのはこの屋敷に務める者には公然の秘密でした」

「我々はその事実を知りつつ、口外すれば殺されるという恐怖でラング様を弾劾することはできませんでした」



 イヴが頷く。



「使用人の一人がラング伯爵がヴァルチザンと内通していると言ったところで信じてくれるかは怪しいですからね……」

「そして、それを言ったということで懲罰を受ける可能性もある。だから、言えなかったのね……」



 イヴの言葉をアイネが引き継ぐ。使用人たちは神妙に頷いた。



「ですが、今こそ、ラング様を弾劾する時です」



 使用人たちの視線に自分たちに何が求められているかを悟り、ナハトは口に出す。



「俺たちに証言して欲しい、ってことか」

「はい。そういうことになります」



 使用人の筆頭格の男は頷き、そして、続けた。



「ラング様はドラセナ様をヴァルチザンのゴルドニアース傭兵団に引き渡すおつもりです」

「なんだって!?」



 これにはナハトも思わず驚きの声を上げる。

 ゴルドニアース傭兵団だって!? 前々からドラセナを狙っていて、一度はドラセナの拉致にも成功したヤツらじゃないか! 一度、ナハトに撃退されてから動きがなかったことから諦めたのかとも思ったが、そんなことはなく、虎視眈々とドラセナを狙っていたのか。



「なんと卑劣な……!」



 グレースが苛立ちを隠そうともせず呟く。



「ラング様とその私兵がいる内は我々には何もできませんでしたが、今はラング様と私兵たちはドラセナ様をゴルドニアース傭兵団に引き渡すために外に出ております」

「それがどこかわかるか!?」



 ナハトは思わず大声を出して詰め寄る。

 その場所に自分たちは行かなければならない。ラングがドラセナをゴルドニアース傭兵団に引き渡そうとしているのなら、それを阻止しなければならない。

 使用人たちはナハトの剣幕に驚いたようだが、「わかります」と答えた。



「この町の南の大門です。そこでラング様はゴルドニアース傭兵団の連中にドラセナ様を引き渡すつもりです」

「南門か……」



 ナハトは呟く。場所は分かった。ならば後はそこに行くだけだ。

 もはや、一刻の猶予もない。出来る限り迅速に駆け付けなければ、手遅れになる。



「わたしたちの幻想具は……?」



 イーニッドが訊ねる。捕らえられた際、ナハトたちの幻想具は取り上げられていた。もっとも聖桜剣はナハト以外に持ち歩くことはできないので、ナハトが部屋に立て掛けたままになっているだろうが。使用人たちは頷く。



「こちらに用意しております。ナハト様の聖桜剣だけは重くて運べなかったので部屋に置いてありますが……」



 使用人たちが幻想具を取り出す。

 イヴの治癒杖キュア、イーニッドのガントレットと具足、グレースの風刃矛ヴェントハルバード、アイネの氷雪剣ネーヴェ。アイネが「やった!」と声を出す。



「これがあれば敵なんていないわ。ゴルドニアースの連中なんて一蹴してやるんだから!」

「これで戦える!」



 イーニッドも嬉しそうに声を上げる。イヴがナハトを見る。



「ナハト様! 早く聖桜剣をお取りに! すぐに南門に向かいましょう!」

「分かってる! 先に屋敷の外に出ておいてくれ!」



 ナハトはそう言うと駆け出し、階段を駆け上がり、自分に与えられた客間に行くとそこに立て掛けられたままになっていた聖桜剣を腰にベルトで止める。

 そうして、屋敷の外に出ると、幻想具で武装した面々が揃っていた。恩人の使用人たちもナハトたちを見送るように揃っている。



「ナハト殿! 早く行くぞ! ドラセナ様をお助けせねば!」

「分かってる! 使用人の皆さん、ありがとう! ラングの罪は必ず俺たちが白日の下に晒して見せる!」



 使用人たちに礼を言うのを忘れずナハトはそう言うと、ラグリアの南門に向かって駆け出す。

 それに仲間たちも続く。待ってろよ、ドラセナ。今、助けてやる。ナハトは口中でそう呟くと地面を蹴る足に力を込めた。



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