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第二章 美容部員と天才化学者

ビューティーアドバイザーと天才

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 さて、店長に呼ばれたので、そそくさと近寄り横から売上帳簿を覗き込む。確かに本日の売上を示す欄に書き込まれた金額は、既に昨日一日の総売上金額に肉薄している。

「本当ですね! ありがたいことです」
「アイリーン?」
「はい」
「……」
「……?」

 私の名前を呼んだのに待っていても続く言葉がない。不思議に思って顔を上げると、店長の顔が思ったより近くにあって、咄嗟とっさに後ずさる。

「やっとこっちを見てくれたね?」

 そう言って至近距離でまばゆい笑顔を向けてくるこの人は、エミリオ様。驚くなかれ、このアイレヴ王国の第二王子殿下である。
 エリー様が店長として声をかけたのがなんと王子殿下だとは思いもしないので、私も最初は冗談だと思っていた。それに、第二王子殿下は怠惰で不真面目な性格であると有名だったけれど、実際に会って話したエミリオ様は全然怠惰でも不真面目でもなかった。むしろ真逆の「真面目でストイック」が彼を表現する言葉に相応ふさわしい。学園で流れる噂はあてにならないものだと認識を改めた。
 エミリオ様はなんだかお店のことや化粧品のことにもエリー様と同じレベルで詳しいし、真剣にお店作りについて意見してくれるし、あ、これは本気のやつだと受け入れたのは開店前日のことだった。

――え、だって王子様だよ? なんで王子様が化粧品専門店の店長なんて引き受けてるの?

 未だに疑問は残るが、エミリオ様が店長となった事実は無理矢理ながらもなんとか受け入れた。
 そして、この一ヵ月間なるべく避けてきたので、エミリオ様も私の苦手意識には気づいているだろうと思うのだ。いつこの挙動不審さを指摘されるか、その時私は何と答えればいいのかと自問自答しながらビクビクしている。

「そんな……店長が人の名前を呼んでおいて何も言わないからじゃないですか」
「そうでもしないと目を合わせてくれないじゃないか」
「ちゃんと……顔を見て話しています」
 
 私は人と、その中でも男性と目を合わせるのが苦手なので、エミリオ様の目からも少し視線をずらし、鼻から口元辺りに視点を置いて話していたけれど、案の定それを指摘されてドキッとした。とうとう来るべき時が来たらしい。
 
「目を見てほしいんだ。僕は」
「どうして……」
「……やっと話せて嬉しいんだ。僕に生きる希望を与えてくれたアイリーンと。だから」
「……?」

――なんだか話の風向きが変わってきた……?

 今度こそしっかりと相手の目を見た。
 私は前世、高卒で就職し、初めて化粧をした。すると、突然男性に声をかけられることが増えたのだ。今までの私と違うところといえば、化粧をしているかいないかの違いだけ。みすぼらしかったのがちょっと見られるようになっただけだと思うのだが、世の男性たちの評価は違ったらしい。彼らからすると私は「とても美人」に変身したらしいのだ。中身は今までの私と何も変わっていないのにも関わらず。
 
 急にちやほやと美人扱いされるようになった私は、男性のことが容易に信じられなくなってしまったのだ。結局外見で判断してるのだという偏見が頭から離れなくなってしまった。
 
 男性の目が特別気になるようになったのはそれからだ。「私は化粧で取り繕った外見しか取り柄がない」とギラギラした目が語っているようだったから。
 
 けれど、エミリオ様の目を控えめに眺めていると、そういう男性たちに感じた「獲物を見るような目」とは少し違うように思えた。
 
 エミリオ様は身分を隠して店長を務めてくれている。王子だとバレたら当然大変なことになるから。なぜそんなリスクを負ってまでこんなことをしているのか……と思っていたのだけれど、次の会話でその疑問が綺麗に解決した。

「実は『ヴィタリーサ』の化粧品開発を担当しているのは僕なんだ。君から提案される品を実現するのはとても楽しい。僕の生涯を全て捧げたいと思うほど」

――な、なんかすごいセリフを聞いたような気がするけど、それよりも……!
 
「え……エミリオ様が……!」
「うん」
「ありがとうございます! 私、ずっと開発者の方にお礼を言いたかったんです! 私が語る夢みたいな商品を形にしてくださってありがとうございます!」

 私は思ってもみなかった事実を告白されて呆然とした後、言葉の意味を理解して、じわじわと感謝の言葉が込み上げてくるのを感じた。
 
 この世界にはまだ存在していないものを次々と生み出してくれているのだ。開発者は恐らく天才と呼ばれる存在だなのだとは思っていたけれど、それが王子殿下だなんて思わなかった。

――すごい! 本物の天才が目の前にいる……!

「いいんだ。僕こそアイリーンに感謝しているんだから。僕の味気ない毎日にアイリーンが飛び込んできてくれて、その瞬間からどれほど世界が変わったことか……!」
「私こそ、エミリオ様がいなかったらこの幸せを感じられていなかったかもしれないのですから……!」

 私たちはどちらからともなく固く握手を交わした。それは私たちの間に固い信頼関係が結ばれた瞬間だった――。


✳︎✳︎✳︎


「え? 握手?」
「え……? そうですけど。なにかおかしいでしょうか?」
「変ね。途中までは恋愛小説みたいな展開だったはずなのに……」

 私とイザベラ様は、学園の食堂でランチをとりながら会話を楽しんでいた。あれから仲良くなった私たちは、こうして度々学園でも時間を共にしている。学園でもイザベラ様は身分にこだわらず私に構ってくれていて、嬉しい限りである。
 イザベラ様は何か考え事があるとき、こうしてときどき聞き取れない音量でもごもご言っていることがよくある。
 
「イザベラ様?」
「あら、ごめんなさいね。私、途中からお話を勘違いしていたようですわ。続きを聞かせてくださる?」
「はい! 続きというか、それで終わりですが……つまりは店長と私の絆が深まって、信頼関係が生まれたというお話です!」
「あらぁ。よかったですわねぇ」
「はい。どう接していいかわからなくて毎日ビクビクしてたので、打ち解けられて安心しました!」
「ふふふ……ちなみになんで『店長』って呼んでいるの?」
「ああ。これは癖というかなんというか。間違えて本名を呼んでしまったらいけないので、お店では役職を呼ぼうということになりまして……」
「ふふふ。なんだか初々しいわね」
「……?」

 なんだかイザベラ様が神々しく微笑んでいて私も笑顔になった。

「私は、あなたたちのこと、あたたかーく見守っているからね」
「……はい! ありがとうございます! 頑張ります!」

 素敵な笑顔で応援されてしまった私は、明日からまた頑張ろう! と気合を入れ直していた。
 
 だから、その姿を見たイザベラ様が、「本当にかわいらしいわねぇ……」と呟きながら笑みを深めていたことには気づかなかったのである。
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