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出会い
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その日は王宮で舞踏会が開催されていた。
……それにも関わらず、ヴァレンティーナはパートナーも連れずに会場入りした。常識はずれの行動ではあるが、婚約者との交渉は決裂したままだから仕方がなかった。
一方で当の婚約者は例の子猫と連れ立って仲睦まじく寄り添っている。
当然周囲はざわついている。「ついに悪女が捨てられた……!」とヴァレンティーナに対して不敬な発言をする者すらいる。
ヴァレンティーナは好奇の目を向けられることに疲れてしまった。
人目を盗んで会場から離れ、人気のないバルコニーへと逃げ込むことにした。
外の空気を吸うと、胸にわだかまっていた黒いモヤが綺麗に澄んでいくようだった。
深呼吸して黒いモヤを浄化していたヴァレンティーナの下に、人が近づいたのはそんな時。
「月が綺麗な夜ですね」
そう声をかけられ、ヴァレンティーナは咄嗟に空を見た。
夜空にぽっかりと穴をあけたように浮かぶ月が確かに綺麗だった。
「そうですね。……ですが、あなたはどなたですか? 死角からいきなり話しかけてきて失礼ですわよ」
「失礼いたしました。レオ・アダムと申します」
妖艶な笑みを見せるこの人は、護衛トリオが教えてくれた「チャラ男」という人種ではないかとヴァレンティーナは思った。
――顔が良くてモテそう。スラっとしていて立ち姿も素敵だし、声もとても好みだわ。それに笑顔が美しいわね。これは護衛トリオが言っていた人種に相違ないわ。
客観的に見た印象は「顔が良くてモテそう」という部分だけで、あとは自分の好みの話にズレてしまっていることには気づかないヴァレンティーナである。
――チャラ男には気を許さないように、と言っていたわね。気を許さない、許さない……気を許さないってなに?
脳内で迷走しながらもヴァレンティーナは律儀に名乗った。
「はじめまして。わたくしはヴァレンティーナと申します。デクスター侯爵家の長女ですわ。それで、月のお話でしたかしら?」
「ええ」
「綺麗な満月ですわね。輝いていますわ」
「そうですね。……あなたは月の女神のように美しいですね、と……どうしても伝えたかったのです」
「月の女神とはどのような方なのでしょうか? わたくし、お恥ずかしながら拝見したことがなくて」
ヴァレンティーナはそこまで話し、レオに視線を向けて、困惑しているような様子を表情から読み取る。
実際は今のヴァレンティーナの返答を反芻していただけだったのだが……。
「あ、申し訳ありません。比喩でしたか? それほどまでにわたくしが美しい、っておっしゃりたいので間違いないですか?」
ヴァレンティーナはただ事実確認をするように質問する。情緒などあったものではない。
これには百戦錬磨のレオも戸惑っているのではないかと思われる。
「はい。その通りです」
「ああ。雰囲気を壊してしまいましたわね。舞踏会に参加するからしっかりお勉強はしてきたのですが……ごめんあそばせ。わたくし、あまり普通の会話に慣れておりませんので、練習中ですの」
「れんしゅ……」
――だめだ。可愛い。降参だ。
レオは戸惑うどころか、ヴァレンティーナとのズレた会話を楽しんでいたようである。
案外この二人、相性がよさそうだ。
「あの……、デクスター嬢」
「はい。なんでしょうか?」
「私のこと、どう思います?」
ヴァレンティーナはレオからの唐突な質問にたじろぐが、先ほど感じたままを丁寧な言葉に変換して答えることにした。
「ええと、お顔がとても麗しいのでたくさんの女性を魅了しそうですわ。あと、美しい身体つきをされていて筋肉も素晴らしいですし、声がとてもわたくしの好みです。そして笑顔が艶美ですわね。わたくしなどよりもよっぽど」
これを聞いてレオは赤面した。
こう聞いたら大体自分のことをどう思っているかがわかる。……はずなのだが、ヴァレンティーナは淡々と理性的に話すので、そこに込められた感情までは読み取れなかった。
しかし、もらった言葉を振り返ってみると、好意は少なからず持たれているようである。
レオは褒め言葉や外見を称賛する言葉は数多く聞かされてきた。
しかし、これまでこんなに率直でストレートでときどき変な言葉選びの称賛をもらったことはあっただろうか。
本当にそう思っていることが伝わってとても嬉しく、こんなにも心に響いたのは初めての経験だった。
「お褒めの言葉、ありがとうございます……」
――悪女がこんなに擦れてなくて可愛いなんて誰も想像しないよなぁ……。ああ、これはまずいかも。
まずいどころかとっくに堕ちてしまっているレオだが、百戦錬磨の経験にかけてあと一押しくらいは頑張ってもらいたいところである。
「貴族相手の会話、『練習』しているのでしたよね? そのお相手、私に務めさせていただけませんか?」
「『練習』のお相手、してくださるのですか⁉︎」
ぱあっとヴァレンティーナの表情が明るくなる。
純粋そうな瞳に見つめられるとつい目を逸らしたくなる小さな罪悪感はあったが、この機を逃すつもりはないレオである。
「ええ。いいお相手になれると思います」
「よろしくお願いいたしますわ!」
悪女なのにこの純粋さが心配になったレオだったが、悪女だからこそ他者との接触が少なく、純粋なままでいられたのかもしれないとも思った。
――違うな。結局俺は、そのままの君が……。
その先は言わずもがな、である。
……それにも関わらず、ヴァレンティーナはパートナーも連れずに会場入りした。常識はずれの行動ではあるが、婚約者との交渉は決裂したままだから仕方がなかった。
一方で当の婚約者は例の子猫と連れ立って仲睦まじく寄り添っている。
当然周囲はざわついている。「ついに悪女が捨てられた……!」とヴァレンティーナに対して不敬な発言をする者すらいる。
ヴァレンティーナは好奇の目を向けられることに疲れてしまった。
人目を盗んで会場から離れ、人気のないバルコニーへと逃げ込むことにした。
外の空気を吸うと、胸にわだかまっていた黒いモヤが綺麗に澄んでいくようだった。
深呼吸して黒いモヤを浄化していたヴァレンティーナの下に、人が近づいたのはそんな時。
「月が綺麗な夜ですね」
そう声をかけられ、ヴァレンティーナは咄嗟に空を見た。
夜空にぽっかりと穴をあけたように浮かぶ月が確かに綺麗だった。
「そうですね。……ですが、あなたはどなたですか? 死角からいきなり話しかけてきて失礼ですわよ」
「失礼いたしました。レオ・アダムと申します」
妖艶な笑みを見せるこの人は、護衛トリオが教えてくれた「チャラ男」という人種ではないかとヴァレンティーナは思った。
――顔が良くてモテそう。スラっとしていて立ち姿も素敵だし、声もとても好みだわ。それに笑顔が美しいわね。これは護衛トリオが言っていた人種に相違ないわ。
客観的に見た印象は「顔が良くてモテそう」という部分だけで、あとは自分の好みの話にズレてしまっていることには気づかないヴァレンティーナである。
――チャラ男には気を許さないように、と言っていたわね。気を許さない、許さない……気を許さないってなに?
脳内で迷走しながらもヴァレンティーナは律儀に名乗った。
「はじめまして。わたくしはヴァレンティーナと申します。デクスター侯爵家の長女ですわ。それで、月のお話でしたかしら?」
「ええ」
「綺麗な満月ですわね。輝いていますわ」
「そうですね。……あなたは月の女神のように美しいですね、と……どうしても伝えたかったのです」
「月の女神とはどのような方なのでしょうか? わたくし、お恥ずかしながら拝見したことがなくて」
ヴァレンティーナはそこまで話し、レオに視線を向けて、困惑しているような様子を表情から読み取る。
実際は今のヴァレンティーナの返答を反芻していただけだったのだが……。
「あ、申し訳ありません。比喩でしたか? それほどまでにわたくしが美しい、っておっしゃりたいので間違いないですか?」
ヴァレンティーナはただ事実確認をするように質問する。情緒などあったものではない。
これには百戦錬磨のレオも戸惑っているのではないかと思われる。
「はい。その通りです」
「ああ。雰囲気を壊してしまいましたわね。舞踏会に参加するからしっかりお勉強はしてきたのですが……ごめんあそばせ。わたくし、あまり普通の会話に慣れておりませんので、練習中ですの」
「れんしゅ……」
――だめだ。可愛い。降参だ。
レオは戸惑うどころか、ヴァレンティーナとのズレた会話を楽しんでいたようである。
案外この二人、相性がよさそうだ。
「あの……、デクスター嬢」
「はい。なんでしょうか?」
「私のこと、どう思います?」
ヴァレンティーナはレオからの唐突な質問にたじろぐが、先ほど感じたままを丁寧な言葉に変換して答えることにした。
「ええと、お顔がとても麗しいのでたくさんの女性を魅了しそうですわ。あと、美しい身体つきをされていて筋肉も素晴らしいですし、声がとてもわたくしの好みです。そして笑顔が艶美ですわね。わたくしなどよりもよっぽど」
これを聞いてレオは赤面した。
こう聞いたら大体自分のことをどう思っているかがわかる。……はずなのだが、ヴァレンティーナは淡々と理性的に話すので、そこに込められた感情までは読み取れなかった。
しかし、もらった言葉を振り返ってみると、好意は少なからず持たれているようである。
レオは褒め言葉や外見を称賛する言葉は数多く聞かされてきた。
しかし、これまでこんなに率直でストレートでときどき変な言葉選びの称賛をもらったことはあっただろうか。
本当にそう思っていることが伝わってとても嬉しく、こんなにも心に響いたのは初めての経験だった。
「お褒めの言葉、ありがとうございます……」
――悪女がこんなに擦れてなくて可愛いなんて誰も想像しないよなぁ……。ああ、これはまずいかも。
まずいどころかとっくに堕ちてしまっているレオだが、百戦錬磨の経験にかけてあと一押しくらいは頑張ってもらいたいところである。
「貴族相手の会話、『練習』しているのでしたよね? そのお相手、私に務めさせていただけませんか?」
「『練習』のお相手、してくださるのですか⁉︎」
ぱあっとヴァレンティーナの表情が明るくなる。
純粋そうな瞳に見つめられるとつい目を逸らしたくなる小さな罪悪感はあったが、この機を逃すつもりはないレオである。
「ええ。いいお相手になれると思います」
「よろしくお願いいたしますわ!」
悪女なのにこの純粋さが心配になったレオだったが、悪女だからこそ他者との接触が少なく、純粋なままでいられたのかもしれないとも思った。
――違うな。結局俺は、そのままの君が……。
その先は言わずもがな、である。
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