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誰にも届かない

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 騒ぎを聞きつけて入ってきたヴァルターに、コルネリアとキァラが視線を向ける。

「ヴァル様」

「コルネリア!」

 キァラの太ももから血が出ていることを確認したヴァルターは、すぐにコルネリアに走り寄る。

「大丈夫か?怪我は?」

 コルネリアの肩にそっと手をのせ、ヴァルターが心配そうにたずねる。キァラのことは全く眼中にないようで、自分の方を見ないヴァルターに、キァラが怒りで身体を震わせる。

 大丈夫、と伝えるためにコルネリアが頷くと、ヴァルターは腰に手をまわしてぐっと抱きしめた。

「ヴァル様!」

「マルコ。この状況を説明できる奴はいるか?」

 入り口にいるマルコに問うが、彼は首を振る。

「キァラの叫び声を聞いた者が入った時には、すでにこのような状況だと。そうですね?」

「は、はい。キァラ様の大きな声が聞こえまして。部屋に入ったら、キァラ様が出血して、奥様に謝ってらっしゃいました」

 マルコに促され、最初に部屋に入ってきた侍女が答える。すると、キァラが一瞬にたりと笑い、わざとらしく泣き声をあげる。

「私がヴァル様のことお慕いしていることが、許せなかったみたいで。きゅ、急に。私の太ももを刺したんです!」

(――この子、本当にやばいですわ!ヴァルター様はどう思っているんでしょう)

 ピックの先端が数センチとはいえ、自分の足に刺すなんて正気の沙汰ではない。そんなことを思いながらも、ヴァルターが何と言うのかコルネリアには想像がつかなかった。

「俺の責任だ。俺が責任を取ろう」

「ヴァル様!嬉しい!」

 ヴァルターの言葉にキァラが喜び立ち上がる。コルネリアはふらり、とめまいを感じた。

「大丈夫か?すまないコルネリア。すぐに終わらせる」

 ヴァルターはそう言うと、抱き締めていたコルネリアをそっと離す。そして、彼女の両手を見て、少し微笑んだ。

「強く握りしめているな。もう、離していいから」

 コルネリアが無意識にずっと持っていた本を、優しく指を解いてヴァルターが床に置いた。

「ヴァル様?」

「俺に好意を持っている、と分かった時点で領土へ返すべきだった。罪を重ねさせたのは俺の責任だ。すまない」

 キァラにそういうと、ヴァルターは廊下へ出て壁にかけてあった剣を手に取った。

 その様子にキァラがひぃ、と短い悲鳴をあげる。

「コルネリアは聖女であり、この国の王妃でもある。そんな彼女を下手な罠にかけようとしたことは、腕一本で償ってもらおう」

「待って!待って!ヴァル様!」

 剣を手に取ったヴァルターが書斎に入り、キァラに近づく。

「マルコ!ねぇ、みんな!ヴァル様を止めて!」

 そう言いながらキァラが使用人たちへ目線を向けるが、彼らはさっと視線を合わせないように目を伏せた。

「何かあったんですか?キァラ?」

「兄様!助けて!」

 屋敷の騒ぎに気がついたクルトが、書斎を覗き込む。剣を抜く主に、泣きながら這って逃げる妹。何かを察したのか、クルトはその場で土下座をした。

「申し訳ございません。何をしたのかは詳しくはわかりませんが、おそらく奥様を傷つけるようなことをしたのですよね?」

「そんなことしてない!あの女が私のことを刺したの!」

 キァラはクルトのそばまで足を引きずり移動すると、コルネリアを指差して言った。

「キァラ。コルネリアは両手に本を持っていたが、どうやってお前を刺したんだ?」

「それは……」

「なぜ、コルネリアがわざわざ、低くて刺しにくい太ももに刺すんだ?」

 問い詰めながらヴァルターがキァラに近づいていく。

「絶対にあり得ないことだが。もし、コルネリアがお前を傷つけても、すぐに治して隠すことは簡単だろう」

「ヴァル様。私を信じてください」

「キァラ。こんなことが許されると、周りが信じてくれると。本気で思っていたのか?」

 低い声で淡々と言うヴァルターの姿に、キァラがガタガタと震え出した。

「申し上げます!キァラはフュルスト家の長女です。直接ヴァルター様が手を下すのはよくありません!帝国との戦争中に、国内で揉め事を起こすわけにはいきません!」

 クルトが頭を下げたまま言うと、ヴァルターはそっと剣を持つ手を下におろした。キァラはフュルスト男爵夫婦の晩年にできた子で、二人からとても可愛がられている。

 キァラの罪を納得はするだろうが、腕を落とせば反感を買うことは必須だ。

「キァラは私が責任を持って、今からフュルスト領土に返します。結婚をさせて、二度と領土から出ないようにさせます!」

「そんな!嫌よ!」

 キァラがそう言うと、クルトがぐっと拳を握り締め、キァラの頬を殴った。鈍い音がし、キァラがよろける。

「お前は黙っていろ!本当はもっと重い罪になることなんだ」

「でも。私。結婚が嫌だからこっちに来たのよ。あんな田舎にずっといるなんてゴメンだわ」

 ぽろぽろ泣きながら言うキァラに、コルネリアは一つため息をつく。このままだと話が終わらない、そう判断をして机の上にある紙とペンを取りに行った。

「コルネリア?」

【領土から出さないことは可能なのですか?】

「はい。俺の友でもある男と結婚をさせ、その家からは出ないようにさせます」

 結婚というより、軟禁といった方が正しそうだ。コルネリアはなるほど、と頷く。

【屋敷で24時間監視するのは難しいわ。もしも、出てきたら?】

「中からは開けられない地下牢で、過ごさせるようにします。もしも出てきたら。その時は俺が責任を取ってキァラを殺し、騎士を辞任します」

 地下牢、という言葉にキァラが何かを言おうとするが、その頭を強引にクルトが床に押し付けて何も言わせない。

【ヴァルター様はどう思いますか?】

「コルネリアにしたことは許せんが、クルトの言うことも一理ある。だが、それなら結婚ではなく、修道院の方がいいと思う」

 この世界では貴族の子女が犯罪を犯しても、死罪になることはほとんどない。規律の厳しい修道院に死ぬまで入る、というのが最も重い刑になる。

 だが、修道院という言葉を聞いて、コルネリアが慌てて止めにはいる。

【結婚という形でいいのでは?地下牢で過ごすそうですし】

(――そのパターンの修道女は、女神様が一番嫌いなやつだわ!)

 神殿や修道院での祈りは、直接女神様のもとへ届く。ただ、罪を犯した者の祈りは、聞くに耐えないものらしい。以前満月の夜に女神様が愚痴ってたのを聞いたことがある。

(――あの時期の女神様荒れてたからな。キァラを修道院なんかに入れたら、絶対ダメなタイプの祈りをしてしまいますわ)

 何としても修道院入りを阻止したいコルネリア。その意図を知らない周りの人達は、キァラを除いて感動したように見ている。

「コルネリアがそう言うなら。クルト。次はないぞ」

「ありがとうございます!」

 がばっとクルトがコルネリアとヴァルターへ頭を下げる。ヴァルターはかがみ、クルトの耳元で何かをささやいた。

「……探ってくれ。任せた」

「はい。かしこまりした。おい、行くぞ」

「きゃあ!」

 クルトはキァラをひょいと脇に抱え込むと、キァラが叫び声をあげた。

「あ!ちょっと!治してよ!」

 ジタバタと暴れながら、キァラがコルネリアを睨みつけて言う。クルトがすぐに謝罪をし、口を手で強引におさえた。

(――命には関わらない怪我だし、自業自得なので嫌ですわ)

 コルネリアがにっこりと微笑むと、コルネリアのそばまで行ったヴァルターが首を振る。

「コルネリアさっきもそうだが。心が優しすぎる。キァラが自分でつけた傷だ、コルネリアが治す必要はない。クルト。出発前に簡単に治療はしていって良い。行ってこい」

 全くもって治す気がなかったコルネリアは、目をパチパチと瞬きをする。自分の傷を全く心配しないヴァルターを見て、キァラはがっくりと肩を落とした。

 クルトは一礼をし、キァラを抱えたまま部屋から出て行った。

【さて。ヴァルター様。私たちも話し合いましょうか?】

 コルネリアはその紙をヴァルターに押し付けると、すたすたと自室へと戻った。その後ろ姿を慌ててヴァルターが追いかける。

「マルコ。すまないが後は頼んだ」

 散らかった部屋と動揺する使用人を見てマルコはため息をつき、かしこまりましたと返事をした。
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