上 下
37 / 55

37話

しおりを挟む

 「まぁ。ふわふわで美味しいわね」

 うふふ、とアルゼリアが微笑む。その姿を扉の前に立つレグアンが、ガッツポーズをして見ている。ふわふわオムレツに、出来立ての良い香りがするパン。果肉たっぷりのジャムは、艶々と輝いている。

 ジェレマイアの第三妃が食べる、と聞いてレグアンがシンプルながらも腕によりをかけた朝食だ。

 ビオラがアルゼリアのために紅茶を注ぎ、カップを彼女の前にそっと置いた。

「ありがとうビオラ」

 にこりと微笑むアルゼリアのそばに立ち、彼女の食事が終わるのを待つ。ふぁ、とあくびが出そうになるのを、必死で噛み殺した。

 ジェレマイアがいつ帰ってくるか分からないため、全く眠れなかったのだ。

「第三妃様。ビオラちゃん。殿下が帰ってきたみたいだよ」

 ライがさっと天井から降りてきて、そう告げた。

「ビオラ!」

 ビオラの名を呼びジェレマイアが入ってくる。アルゼリアやレグアンが頭を下げると、ジェレマイアは真っ直ぐビオラの元まで歩いてきた。

「待たせたな。不安だっただろう」

 ぎゅっとビオラの手を握るジェレマイアに、レグアンがあんぐりと口を開ける。困った表情でライが笑い、レグアンを含む驚いている使用人を部屋の外に出した。

「殿下。どうなりましたか?」

 蚊帳の外、といった様子に苦笑いしたアルゼリアがたずねる。ライが人払いをしたため、今部屋の中に3人だけだ。

「ああ。カルカロフ侯爵家は取り潰しだ。財産と領土は国のものになった。領土はこれから他の貴族達に分けるつもりだ。もちろん、俺の支持者達にな」

 にやり、と笑うジェレマイアに、アルゼリアは満足したように頷いた。

「クレア様はどうなりましたか?」

「ああ。侯爵家の3人は王都の外に出した。生きていけるかは本人達次第だろうな」

「温情ね」

 ふう、とアルゼリアがため息をついた。

 (――温情、なのかな?あの3人が平民として生きていけるとは思えない。貴族として処刑された方が、本人達には良かった気がするけれど)

 これからどうなるのか。アルゼリアを脅かし、自分を殺そうとしたクレア達の今後を考えると気が重くなった、

「えい」

 暗い表情のビオラの口に、アルゼリアがスプーンを突っ込んだ。

 ふわりと、甘酸っぱい苺の風味が口の中に広がる。アルゼリアがデザートのムースを、ビオラの口の中に入れたようだ。

 ビオラは目をまんまるにしながら、もぐもぐと口の中のムースを食べる。

「終わったことに落ち込んでも仕方がないわ。それよりも殿下。私たちはこれからどうすればいいのですか?」

「皇后が手を出す前にビオラの養子の話と、離縁の話を一気に進める。これからは影だけではなく、王家所属騎士たちも屋敷に配置するつもりだ」

「待ってください。養子?離縁?どういうことですか?」

 眉を顰めたアルゼリアが、自身の後ろに立つビオラを振り返って見る。

「すみません。まだアルゼリア様にお話をしていなくて」

「そうか。ではこれからゆっくり話をしてくれ。アルゼリア。明後日の感謝祭は予定通りに行う」

「かしこまりました」

 アルゼリアにそう言うと、ジェレマイアが部屋から出て行った。これからやることが山積みなようで、急いでいるように見えた。

「ビオラ?全部話してくれるわよね?」

「ごめんなさい!お嬢様!」

 アルゼリアに睨まれて、ビオラがジェレマイアにプロポーズされたこと。ブルクハルト公爵の養子の話が進んでいること。同時にアルゼリアが良い条件で離縁し、子爵領に帰れることを告げた。

「今回の件も私がお嬢様を巻き込んでしまいました。申し訳ございません」

「クレア様の件での謝罪は、もう十分だわ。起きてからずっと謝ってばかりだったじゃない。それよりも、プロポーズ?養子?」

 怒られる、とビオラがぎゅっと目をつぶると、優しくアルゼリアに抱きしめられた。ふわり、と花の香油の香りを感じ、ビオラは目を開けた。

「おめでとうビオラ!あなたの恋が叶ったのよ」

 嬉しくてたまらない、といった様子のアルゼリアが、抱きしめたままビオラの背中を撫でる。

「えっと」

 戸惑ったまま抱きしめられているビオラに、アルゼリアが悪戯っぽく笑う。

「怒られると思ったの?もう。養子の件は残念だけどね。ビオラが殿下のこと好きって聞いた後に、お父様に養子にできないか聞いたんだから」

「ラスウェル子爵様にですか?驚かれたでしょう」

「ええ。それに、子爵家から2人も殿下に嫁ぐことは、不可能だって言われちゃったわ。私、ビオラが妹ならってずっと思ってたのよ」

「お嬢様」

 身分違いの自分を可愛がってくれて、毒すら自分が飲むと言ってくれた姿を思い出し、ビオラの目頭が熱くなる。

「それで。ビオラは公爵令嬢になって殿下と結婚するのね」

「それが。まだ悩んでいまして。やっぱり、お嬢様のそばに居たいですし」

「嫌よ」

 きっぱり嫌だと告げられ、ビオラが目をまんまるにする。抱きしめていたビオラの身体を離し、アルゼリアがにっこりする。

「だって私も子爵領に帰ったらエドと結婚するわ。ずっと未婚のビオラがそばに居ても、申し訳なくなるだけだわ」

「で、でも。お嬢様の身の回りのこととか、お子様が産まれたりしたらそのお世話もできます」

 必死に食い下がるビオラに、アルゼリアは呆れ顔だ。

「ビオラが自分の好きな人を諦めてまで、そんなことさせたくないわ。それに殿下の妃になっても私たちの関係は変わらないでしょう?子爵領はそれほど遠くもないし、夏は涼しいから毎年遊びに来ればいいわ」

「お嬢様……」

「もし殿下と喧嘩したら、帰っておいで。匿ってあげるわ」

 真剣な顔で冗談を言うアルゼリアに、涙を浮かべながらビオラは吹き出した。

「そうなったら。お願いしますね。ラスウェル子爵様のお屋敷、私にとって故郷ですから」

「そうね。ほら、涙を拭いて。そろそろ屋敷に帰りましょう」

 白いレースのハンカチでそっとビオラの涙を拭うと、アルゼリアは優しく頭を撫でた。

 (――やっぱり私はお嬢様が大好き。でも、王都に残りたいほど殿下のことも愛してる。領地に帰るまでの時間を大切にしよう)

 優しすぎる主人と離れる日を思い、またビオラの目から涙が溢れた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】婚約破棄されたから静かに過ごしたかったけど無理でした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:721

裏切りの令嬢は微笑み返す〜推しのためになら剣を取りましょう〜

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:198

婚約破棄が始まりの鐘でしたのよ?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21,325pt お気に入り:146

【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい

恋愛 / 完結 24h.ポイント:156pt お気に入り:148

処理中です...