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34話

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 ジェレマイアが城へ戻ると、クレアからの使いが部屋に来たためうんざりとした気持ちになった。

 (――いや。これはいい機会だ。屋敷に行かなくとも、侯爵家を終わらせてやる)

 手元に集まった侯爵家の不正の数々。それらはタキアナ皇后には辿り着けないようになっているが、侯爵家だけは終わりにできるものだった。

 (――クレアはすぐに拘束しよう。そうだ。これで終わりだ)

「これから合図を出したら、クレアを拘束。速やかに地下牢へ連れて行け」

 影がいる天井へ指示を出すと、ジェレマイアは指定された場所へと向かった。

 この時点では、ライがアルゼリアの屋敷を出る際に送った影はジェレマイアまで辿り着けておらず、ジェレマイアはビオラが入城したことは知らなかった。

 クレアからの指名された部屋の近くは、念入りに人払いがされているようだった。

 怪しい、とは感じたものの、ジェレマイアはばん!と扉を開ける。部屋の中は暗く、蝋燭の立つ机の周りしかハッキリと見えない。

『最高だ。金ももらえて女ももらえるなんてな』

 下品な男の心の声が聞こえ、ジェレマイアは煩わしそうに眉を顰めた。そちらの方を見ると、床に横たわる人と、椅子に縛り付けられた人が薄らと見えた。

 (――悪趣味な。また侍女を罰しているのか)

 見慣れた光景に眉を顰めていると、クレアが嬉しそうに駆け寄った。

「殿下!遅かったじゃないですか。本当は、あの女が毒を飲むところを見ていただきたかったのに」

『床に横たわる汚い遺体を見たら、殿下はきっとあんな女に手を出さなきゃよかったって後悔するわ』

 耳から聞こえる声も、心の声も醜悪でジェレマイアは吐き気すらする。

「あの女とは?」

「あれですわ!殿下が心の迷いで手を出した平民」

 そう言ってクレアが指差すが、横たわる人が誰なのか暗くてわからない。目を細めて見ようとするジェレマイアに、ミレイユが机にある蝋燭を手に取り、その人物を灯りで照らした。

「見てください。代わりに殺して差し上げましたわ」

「……ビオラ?」

 蝋燭の灯りに照らされているのは、先ほどまで思いを確かめ合った唯一の女性だった。頬は赤黒く腫れて、口内を切っているのか口からは血が流れている。ぐったりとしたその体に力はなく、だらんと腕がたれている。

『殿下が感動してるわ。もしかして、浮気がバレて困ってる?私はこんな小さなことで怒ったりしないわ。だって殿下に相応しいのは私だけですもの』

 よろよろ、とジェレマイアがビオラに近づく。信じたくなかった。顔を見たら現実を受け入れなくてはいけないため、足がすくんで真っ直ぐ歩けなかった。

「ビオラ。お前なんだな」

 そっと抱き寄せるが、反応は返ってこない。身体は温かく、まだ柔らかかった。そっと首に指を当てると、かすかな脈を感じることができた。

『ここは?ビオラちゃん。殿下』

 部屋の隅で意識を失っていたライが起き、ジェレマイアとビオラを見つけて飛び起きた。

「まだ息がある。行くぞ」

 そう言うとジェレマイアは手を軽くあげる。すぐに連れてきた影がクレアとミレイユ、そして部屋にいた男を取り押さえる。

 フラフラとした足取りで、ライはジェレマイアの後ろに着いていく。

「やめなさい無礼者!影よ。何をしているの!」

 取り押さえられてクレアが叫ぶ。そして、ジェレマイアを睨んだ。

「殿下。この無礼者をどうにかしてください」

「すぐに医師に見せてくれ」

 ジェレマイアは自身の信頼できる影にビオラを渡し、クレアの方を向き直す。

「私にこんなことしていいのですか。我が侯爵家しか、貴方のことは支持していないのに。王になれませんわよ!」

「正式にブルクハルト公爵が俺を支持することになっている。それに、カルカロフ侯爵家は明日にはなくなっているだろうな」

「どういうことですの?」

「お前が全部俺に話してくれた通り、悪行が全て表に出るだけだ」

 そう言うと踵を返し、ジェレマイアが部屋から出ようとする。

「殿下!貴方の妻を見捨てるおつもりですか」

「妻だと?」

 ジェレマイアは足を止め、クレアを見下ろす。クレアはまだ弁解の余地がある、と顔色を明るくした。

「それなら聞かせてもらおう。お前は俺の食べていた料理をどう思っていた?貴族の動向は?」

 誰が見ても、ジェレマイアの食事は異様だった。また、貴族たちがジェレマイアを軽んじていることも気がついていた。

『そんなこと私に関係ないじゃない。身体に悪そうなものでも好きに食べればいいわ。貴族たちから何を言われたってどうせ王になるからいいじゃない。その美しい顔で、生きて王にさえなればいいのよ。そうすれば、私はこの国で最も尊い女性になれるのに!』

「私だって。殿下のこと心配していましたわ。お食事は皇后様とのご関係に、口は出してはいけないと思って。本当は止めたいってずっと思っていましたわ。愛する人の健康は大切ですから」

「もういい」

 心の声と全く一致しない言葉に、ジェレマイアは呆れたように首を横に振った。そして、扉の方へ向かう。

「皇后様の影は何をしているの!」

「ああ。可哀想だからそれだけは教えてやろう。俺がこの部屋に来た時には、すでに影の気配はなかった。おそらく、ライを無力化した段階で帰ったんだろうな」

「何ですって」

「お前も捨てられたんだよ。皇后に」

 そう言い残すと、ジェレマイアは扉を閉めて部屋から出た。部屋の外にも聞こえる大声で、クレアがジェレマイアの名を叫ぶが、もう戻ることはない。

 (――ビオラ。ビオラ)

 本当は自身で抱き上げで、医者まで連れて行きたかった。しかし、影に任せた方が短い時間で医師の元へ移動できる、そう考えて任せたのだ。

「俺は。お前がいなくなれば何をしたらいいんだ」

 ジェレマイアが物心ついた頃には、周りには嘘つきの大人しかいなかった。王は彼を見て神を感じ、息子とは思っていなかった。

 そしてタキアナ皇后と兄であるサレオスは、初めて会った時からジェレマイアを殺すことしか考えていなかった。

 ずっと灰色のような、重く暗い世界で生きてきたジェレマイアは、世界に色があると教えてくれたビオラがいなくなったら。どうやって生きていけばいいのか、分からなくなっていた。

 (――まだ、大丈夫だ。ビオラは死んだわけじゃない)

 抱き上げた時のぐったりとしたビオラの様子が脳内に浮かび、ジェレマイアは片手で顔を覆った。部屋に戻って、ビオラがこの世にいないと言われるのが怖かった。
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