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20話

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 謁見室へ向かうジェレマイアの足取りは軽い。鼻歌でも口ずさみそうなほどに機嫌が良いことが、見た目で分かるほどだ。

 (――ライの言う通りにしてよかった)

 先ほどのビオラの様子を思い出し、ジェレマイアは心がくすぐったくなった。人を喜ばせたいと思ったことも、喜んだ人を見て嬉しくなったのも生まれて初めてだった。

 ジェレマイアが神から授かったのは、病気にかからない身体と人の心の声が聞こえる能力だった。思いが強いほど声は大きく、しかも周りの人の考えていることは全て声になって耳に届く。

 能力が高く後継者として育てられた年の離れた兄がいるところに、お告げと共に生まれてしまったジェレマイア。しかも出産直後に亡くなった母は、身分が低くジェレマイアのことを心から愛してくれる人は周りにいなかった。

 そこに現れたのが、心の声が全く聞こえないビオラだ。しかも、ビオラがいる空間では、ビオラ以外の心の声も聞こえなくなる。

 (――まさか。静けさがこれほど良いものとは)

 生まれた時から心の声が聞こえていたジェレマイアにとって、初めて心の平穏を感じた瞬間だった。何回もビオラに会ううちに、ビオラ以外の人物に意識を向けると、その者の心の声はわかることに気がついた。

 そのため、今ではビオラのいる場所では、心の声の取捨選択ができるようになっていた。

 ジェレマイアは用心深く、自身の能力を王や皇后には、話の真偽が分かる。と伝えている。そのため、王は謁見や重要な会議があると必ず、ジェレマイアを同席させるようにしていた。

 (――できれば早く終わらせて、あの空間に帰りたいものだな)

 頬を真っ赤に染めて、じとっと自分を睨むビオラを思い出して顔を綻ばせる。

 謁見は始まっているようだ。ジェレマイアはビオラの顔を思い浮かべたまま、部屋の中に入った。








 ジェレマイアが部屋を出ていき、一刻ほど経っただろうか。

 ビオラはお腹がいっぱいになり、部屋のソファーでくつろいでいた。

「お城のケーキ美味しすぎる!」

 とても食べられる量ではないと思っていたが、塩辛く茹でた豆など、しょっぱい系のおつまみも置いてあったことで、予想外に食べてしまった。

 ぱんぱんに膨らんだお腹を撫でて、ふぅとビオラは満足気に息をついた。

「困ります!」

「うるさい。この方を誰だと思っているんです?」

(――ミレイユだ!)

 神経質そうな声が扉から聞こえ、ビオラは立ち上がる。

 扉の前に二人の護衛男性が立っていたが、その二人に部屋に入れろと文句を言っているようだった。

「殿下から誰も中に通すなと言われております!」

 男性が必死に食い下がるが、無理やり扉を開けられる。扉を開けたのはミレイユだ。その後ろ、扉の隙間から妖艶な女性を見つけてビオラは驚く。

 (――すごく綺麗な人。もしかしてこの人がクレア様?)

「侯爵家の娘であり、殿下の妃の私を通さないことなんて無理なことだわ。殿下にもそう伝えなさい」

 部屋に入ってきたクレアは、たくさんの花が飾られた部屋を見て不愉快そうに眉を顰めた。

「これ全て殿下が田舎令嬢のために用意させたのかしら?ああ、分不相応だわ」

「本当ですね。あら、お前はこの前の生意気な侍女ですね」

 ミレイユが部屋の中一人残されたビオラを見つけ、クレアの方を振り返る。ビオラはすぐに頭を下げ、礼の形をとった。

「田舎令嬢が唯一、自分の領地から連れてきた子ですよ」

「へぇ」

 面白いことを聞いた、とクレアが豪華な扇で口元を隠して笑う。

「田舎令嬢のお供なんて、野犬みたいなものね」

 クレアはそう言うと机の上に残されたケーキを一つ皿ごと手に取り、床に落とした。

「ほら、拾ってお食べなさい」

 くすくす笑って言うクレア。ビオラは俯いたままどうしようか、と考える。
 
 (――ここで歯向かうと、お嬢様に迷惑がかかるかな?」

 ふかふかの清潔な絨毯に、これまた綺麗な状態でケーキが落ちている。正直言えば、進んで食べたくはないけれど、拾って食べることも無理ではないかも?もビオラは思っていた。

 俯いたまま悩むビオラを見て、クレアは怯えていると思ったのか満足そうだ。

 (――早くどうするか決めないと……うん?」

 先ほどクレアが落とした銀色の小皿に、天井が映っていた。そこに、今にも下に降りようとしているライの姿を見て、ビオラは内心飛び上がるほど驚いた。

 クレアの行為に心底腹を立てているライは、額に青筋を立てながら、天井の柱から飛び降りようとしている。

「待ってください!」

 クレアに、というよりは、天井にいるライに言うためビオラは声を上げた。

 (――分かんないけど、このケーキ食べたらライ様降りてきそう!)

 そう考えたビオラはケーキを食べることはやめて、クレアに向き合う。

「第二妃様。こちらのお部屋にあるお食事はすべて、私が口にするには高貴すぎるものばかりです。床に落ちたものですら、私にはもったいのうございます」

 ビオラのへりくだった対応に、クレアは満足したようだ。

「あらあら。意外と躾ができてる犬だったわ。犬を相手にするのも品のないことよね」

 おほほ、とクレアが笑ってミレイユに言う。

「でも。田舎令嬢の無礼を、貴方が償いなさいね」

 何とかなったと胸を撫で下ろした瞬間、クレアが扇を振りかざしてビオラの頬をはたいた。扇の宝石が一つ床に転がり、衝撃にビオラは目をパチパチとさせる。

 (――あ、口の中切れた)

 じんわりと口内に広がる鉄の臭い、そしてもう一発来ると思ってビオラが奥歯を噛み締めると

「その辺りにしたらどうです?」

「あら。ライじゃない」

 クレアが振りかぶるタイミングで降りてきたライが、扇を掴んで言った。クレアはおっとりとした表情で笑う。

「主人の無礼を、この犬に取らせていたところなのよ。殿下はまだ謁見終わらないのかしら?本日何時にお越しになるか、聞きにきましたの」

 うふふ、と笑うクレアに、ライは苦虫を潰したような表情だ。

「殿下の控え室に案内します。終わり次第、そちらの部屋に行く予定なので」

 そう言うと部屋の外に人を呼びに行く。そして、クレアを控え室に案内するように命じた。

「ご苦労だったわ。それじゃあね」

 クレアはライが手配した人に連れられ、部屋を出ていく。

「ビオラちゃん。ごめんね。間に合わなくて」

 ライがビオラの頬を手当てしながら、申し訳なさそうに謝る。今にも泣きそうな表情に、ビオラは笑った。

「大丈夫です。私が先に待ってくださいって言ったじゃないですか。むしろ、二発目から守ってくれてありがたかったです」

 それよりも、ビオラはクレアの屋敷に行くジェレマイアの方が気になっていた。

「あの女がでかい顔してられるのも、あと少しだよ」

「え?」

「詳しくは言えないけど、殿下はあの女のことを少しも愛してないし、信じてあげて欲しい」

「でも、今夜も屋敷に行くって」

「そうなんだけどね。なんて言うか、君が殿下の初恋だと思う」

 よし、とビオラの頬の手当てを終えたライが手を離す。

「この後多分腫れてくると思う。すぐに冷やすものを取ってくるから、しっかり冷やしてね」

「あの!初恋って?」

 ビオラの言葉にライがにっこりと笑う。

「僕の初恋もビオラちゃんかも」

 なんてね、とライは笑って部屋から出て行った。

「え、じゃあ。殿下の初恋も冗談?」

 じんじんと痛む頬をおさえて、ビオラがつぶやいた。
 
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