玉響に希う たまゆらにこいねがう

春紫苑

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 と、そんな淡ぁい、儚い思い出を胸に、俺は今日も館山医院に来ている。

「……センセ……まだ終わんねぇの……薬……」
「そう言うならな、自分でもうちょい、自分の面倒見ろよ?
 外、小雨降ってんだろうが。なんで傘差さないかな。
 そうやっていちいちぶり返すから治らんのだろうが」
「箸より重いものが持てませんのでねぇ」
「じゃあその鞄どうやって持ってるんですかぁ」
「持ってねぇっすよ。肩に掛けてる」

 どうでもいい会話を繰り広げつつ、センセをちらりと見て。

「で、園部サンは、お見えになりませんかぁ」
「来ねぇよ。いい加減しつこいぞお前もよ」
「あんたが言ったんだろ、また来るかもしれないってさぁ。いい加減、住所教えてくれても良くねぇ?」
「絶対駄目」

 おきまりの会話を最後に付け足す。
 今日も教えてくれませんかぁ。

「まあとにかくな、お前もうちょい、体調管理に気を払えよ。
 若干ぶり返してる。薬も飛ばしすぎ」
「忘れんだもん……。これでも俺、前よりまだちゃんと飲んでんだぜ?」

 前住んでた所では、倍くらいは薬を飲み飛ばしてたのだ。
 ずいぶん成長したんですよと胸を張って主張すると半眼でため息を吐かれてしまった。解せないんですけど……。

「努力してるんですけどねぇ」
「……そうかよ」

 努力、したんだよ、これでもさ。
 そこらへんに埋没する、品行方正な好青年ってやつに見えるように。
 明るい茶髪になった頭。前髪が長いままなのは、耳にある大量の穴をある程度隠すためだ。前髪は現在下ろしているが、普段は分けているからもう少し爽やかさがアップする。
 ありきたりな服を着て、靴だけちょっと、シャレをきかせているけれど、見咎めてくる奴はなかなかいない。
 センセがどこで見つけてくるんだよ……と言ったこの靴はそれなりに気に入っている。革靴ではあるが、足袋のような形をしているのだ。街を徘徊している時に見つけた靴職人の手製。面白い。
 もうそこら辺のチンピラには見えないというのに、まだ俺が更生したことを認めてくれませんかねぇ、このセンセは。

「薬は今まで通りな。ちゃんと飲んでりゃもう少し減らせるってのに……ったく……。
 またひと月分出しとくから、次も忘れず来いよ。来なかったらイタ電するからな!」
「古いよセンセ……ツ◯ッターとかラ◯ンとか、もうちょっと現代風なやつ使ってよ……」

 診察室を追い出され、待合室にて清算を待つこととなった。
 随分と暑さが緩和されてきたからか、今日はクーラーも動いてない。
 …………もう、半年以上、経ったしな……。

 半年以上、再会できないままだ。

 園部は俺のその後なんて気にもならなかった様子で、センセにも電話一つ、入っていないらしい。
 いや……それはまぁねと思う。
 あそこまで親切にしてもらえたことがそもそも、相当異常というか、昨今の世知辛い世の中では奇跡的なことだと理解している。
 しかも、お世辞でもお近づきにはなりたくなかったであろう、いでたちをしていた俺なのに。
 一期一会ってやつだ。その場限り。それが普通。
 見返りを期待するのじゃないなら、なおのこと。接点を保とうとするはずがない。
 分かっている。なのに、なんで自分が、園部との再会をこんなにも望んでいるのか……それが我ながら不思議だった。
 あの見てくれだった人間に、何故ああも親切にしてくれたのか……。理由が知りたい。
 あんな風に……ただ優しくあれるものなのか……。
 あれが園部という人間の本質なのか……。

「白石さーん」
「っ。へぇい」
「お待たせいたしました、八百六十四円です。こちらが処方箋になります」
「はぁい」

 料金を支払い、医院を後にする。処方箋は……学校の帰りにしよう。今なら二限開始には間に合うはずだ。
 入り口横に停めていたクロスバイクに跨り、ペダルに足を置いた。
 霧のような小雨は気にしない。
 チャリこいで傘をさすのは危ないからね?    じゃあ徒歩で来いって?    んなん、電車とかバスとか乗り継いでる間に往復できる時間が経つから却下。

 京都は自転車が有効な都市だ。
 下手したら、車より早く目的地に到着できる。
 一方通行も多いし、大通り以外の道は結構細い。なので必然的に、車は混む。そこかしこで渋滞が発生するのだ。
 ここに来て二週間程でそのことを悟ったので、クロスバイクこいつを購入した。それが今の、俺の足。
 ブロンズとシルバーの境のような色合いフレームに、ミント色のアクセントが効いたデザインが気に入って即決した。

 鼻歌を口ずさみつつ、ペダルをこいでいる間に、霧雨のような雨はいつしか上がっていた。
 車道を車と大差ない速度で走り、大学へ到着するまでに掛かった時間はほんの十分前後。
 バスならまだバス停で待ってる頃合いだ。
 駐輪場に乗り付けて、チェーンを巻いて、二限の科目はなんだったかなと頭を巡らす。
 とりあえず足を進めていると、目星をつけてた教室のひとつより……。

「あっ、ヨーコちゃぁん!」

 阿呆面が俺をそう呼び、両手をブンブンと振っている……。

「ゔるぁ、なんつった」
「あっ、ごめんなさい……ようこう……陽向ひなた……陽向様!」

 NGワードを連発しやがった友の襟首を掴んで引き寄せると慌てて言い直す。
 すると周りにいた他の連中のうち、一人……鈴木が苦笑しつつ言葉を添えた。

「はよ、陽向。一限の出席票出しといたぞ。今日は俺な」
「おー。昼食でおーけー?」
「ラーメン、半チャーハン付き」
「りょーかい」

 阿呆……もとい、野島の襟から手を離してそう言い、席に着く。
 こいつらがここにいるってことは、二限はこの教室ということだ。

「相変わらず太っ腹なぁ……。まぁ有り難いけど」
「薬行っとかねぇと死活問題なんだよ。飯で時を買えるなら安いもんですね、俺的には」
「喘息ってそんなに大変?」
「大変大変、下手したら死ぬからな」
「陽向死んでも死ななそうなツラしてんのにな」
「ツラが関係あるんですかぁゴルァ」
「……やめて、その顔マジで怖い」
「ほんとな……お前さ、どこかのチンピラみたいな顔するなよ……そういう前歴かと思うぞ」
「はっ、名演技と言ってくれ。ちょっとワイルドくらいな方がモテますしぃ」

 そう。
 俺の前歴はもはや過去の話。
 大学は、両親から離れることだけを目的に選んだのだが、知人が一人もいない地に来たことは幸いだった。
 髪を茶髪に染め直し、ピアスを極力外して、雑誌のモデルが着ている、まともそうな服のイメージをスタイリストさんに依頼したら、一週間も掛からず、俺は全くの別人……品行方正な白石陽向しらいしひなたに生まれ変わってしまったのだ。
 きっと高校の友人とすれ違ったって気付かれないだろう。もしかしたらカツアゲのターゲットにされるかもしれない。それくらい人畜無害に見えるようになった。
 誰に何を言われても正されなかった服装は、京都に来て三日も持たず、あっけなく捨てられた。

 それもこれも、あのセンセが悪いのである。

 見ず知らずの人間……しかもあんな風体だった俺に優しく、かいがいしかった園部に、礼がしたいからと、連絡先を聞いたのだが。
 答えは「却下」だった。

「あいつはね、程々のお嬢様なんだよ。だから兄さんの服装とかにも免疫無かっただけ。
 そんななりで家を訪ねるなんて論外。諦めようねぇ」

 威嚇しても脅しても駄目だった……。

 なので二週間後、新たに薬をもらいに行くときまでに、俺は自分を再構築したわけだ。
 無駄に終わったけどな……。

「見てくれだけ変えたって駄目に決まってるでしょうが。
 信用してほしけりゃ、それで当面過ごすくらいのことはしてもらわんことにはねぇ」

 そんなわけで、大学デビューはこの人畜無害バージョンの俺が果たし、現在に至る。
 自分で言うのもなんだが、本当にまともそうに見えるので、まともな友人ができました。肩がぶつかっただけで相手に殺意抱くような輩は一人もいませんね。

「あ、陽向。ノートどうする?」
「んぁ、祐介ぇ、写メ送っといて。お前にも昼食奢るから」
「いいよいいよ~。俺はラーメン大と餃子よろしくな~」
「りょ~」
「いいよな祐介。しょっちゅう奢られて。俺のノートもたまには選べよぉ」
「祐介のノートが一番分かり良いんだから仕方ない。
 野島のは解読不能すぎの意味不明すぎ。まず読める文字を書けるようになってから言え」

 授業前の数分をそんな風に過ごしていたら、部屋の外からタッタと軽い足取りで跳ねてくる人影がひとつ、視界の端に映った。

「おっはよぅ。陽向くんみっけー」
「タマ」
「タマって言うな!」

 首にまとわりつかれたと思ったら、ギュッと両手で首を絞められた。
 苦しさと一緒に、背中にむにょりとした弾力が押し付けられる。

「環ちゃん、イメチェン?」
「いひひ、どう?    大人っぽくなってます?   襟足セクシー?」
「セクシーセクシー!」
「後ろにいて見えるわけあるか」

 いちいち押し付けられる弾力に辟易しつつそう言うと、やっと首に回された手が外れる。
 イヤイヤながら振り返ると、そこそこ可愛く、そして自分をそこそこ可愛いと自覚している女、相原    環(通称タマ)が、期待の眼差しで俺を見ていた。

「ボブにしたんだ」
「へー……」
「それだけ⁉︎」

 不満げにそう言う。

「あーうん……似合ってると思う。すっきりした」
「本当?」
「うん」
「……それだけ?」

 ……何を言わせたいかは分かっているが、あえて言わない。

「ベル、鳴りそうだけどここにいて間に合うの?」

 俺のその言葉とともに、始業開始のベルが鳴り響く。

「あっ、やばっ、感想後で!」
「さっき言った」
「もー!」

 教室に入ってきた教授に、環が慌てて外に駆け出す。自分の授業に急ぐ様子だ。
 俺たちも各々、机に教材を並べ、授業の準備に入る。
 そして授業が開始され……。

「あーあ、環ちゃん可愛そうに。誰のためにボブにしたんだかなー」

 まだ引っ張るんですかそれ……。
 野島の呟きに辟易しつつ、返事を返す。

「へー、誰のため?」
「お前だろうがっ」
「誰がボブが好みだっつったよ」

 そもそも、どれだけモーションかけられたところで、俺は環を恋人枠に入れる気は無い。
 だいたい、なんでボブにイメチェンしたのが俺のためだよ。意味不明。
 そう返事を返すと、それぞれが馬鹿を見るみたいな視線を向けてくる……。

「はあ?    無自覚?」
「お前黒髪のボブ大好きじゃん。いっつも目が吸い寄せられてんぞ」
「いたらとにかく見てるじゃん。あきらか好みなんじゃん」

 そんな風に言われ、そんな風に見えてたのか……と、若干呆れてしまった。

「違う。人探してただけだから」

 目が、園部を探していただけだ。
 黒髪のボブカットがいたら、つい視線が、吸い寄せられてしまう。
 ただそれだけのことだ。
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