上 下
1,091 / 1,121
後日談

恋 4

しおりを挟む
 翌朝、帰還するロレン様を見送ることとなりました。

「……あの、お世話になりました」
「なんの。またお越しいただけると嬉しい。な、サヤ」
「はい。是非また。
 今度はゆっくり遊びに来てください」

 馬格、白の馬を引いたロレン様は、とても凛々しく精悍でした。
 この時期になれば、もう狼でなくとも大丈夫だろうとのことで、馬での帰還となります。そのついでにと、セイバーン領主より王都へのお使いを仰せつかったロレン様。

「これが陛下への密書。それから献上品の、セイバーン産牝馬、馬格、白。確かに託した」
「承りました。必ず無事お届けします」

 勿論、このお使いは建前です。
 王都に寄らなければならないなら、故郷への帰還は当然遅れますからね。彼女を有利にするため、少しでも時間を稼ぐ策のひとつなのでしょう。
 きっとレイシール様は密書の中にも、何か手を打っていると思います。
 この件をあんな風に軽く扱ってらっしゃる様子だったのは、絶対の自信がある策を有していらっしゃるゆえだと確信を持っておりました。ですが……。

 それをお伝えいただけないのは……私が従者を辞すつもりであるからでしょうか……。

 そう考えると、胸が痛む心地でした。
 この方との間に、確実に距離が開いてきているのだと……お姿を目にすることすら叶わぬ日々が近づいているのだと、どうしてもそう考えてしまいます。

 私が内心でそんな不安と闘っている間にも、ロレン様の旅支度は整ってまいりました。使用人が馬の背に荷を括り付けていきます。
 その隣で、私の贈った小剣を腰に携えておられますロレン様はというと、どこか微妙なお顔でレイシール様と話し込んでおられました。それというのも……。

「陛下への献上品なのに……本当にボクが乗って行っても良いんですか?」
「馬を運ぶのに、馬に乗らないのは馬鹿らしいじゃないか」
「……まぁ、そうです……かぁ?」
「そうだよ」

 あっけらかんと肯定するレイシール様に、首を捻っておられます。
 普通に考えれば確かにおかしな話ですからね。
 けれど王都に着き、陛下に密書をお渡しいただけましたら、この献上品が陛下を介し、ロレン様へと贈られたものだと分かるでしょう。せいぜい泡を食ってほしいものです。
 ……そうして少しでも、私を思い出してくだされば良いのですがね……。

 準備は進み、 鞍嚢あんのうに昼食用の弁当などもしまい込まれました。
 旅立ちの時。
 アヴァロンの入り口となります桟橋まで、ロレン様を見送る一同がぞろぞろと足を進める中、歩みの遅い私は、ブンカケンの門前まで。
 進む皆の背を見送っていたのですが……先頭を進んでいたロレン様が足を止め、馬の手綱をサヤ様に預け、何故か小走りで引き返して参りました。
 振り返る皆の視線を背に、私の前までやって来たロレン様は……。

「……捨て台詞でも忘れておられましたか」

 と、挑発した私の襟をぐいと引っ張り……。

「あぁ、忘れ物だ。あんたに返す」

 何を返されたのか分かりませんでしたが……。

「ボクはこの剣を貰ったから……これからあんたを思い出す時は、これを手に取る……」

 思いがけない言葉に、つい声を失ってしまった隙に、ロレン様は更に言葉を続けました。

「ボクを女扱いしたのは、生涯できっと、貴方だけだよ……」

 とっさに身を乗り出そうとした私の胸をトンと押して、ロレン様は距離を取りました。
 もう一度触れたい。そう思った私を彼女は拒み、そのまま踵を返し、あとはもう振り返りません。
 サヤ様のもとまで戻って、手綱を受け取り、何も無かったかのように足を進め、離れていく……。

 突き放すのに、その台詞は卑怯でしょう……。

 そう思いました。
 けれど、どこかで救われてもいたのです。
 自らの在り方を否定するに等しい行為を、私に許してくださったのはやはり……多少なりとも想いがあったからだと。
 気持ちが全く無いならば、彼の方は私に身を委ねてはくださらなかっただろうと、そう思えましたから。

 皆の姿が見えなくなり、時が刻まれ、またひとり人数を減らして戻ってまいりました。
 門前に微動だにせずとどまっていた私に、皆様は少々怪訝なお顔をされましたが、歩み寄るレイシール様に気付き、納得し、興味を失ったよう。

「無事旅立ったよ」

 そう報告してくださったレイシール様に「左様ですか」と返事を返しますと、そのまま足を進めてきた我が主は何故か、私に手を伸ばし……。

「襟、崩れてる」

 ……引っ張られましたからね……。
 微妙な嫌がらせを受けた心地です。

 けれどそこで、我が主はふっと表情を緩めて「あぁ、戻ったんだね」と、言葉が続き……?

「これ、ロレンが持っていたのか……」

 レイシール様の左手が私の首を撫で、ひんやりとした金属を感じ、襟元を歪められた理由をようやっと理解しました。
 あの戦いで失ったと思っていた、私の襟飾……。

 ではあの言葉は……。
 私に何も残してはくださらなかったあの方は、何も無かったと思っていたこの一年も、飾りをよすがとして、私を思い描いてくださっていた……?

 自然と、視線が足元に落ちました。
 強情を張らずにいれば良かったのかもしれません。
 もう少し寛容になれていたら、彼女はもっと、違う未来を選んでくれたのでしょうか?
 そんな後悔が、表情に滲んでしまったのでしょう。レイシール様は困ったやつだというように苦笑しました。
 そうして、言うべきか迷うように視線を逸らし、少し考えてから……。

「……ハイン、お前は獣人だから、ロレンはきっと、心配だったんだと思うよ」

 それは、獣人とつがうことへの恐怖でしょうか。
 こんな状況下でなければ、あの方は私に身を許してはくださらなかったのでしょうし……。
 けれど私がそれを言葉にする前に、私の考えを察したレイシール様は……。

「そうじゃない」

 それまでの和やかな雰囲気はなんだったのかと思うような、真剣な表情となっておりました。
 このお顔は……勝負に出る時のお顔です。何かを掴むために、一手を打つ時の。

「ついこの間まで獣人おまえたちは、獣として扱われ、不意に切り捨てられても文句すら言えない存在だったんだ。
 そのお前が、伯爵家の妻へと望まれた者を奪ったことになる。
 女性というだけで、彼女をずっと虐げてきた相手だもの。お前にだって容赦しない……そう考えたんだと思うよ」

 そこには考えが及んでおりませんでした。
 私は彼女が貴族の妻とならずに済むこと。それにしか思考が向いていなかったのです。

 ならばあの方のあの態度は、全て私を庇うためのものだったと……⁉︎

 合点がいきました。そして後悔しました。彼の方を独りで故郷に向かわせたことに。
 けれど、こんな身の私は、彼女の足手纏いにしかならないでしょう。
 職も辞し、ただの獣人でしかなくなる私は、五体すら不十分で、自らこの地を離れることすらできない。
 なにより、私の主はレイシール様。これだけは、従者を辞したとしても譲れない。私が今世に在る意味。

 でもだから、ロレン様は私を突き放した……。

 私に、私の大切なものを捨てさせないために、そうしたのです。
 なんて浅はかだったのでしょう。どうして私は、その考えに思い至らなかったのか……!

「お前が自分を責めるのも違うよ。
 ロレンは多分、ここに来た当初からそのつもりでいたろう。
 お前を頼ってきたけれど、お前を巻き込むつもりははじめからなかったんだよ。
 だから、伯爵家にも想い人がいることは告げていないだろうし、操を捧げた相手の名を出す気もないだろう。
 お前をここから連れ出す気も無かった。
 お前が俺に魂を捧げていることも、その決意も、全部知っていたからね」

 そこまで語りレイシール様は。

「ハイン、お前に従者を辞すことを許す」

 今まで、ずっと跳ね除けられていたことを、何故かこの時、認めてくださいました……。

「その襟飾を返してくれて良い。お前はもう、俺の盾にはなれない……。
 俺の盾はこれから、ウォルテールが担ってくれる。お前がそのように、彼を育ててくれたから」

 私の役目。
 それがこの瞬間に、全て、失われました。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

恋文を書いたらあんなことがおきるなんて思わなかった

ねむたん
恋愛
あなたがどこで何をしているのか、ふとした瞬間に考えてしまいます。誰と笑い合い、どんな時間を過ごしているんだろうって。それを考え始めると、胸が苦しくなってしまいます。だって、あなたが誰かと幸せそうにしている姿を想像すると、私じゃないその人が羨ましくて、怖くなるから。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

処理中です...