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少し前の話 20

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 ちょっと走れば直ぐ息の上がる身体……。

 昨晩は散々運動できたくせに……と、我がことながらなんともいえない気分になりつつ、もうちょっと計画的に鍛錬し直さねばと決意を固めた。
 きちんとまた、生活を管理し直さなければ。地位を失ったとしても、俺にはまだ守るべき人たちがいてくれる……。

 休憩を挟みながらリアルガーの天幕に到着すると、何か激しい口調の応酬が聞こえてきて、もう一踏ん張りと足を進めると。

「馬鹿言ってんなよ! 軍隊とやり合うような戦力が、ここの一体どこにあるってんだぁ⁉︎」
「そうは言っても、ここだって戦場になる可能性がある! ここは隣国とも近く、ジェスルにだって繋がってるんです!
 それに……フェルドナレンはここを守りません……。自衛するしかない。ここは打ち捨てられた、北の荒野なんですよ⁉︎」
「マル?」

 帷を押し上げてリアルガーの天幕に足を踏み込むと、ハッとしたように口を閉ざす二人。
 俺が来ることは想定していなかったんだろう。咄嗟に表情を取り繕ったマルとリアルガーだったけれど、もうその直前の会話を俺も耳にしているから、意味は無いよと冷静に伝えた。

 チッと、舌打ちするリアルガーは、早々に誤魔化すことを断念。渋面で口を閉ざすことを選び。
 マルはまだ諦めてない様子だったけれど「マル」と、念を押すと、深い息を吐く。何か凄く、思い詰めた顔で。

「聞かずとも良いんですよ……。貴方は怪我人、療養中なのですから」
「そんなことを言ってられるような内容じゃなかったろう? 話してくれ。
 ……気を遣ってくれてありがとう。でも、俺はもう、大丈夫だから」

 ちゃんと冷静に話を聞ける。自暴自棄にもならないよと告げたら、不思議そうに俺を見上げるマル。

「……レイ……様?」
「うん。もう様付けは必要無いけれど……お前たちの主としては、聞くべきことだと思うよ」

 俺は貴族を追われたけれど、マルやジェイドは一度だって、俺が吠狼の主を降ろされたとは言っていなかったものな。
 リアルガーも、俺を主だと認めていた。なら俺はまだ、吠狼の主。俺には彼らを率いるという責任が残っているということだ。

 俺の言葉にマルは、喜びを堪えるような……だけどやっぱり俺を気遣ったのだろう、それでも渋る素振りを見せた。
 そうして、彼にしては珍しく……。

「……言う権利なんて僕には無いんですよ……。僕はここを優先して、貴方がたを切り捨てたんですから……」

 それは、アヴァロンに戻らず、ここにとどまったことを言っているの?

「それは……アヴァロンよりも、ここの方が急務だと判断したってだけだろう?
 実際どちらが先だったかなんて結果でしかない」

 家族がいる地なんだ。守りたくって当然。だから、お前は何も、間違っていない。選択を誤ったわけでもない。
 アヴァロンは、任された俺が守らなきゃならなかった。

「誤ったんですよ……。ここだけを守ったって意味がないって、分かってたのに。
 それでもここを離れられなかったんです。万が一を考えたら、怖くて…………っ、失えなくて……」

 そう言うと、マルは困ったように口を噤み、俯いてしまった……。
 けれど、天幕の端で状況を見ているだけだったジェイドが口を開き「スヴェトランが春にも動きそうなンだよ」と、抜け駆け。

「そのうえ奴さんら、神殿ともつるンでる」
「ああぁぁ! なんで言っちゃうんです⁉︎」
「そのだンまりに意味あンのかよ。
 一応姐さンローシェンナとアイル張り付けてっけど、確認待ちなだけでほぼ確定だろ。
 馬事師らが言ってた密売業者な。アヴァロンを襲った野盗もどきと同じく、神官の顔を持ってやがった……これがまた宣教師だ」

 忌々しげに言ったのは、サヤを窮地に追いやった、あの事件の仕掛け役のこと。
 野盗のふりをしていたけれど、商人の顔と、宣教師の顔を持っていたあの兇手……それと同じような、一人で何役をもこなす人物が、まだいるという。

「二人いるなら、三人以上だっているンだろ。もしくは宣教師の何割かがこうやって動くような役柄なのかもな……。
 つうか、こンな奴らが国中に潜ンでるのかと思うと笑えてくるぜ」
「……つまり、スヴェトランの怪しい動きは、神殿の動きと連動していたんだな」

 春の国境沿いでの動き……。あれはたまたま時期が重なってしまったのではなく、神殿が動かしていたから、重なっていたと。
 そして先程の会話は、その連中の動きが活発化しているということ……。
 しかし、アヴァロンに訪れていた大司教は、そういったことを画策している雰囲気ではなかった……。
 と、なると。スヴェトランと通じているのは裏の神殿……狂信者の方だけと考えるべきだ。

「マル、神殿の動きの目的と理由、どう考えてる?」

 そう問うと、渋面になりつつも答えてくれた。

「どうもこうも……目的は権威の回復だと思いますけど……。
 理由はフェルドナレン王家が、寄生先として使えなくなったからじゃないですかねぇ……。
 王家が高貴なる白を否定し、あまつさえ病だと発表してしまったこの国で、神殿が権力を取り戻すのは困難です。
 だから、もう……テコ入れではなく、寄生先を変えることを選んだのだと思います」
「寄生先をスヴェトランにってことか?」
「……正直僕も、それが目的とは思えないんですけどね……。
 なんでサヤくんを悪魔認定するなんて演出をしたのか……その意図が見えない」

 アヴァロンでのあの一連の動きを、演出だと言うマル。

「でも推測ならばできます。可能性の高い理由としては、先にサヤくんが、世に大きく名を晒してしまったからではと。
 元々は、欲していたのだと思いますよ……そう動いてましたしね。
 近年の神殿は力をどんどん削がれていっていた……。だから本当は、五百年前の再来を願っていたはずです。あの頃が一番神殿が、力を手に入れ謳歌していた時期ですから」

 王政にも深く入り込み、王家の婚姻すら操作できた時……。サヤより前の、異界の民がいたかもしれない時……。

 サヤより前の、異界の民……。

 マルはここでもまた、逡巡する素振りを見せたけれど……。

「だけど今回の『渡人わたりびと』は、勝手が違った」

 初めて聞く言葉。異界の民を『渡人』と表現した。
 リアルガーが共にいるにも関わらず。

「特別な知識を惜しげもなく振りまき、しかも外見が、特徴的な黒髪です……。
 確信を持った時には遅かった。もう彼女は公に存在を認知されていて、おいそれと手が出せず、そのうえ貴族に囲われていた。
 サヤくんは神殿に身を置くことを選ばなかったし、囲い込むことができず、奪って隠そうにも失敗して、今や貴族の妻です。
 他に奪われるくらいならば潰してしまえ! と、そうなったのではないかと」

 そうは言いつつも、マルは自分の言葉がそのまま答えだとは思っていない様子。
 だけど……その説明で何となく色々、見えてきた気がした。
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