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終幕 12

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 悔しかった……。
 獣人を……人の感情をなんだと思ってる。
 こんな風に使われて良い命なんて無い。どんな生まれだろうが、悪人だろうが、弄ぶみたいにして良いはずがない……っ。

 だが腹を立てたところで……。現状では、その人物の容姿すら、俺は知らない……。
 この人物は、俺を殺したいと思っていて、サヤをも殺すつもりなのだろう……悪魔呼ばわりも、その演出。
 ここに来て、サヤを狙う目的が、殺す方向に変更されたことが気になったけれど、どうせ考えたところで答えは出ないだろうし、そもそもそれを許すつもりはない。

 このまま進んで通れるのは、先細りの道……来世への旅路だけだ。

 そんなことは、あってはならない。サヤを、獣人らを、好き勝手になんてさせない。
 この人物の裏をかくなら、どうすれば良い?
 あるはずだ。
 おおよそのことは想定されて、布石を打たれていると思うけれど、どうせそこを抜け出さなければ、俺たちはきっと同じ末路を辿る。
 この人物を出し抜く以外、勝機なんてきっと無いんだ。

 だから追え。この人物の考えることを追求しなくてはいけない。
 こいつの思考をなぞることには嫌悪感しかないけれど、俺は更に心を寄せるため、その思考を模倣する……。

 人に期待などしていない……。
 裏切られた人間の心理だって知り尽くしている。
 それが組織であれば、尚のこと融通なんてきかない。
 だから……。
 揺さぶるために、乱すために何をしよう……。どうすれば苦しむだろう……。そしてそれが結果的に、俺の利益になる……。

 反吐が出るような思考を辿り、行き着いた結論……。

「ウォルテールを、助けよう」

 そう言うと、アイルは表情に苛立ちを滲ませた。

「馬鹿な!」

 逃げる手段すら確実に得られたとは言い難いのに、何を言うんだ……っ。焦ったそんな表情。

「何故裏切り者を⁉︎ その危険を冒す意味がどこにある!」

 だからこそ。
 だからこそだと、俺は思うんだよ。

「この人物はウォルテールをこのままにしないよ……。
 きっと、効果的に演出して処分する……俺たちの知らない悪行やら罪やらを、ウォルテールや俺たちに押し付けて、サヤを悪魔に仕立て上げて、大災厄の再来を演出する。
 神殿と貴族を担ぎ出してきたのだから、元よりそうするつもりで仕掛けてきてる。
 だから、ウォルテールを死なせないことで、一つ裏をかけると思う。これ以上好き勝手されて……奪われてたまるか!」
「そうじゃない。助けたとしても、また裏切られる。あれは主の鎖に繋がれているようなものなんだぞ!」

 分かっているさ。
 でも、それを覆されるかもしれないなんてことは、こいつもきっと、考えてない……。
 絆なんてものに、価値など見出していないのだから。

「うん。だから、それを断ち切ってやろう。今ならそれも狙えるんじゃないかって、思うんだよ……」

 獣人の特性を考えれば、可能性はある。
 彼らは、命を賭けられたことには、命で報いようとするんだ。
 ウォルテールがサヤに心を許したのも、命を賭けてもらったと感じたから。新たな絆を刷り込む余地はあるんだ。
 それにウォルテールは今、主に裏切られ、気持ちを大きく揺さぶられている。
 だからここで俺が命を賭ければ、彼の刷り込みを上書きすることができれば、今の主からウォルテールを奪い取れるのじゃないか。
 だって……俺は似たことを、前にも経験してるんだ。

「そうですね。私もそれが切っ掛けでした」

 静かな口調で、無いと思っていた肯定が返った。

「私にも……強い縛りがありました……。
 けれどあの時から……短剣を突き刺した私に、貴方が、大丈夫だよ、と……。
 そう言われた瞬間から、何かが変わった気がします……」

 それまで静かに見守るだけだったハインが、きっとこの会話には加わってこないだろうと思っていたのに。

 彼にとっては、思い出したくない過去。
 俺を傷付けたことを、ずっと後悔しているから、触れてこないと思っていた。
 視線をやると、ハインはやはり後悔を滲ませた瞳を、揺らめかせていたけれど……。

「私が命も取られず捨てられたのは、獣人としての気質が強く出ていたからでしょう……。
 どうせ野垂れ死ぬと分かっていた……。
 まさか、私を命懸けで守ろうとし、赦す存在が現れるだなんて、あそこの誰もが、想定していなかった」

 何かに抗うみたいに。普段ならば踏み込まない場所に、見ない場所に、踏み入ろうとするかのように。
「私すらそう思っていましたからね」と、そう言い苦笑して、ハインは、諦めたように息を吐いた。

「…………ふっ、ウォルテールの血が濃いのも……そうなるべく創られたから……。
 獣人として、知るべきことを何も知らなかったのも……あそこに獣人としての尊厳など無いから……。
 見ていて妙に苛立ちを覚えたのも……あそこの残り香を、感じていたからか…………」

 独白するみたいにそう言い、最後、ハインは吐き捨てるように言った。

「獣人の生態を熟知して飼育している場など……私の古巣くらいのものでしょうね……」

 やっぱりそうだよな。
 ならやはり、神殿と狂信者は繋がっているのだろう。
 確信を強めた俺に、ハインはまた溜息。

「貴方は本当に、学習しませんね……」

 命を賭けるとはどういう意味か、まだ理解していないのですか? と、困った顔で。

「今ならそれも難しくない。
 どうせこの状況を切り抜けなければならない……命懸けだろ。それ自体が」

 簡単にここから逃してくれるはずがないんだ。きっと二重、三重に罠が仕掛けてあるだろう。
 なら、ひとつでも良い。掻き乱して、思い通りにいかないのだと、理解させてやろう。
 手玉に取られてばかりだと思うなよと、高らかに宣言してやろう。

 俺が本気であると当然理解しているハインは、困ったように俯いた。

「……ひとつ、訂正があります。
 ウォルテールが私がいたと同じ場所にいたなら、組織についての口外無用は、主からの命ではなく……」

 グッと眉間に皺を寄せて、抗うみたいにハインは呻いた。

「生まれた時から、刷り込まれるのです……。絶対に許されないことだと、刻み込まれる。来世が紙一重となるまで、追い込まれるんです。
 耐えられなかった者は当然死にます。だから、生き残れた者は、例外無く、口にできない……。
 ウォルテールに、情報源としての価値はありませんよ。たとえ一時的に主から奪ったとしても……また取り返される可能性だって捨てきれない……」

 ハインもまだ、その葛藤の中にあるのだ……。
 未だに過去を、元いた場所を殆ど語らないのは、口にする度怯えるのは、語れないからなんだな……。
 今言ったことすら本当は、口にできないことなんだ……。

 俺を主だと、魂を捧げるまでしたのも、過去以外の場所に拠り所を得たいという、必死の足掻きだったのかもしれない。

 ハインは、お供します。と、言った。
 俺がやりたいと言うことは、全て肯定する。俺が本心から望むことなら、叶える。全力で支えようとする。
 ハインは、その為に生きている……。

「……名を、呼んでやってください。
 あそこの獣人ならば、ウォルテールにも名は無い。割り振られた数字で呼ばれていたでしょう。
 だから、自分が誰かを、理解させてやることです。
 名を得て、それを呼ばれるということは、ほんの細やかなことですが……私にとって、身が震えるほどの喜びでした」
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