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蜜月 8

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 で。
 お互いの気持ちの距離感に折り合いがついた頃……部屋の模様替えが終わったと知らせを受けた。

 そうだった……たとえどんな決意を固めようと誘惑が日々にあるっ。

 正直絶望に近い心境で部屋に向かった。
 あんな風に言っといて、即刻我を忘れる自分しか想像できない……!
 だって耐えられると思うか⁉︎
 誘惑はサヤの夜着だけじゃないんだよ……寝姿だって、着替えだって!
 そんなのが隣で毎日展開されていってたら、どっかで引っ掛かるだろ⁉︎

「まぁ、そうだろうと思いましたので……」

 お前の忍耐をそこまで信用してない。といった、冷めた視線のハイン。

「お二人が納得できるまで、レイシール様の心の安寧は当面維持しなければならないかと考え、このように」

 ふたつの寝台はピッタリとくっついて並んでいたけれど……その間には分厚い天鵞絨の帷が取り付けられていた。
 紐で括って端に寄せることは可能であるけれど、お互いの姿は視界から隠せるようだ。

「着替えも目の毒かと思いましたので、サヤ様の衣装室を隣室に致しました。
 少々手間でしょうが、朝はそちらで準備していただく方がお互いにとって良いでしょう」

 従者用の控室としていた部屋を、そのままサヤの衣装室にしたらしい。
 まぁ、控室って実質ほぼ使ってないもんな……大体一緒にいるし、いない時は別の用がある時だし……。

 執務机も並べられ、後は窓辺やら、低い家具の上やらに、ちょこちょこと縫いぐるみが置かれたりしている。
 それ以外にも、小机の燭台下に綺麗な敷物が増えていたり、明るい色の食器が増えていたりと、そこはかとなく可愛らしくなった俺の部屋……。
 いや、今日からは二人の部屋か……。

「とはいえ……夫婦なのですから、寝台の入れ替えは念頭に置いておくようお願い致します」

 本来は、夫婦になったら、近日中に寝台はひとつに纏めるものだ。
 とりあえずはこれで許すが、そのうち纏めるからなという、ハインの圧力…………。

 でも……口でああ言ってるけど、サヤにここまで配慮してるんだよな、あいつ……。

 俺至上主義だった頃なら、サヤへの配慮なんてきっと無かった。
 だからあんな風に言いつつ多分……これからもサヤへの配慮は忘れないのだろう。
 ハインの中でサヤは、もう俺の一部ということなのかもしれない……。

「まぁ……あまりに分けるのも夫婦らしくないし……婚姻を結んだ意味がないもんな……。
 お互い少しの間、落ち着かないかもしれないけど……ちょっとずつ慣れていこう」

 そう言うと、サヤもこくりと頷き、微笑んでくれた。

 お互いにとってそこまで厳しくない、程良い具合に調整されたような気がする。
 まずはそこから……同じ空間にいる生活に、慣れていくことにしよう。

 部屋をぐるりと見て回っていると、サヤの寝台にいつぞや見た、俺の色を模したうさぎの縫いぐるみが置いてあった。
 寝台の上にあるのか……って思うと、なんとなくそわそわしてしまう……。

 ていうか、この縫いぐるみもアレか? 推しを愛でるってやつなのか?
 俺を動物に例えるってこと?
 実物いるのに動物に変換?
 …………ちょっと待って、なんか分からなくなってきた……。

 余計なことは考えるなと自分に言い聞かせつつ、帷で見えない自分の寝台に回り込む。
 この議題は複雑怪奇すぎるから、また今度にしよう。
 まぁ、こっちは別段変化無く……あれ?

 こっちにも縫いぐるみがあった。
 枕元に置かれた真っ黒な猫は、瞳を木の釦で作られており、赤い袴を履いている。その袴の中から伸びた尻尾にも、白い飾り紐が蝶々結びにされており、あぁ、女の子なんだなといった雰囲気。
 それが誰を模してあるかは明確で、それが俺の寝台に……。

 作ってくれてたのか……。
 前に欲しいとは言ったけれど、その後何も言ってこないから……。

 ……………………うーん……。
 縫いぐるみの黒猫サヤ。確かに可愛いが……欲情するかと言われると……しないんだがなぁ…………。
 やっぱりサヤの国の文化が分からない……。
 いや、やめよう。これを悩むのは。
 なんか知らない方が良いことのような気がしてきた。

 ふと思い至って、黒猫サヤの位置を、枕の逆側に変えた。
 天鵞絨の帷を挟み、灰兎の俺が隣に来る位置に。
 動物に模した俺たちだって、きっとお互いを感じ合える距離の方が、嬉しいだろうから。


 ◆


「レイ、おはよ」
「うん……おはよう」

 頬を指で撫で、瞳を開いた。
 サヤはもう俺の傍から離れ、窓に掛かる帷を纏めているけれど……。

 これは……口づけの感触だよな?
 気のせいじゃないよな?

 頬に何かが触れた感触……。柔らかくて温かな、心地よい残滓……。
 半ば呆然と考えていたら、もう一度サヤが戻ってきて……。

「まだ眠い? もう少し寝とく?」
「あ、いや……起きる」

 そうか。今日は蜜月のニ日目だ……。
 サヤの寝台をこの部屋に移して、初めての夜だった昨日……。
 若干緊張しつつだったけれど、話しているうちに寝入ってしまったんだ……。
 とりあえず、変な誘惑に駆られたり、欲望が高まるような事態にはならず、無事朝を迎えることができたわけで……これならお互い、無理せず生活を続けていけそうだ。
 うん。それは良かったと思う……が。

「お水飲む? もう少し頭がはっきりするんやない?」
「うん……」

 …………そんなこと知りません。みたいな顔をしているけれど……視線を合わせないし、どこか早口だ。
 素知らぬ風を装っている……これは、俺が口づけに気付いてないと思ってるのか?

 水の入った杯を受け取り飲み干すと、少し頭がすっきりした。
 その様子を見てからサヤが、俺の顔を覗き込む。

「今日はアレクさんお帰りの日やろ?
 今日は外出できるし……お見送りに行くかと思うて、早めに起こしたんやけど……」
「あっ、そうだった! うん、ありがとう」

 慌てて身を起こした。
 そうだった。午前中のうちに発つと話していたっけ。

 寝台を出ると、サヤが着替えを持って来てくれた。この辺は従者の時と変わらない日常。俺の着替えをそのまま手伝ってくれる。
 サヤはもう身支度を済ませており、蜜月二日目の今日も私服としている女性の装い。
 耳の赤みも昨日と変わらずで、髪の間から環がチラリと覗いている。

「耳、もう薬は塗った?」
「まだ。
 自分では裏側が見えへんから、レイにお願いしよう思うて……」

 俺にお願い……。
 そう言ってもらえたことが何か嬉しい。うん、夫婦っぽい気がする。

 服を着替えてから、サヤを長椅子に座らせて、耳の表からと、裏から、丹念に薬を塗り込んだ。
 この辺全てが弱いサヤは、必死で声を押し殺しているのだけど……その姿がなんとも可愛い……。
 俯き気味な体勢のサヤは、短くなった髪の隙間から陽に焼けていない、白いうなじを晒していたけれど、塗り終わった頃には上気して、ほんのり桃色。
 おおきに……と言った声すらどこか、潤いを含んでいる……。

「痛くなかった?」
「うん、平気……でもくすぐったかった……」

 とろんと力の抜けた表情に、じんわりと滲むような色香……。
 なんだろう……サヤの気配のようなものが……いつもより薄いような……?

「……髪も少し乱れてしまったね……梳いておこうか」

 そう言うと、くすぐったそうに笑い、衣装室からいつもの柘植櫛を持って来た。

 サヤの髪を梳いて整えてから、その後は交代して俺の髪。尻尾になるように括り、お互いの朝の準備は終了。
 また、櫛を衣装室に持ち帰ろうとしたサヤを呼び止めた。

「薬、毎日塗るんだし……櫛ももう、ここに置いておいたら?
 髪もその時に、一緒に整えたら良いし」

 着替えは目の毒だけど、髪を整えるくらいなら問題無いわけで。
 そう言うと、そうやね。と、色良い返事。

「しまっておく場所、どこにしよ……」
「小机の引き出しに入れておけば良いよ」

 俺の寝台と、サヤの寝台。その脇には小机がそれぞれ置かれている。
 サヤも元々は、この小机に櫛を入れていた。それを覚えていたから、当たり前のように口にした言葉だったのだけど、この部屋に移るにあたり、前の小机は少し幅がありすぎて、小さなものに変更されていた。
 その新たな小机には引き出しが付いておらず……俺の方に入れておいたら? と、付け足したのだが……。

 薬と一緒に櫛の入った小袋を持ったサヤは、俺の寝台横に回り込み、引き出しを開けた。そして、ピタリと動きが止まる…………。

「……サヤ?」

 長椅子からは背中しか見えず、何故引き出しを開けて動きを止めたのか、思い至らず……。

「入れる余裕無かった? 特に何も、入れてないと思………………」

 いや待て。
 なんか色々放り込んだな? 目の毒になるもの……。

 部屋の空気が、急に重くなった気がしたのは、気のせいであってほしい。

 い……いやいやいやいや……。
 部屋の模様替えもしたし、もう初夜終わったし、片付けられているはず。うん。

 嫌な予感がひしひしとしていた。
 急いで立ち上がり、サヤの元に足を急がせつつも、頭の中では色々と思考が渦巻く。

 目の毒となる道具類はもう片付けられているはずだ。でないとやばい。色々誤解を招く絶対。
 あっ、でもそうなるとギルに渡されたあれもハインに回収されたことに……っ。
 やばいやばい、どう言い訳しよう……あんなもの用意してたのかって思われたら嫌だ。断じて俺が率先して準備したんじゃないと言っておかねば。
 待てよ……ていうか、そもそもあいつにあれが何か分かるのか? 分からない可能性もあるな……ハインだもんな……。そもそも隠す必要なかった気がしてきた。

 多分、ちょっと混乱していたのだ。動かないサヤに焦って。
 ずっと固まっているサヤを刺激しないように、少し回り込んで小机の引き出しを確に…………っ⁉︎

「ごっ、ごめん!」

 大急ぎで閉めた!

 う、嘘だろ……。全部きっちりそのまま残してあるとか……綺麗に見やすく並べてあるとか、なんの冗談だ⁉︎

 怖くて振り返れない。
 今度こそサヤが俺を変態って罵るんでは⁉︎
 これはどう切り抜ければ良い? サヤになんて言えば? いかにも準備してありますみたいなこの状況って、昨日俺が言ったこと悉く覆しておりませんか⁉︎

 頬の余韻なんて吹き飛んだ。
 やばいしか出てこない……やばい。マジでやばいしか出てこない!

「………………っ……」

 何か言わねばと口を開いたけれど、結局言葉は出てこず、焦りばかりが募る中、サヤが先に、口を開く。

「……部屋の隅に、鏡台を置かせてもらえたらと思うんやけど……あかん?
 他にももう少し色々、置いておきたいものがあるし……」
「あっ、う……うん。それは、全然構わない……けど?」
「衣装室の鏡台みたいな、大きなもんやなくてかまへんし……何か適当な大きさのもん、あるやろか……」
「えっと……注文する? 凝った形でないなら、職人たちに頼めばすぐだと思うけど」
「せやね。じゃあ、お見送りついでに寄ってみよ」

 何事もなかったみたいに続く会話……。
 小机の上に、コトンと薬……そして櫛の入った小袋が置かれた。
 そうして、そのままサヤは踵を返す。

 おっ、怒っ……⁉︎

 違うんだっ! そう言いたくて手首を掴んで引いた。
 昨日言ったことを嘘にするつもりはない。これはちょっと、想定外で……っ!

「サヤ」
「っ、今は、見たらあかんっ!」

 真っ赤になった顔を、咄嗟に掴まれていない、反対の腕で隠したサヤは、けれど……怯えたり、怒ったりはしていなかった。

「あ……あると、思うてなくて……ちょっとびっくりしただけ……。
 大丈夫。夫婦やし、そういうの……必要なんはちゃんと、分かってる、から……」

 困ったように眉を寄せていた。
 掌で必死に表情を覆い隠そうとしているけれど、当然それは難しく……チラリと俺を見て、さらに動揺したように視線を彷徨わせる。
 だけど…………。

「そうなった時用の、準備だけ、してあるんやって、分かってる……。
 わ、私が、困らんようにっていう……見慣れへんから、驚いてしもうただけっ」

 嫌がってない…………。
 やはり恐怖は多少なりとあるようだけど、それが、耐え難い恐怖であるという様子は、無かった……。
 ずっと前に、怯えて縮こまっていた……あの時とは全然違う……俺に腕を押さえ込まれ、震えていた時とは……。

「もうちょっとだけ……心の準備ができるまでだけ、待って……」

 恥じらって視線を逸らし、そう言った表情があまりに艶やかで……っ。
 いやむしろ、変態っ! ってなじられた方が良かったんではと、本気で思った。
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