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晴天の霹靂 7

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 お茶が冷めて、自ら新たに入れ直した。
 そうしてそれをお互い口にしてひと心地……。
 あれから二人して無言で過ごしていたのだけど、間の悪さは感じていなかった。

 グラヴィスハイド様は、ずっとどこか惚けたような表情で……それまでの張り詰めた雰囲気はなくなっており、かつての懐かしさすら感じる、静かな、言葉のいらない空間の中にいるかのよう。
 その中で、グラヴィスハイド様がアギー公爵様に命じられたであろうことについて、俺は思考を巡らせていた。

 シエルストレームスではないだろう。十中八九、スヴェトランが偵察対象。
 違和感を感じると言っていたヴァイデンフェラーは、シエルストレームスと接してはいるが、スヴェトランとは繋がっていない。
 しかし、スヴェトランは立地的には近く、山脈等を挟む可能性はあるものの、シエルストレームスの中でなら、地続きとなっていると思う。
 とはいえ異国の地理情報など秘中の秘。正確なところは分からないのだけれど。

 陛下が戴冠した三年前。
 少数部族が乱立し、互いで衝突しつつ小競り合いの多かったスヴェトラン。その中で、今までにない動きがあるという話を聞いた。
 力をつけたひとつの部族が他を取り込み、大きくなりつつある……そんな話だった。

 あれから随分と経つ……。
 あまり意識してこなかったけれど、当然……色々が進み、変わっているはずだ。
 陛下やアギー公爵様がああも警戒しているというのは、スヴェトランの意思が、一つに定まりつつあるということなのかもしれない。

 小さな部族の集まりであったからこそ、国土が大きくても、脅威とはならなかったスヴェトラン。
 それが一つに纏まったのだとしたら、国同士の均衡は大きく崩れることになるだろう。
 けれど……。

 それは無い……と、思うんだよな……。

 スヴェトランの少数部族は、皆それぞれが部族名を持っていたと記憶している。
 その名を捨てさせ、身の内に取り込むという方法は、聞いたとき既に、悪手だと感じていたのだ。

 自ら選んだのではないことを、人はそう簡単に、受け入れられはしない。
 例えその時はそうせざるを得なかったとしても、心の内にずっとしこりは残り、恨みは燻り続け、膨らんで、どこかで溢れ出す。
 掛ける時間に反比例して、その拒絶感は大きくなる。
 破竹の勢いで他部族を飲み込んでいっていると、そう聞いた。それは、身の内に毒を溜め込んでいくようなものだと思う。

 だから、違和感はそこなのだ。
 あのお二人が、何故そうまで警戒していたのか。
 国内の問題に加えて、異国からの干渉……確かに脅威ではあるだろうけれど……。

 神殿の中で囀る不穏分子にしてもそうだ。
 口さがない連中というものは、人が集まる場所には必ず現れるもの。
 あのお二方にとっては慣れ親しんだ日常ごとで、今までだって数多と浴びてきた言葉であるはずだ。

 そう思い至った時、何かが負に落ちた気がした。

 まだ何か、あるのだ、きっと……。
 俺に、見えていないもの。伏せられていること。
 ご懐妊を公爵四家にすら隠す理由は何だ?
 可能性としてだけならいくつか考えられる。そう、例えば……っ。

「そこまでだよ」

 急に肩を掴まれて、我に返った。
 知らず知らずのうちに、思考の奥深くに潜り込んでしまっていたようだ。
 肩を掴む手の先にはグラヴィスハイド様のお顔があり、その表情は、俺を咎めるように、眉間へしわを寄せていた。

「いらぬことは考えなくて良い」
「いらぬこと……そうでしょうか?」
「陛下がそう判断された。その意味は、当然理解しているだろう?」

 貴族であるのなら。
 そう言われ、その次にグラヴィスハイド様がまた「こら」と、言葉を続ける。

「言ったばかりだというのに、私から奪おうだなんて、よくもまあ考える」
「奪うだなんて……そんな風には思っておりません」
「その嘘が私に通用するはずないと、分かっているだろう?」

 いえ本当に。奪うだなんて、そんなつもりはないんです。
 ただちょっと、陛下方とのやり取りを、お聞かせ願えないかなぁと……良い情報を転がしていただければ幸いだけれど、言えないならば、こちらで勝手に拾いますしと、そう思っただけで……。

 半眼になり、呆れた様子を見せるグラヴィスハイド様。

「密命を私が口にすると?
 そもそもお前、気付いてしまったにしても、それをクレフィリアに言うっていうのは、どういうことかな?」
「あれは仕方がありませんよ。グラヴィスハイド様がやらかしたんですから」

 成る程。やはり密命、受けたんですね。
 内心で頷いていると、呆れ、疲れたような溜息。

「やめなさい……。言ったそばから……」
「だって、心配です」
「お前が心配してどうなるものでもないよ。
 おかしいなぁ……数年前のお前はもっと謙虚だったのに。
 どうしてそんな、強欲になってしまったかな」

 知らなくて良いことにまで、手を出し首を突っ込む人間ではなかったろうにと、グラヴィスハイド様。
 言葉に出さずとも、相手の意を組み行動する。
 与えられるもの、許されたものにだけ手を伸ばす。
 確かに、貴方と接していたあの頃は、そうして過ごしていたけれど……。

「あのままであれば、俺は、全てを失っていました」

 父上も、セイバーンも、友も命も。全てを失っていた。

 強欲……結構じゃないかと、今は思う。
 願うことくらいは、自由で良い。願うだけならば、誰がどんなことを思おうとも構わない。
 結局は、それを引き寄せるために動くかどうかだ。
 俺は、どうせならば、笑っていたい。サヤの笑顔が見たいし、皆が笑顔であれるようにしたい。少しでも多くの人が、幸せだと思えるように。
 そうできるように、今まで歩んだ。そしてそれは、俺だけの願いじゃない。サヤの願いでもあるし、皆の願いでもある……。

 願えば失う。望めば断たれる。かつてはそう思い込んでいたけれど、もう気付けた。
 ただ眺めているだけならば、それは先細りの道にしか通じない。それが道理だったと、もう知った。
 だから俺は手を伸ばす。首を突っ込み関わると決めたんです。

「クレフィリア殿にあれは悪手でしたよ。例えどんな手痛い仕打ちを受けたって、あの方は拘ろうとするって、分かっていたでしょう?
 下手をしたら、彼の地について行きかねないと思いましたから、俺はあれで良かったと思っています」

 そう言うと、ぷいと顔を背けてしまうグラヴィスハイド様。そしてそのままの体勢で「怖れないのも考えものだ」と続く。
 その言葉と、先程のやりとりが、この方とクレフィリア殿との濃密な関係と、共に過ごした年月を感じさせる。

「関わらせないようにと思うなら……せめて心配しなくて良いようにすべきです。
 お願いですからもう、あんな風に切り捨てるのはおやめください。
 オゼロ様にお願いしまして、保存食を国境付近でお預かりいただけるように手配しましょう。
 スヴェトランは農耕に適した地が少なく、野菜等の作物が極端に少ないと聞きますから」
「駄目だよ。極力他領とは繋がりたくない。
 私の情報は与えないに限る」
「…………なら、セイバーンとならば、繋がってくださいますか」
「お前、それを私には、見せたくなかったはずだろう?」

 すっぱりとそう言われ…………。
 やっぱりこの人は見えていたのかと苦笑する。
 見えて、見ないふりを続けてくれていたのかと……。

 見せないように、触れさせないように、気を付けていたはずなのに……。

 そうして笑うしかない俺に、グラヴィスハイド様はまた、眉を寄せた。逡巡するように視線を彷徨わせ、ひとつ、息を吐く。

「お前は本当に、面倒ごとを抱え込むようになってしまったな……。
 何故わざわざ踏み込むんだ。触れずにおけば良いことに。
 あの男のことだってそう。
 私は忠告したろう? 関わらない方が良いと。
 なのに何故、忠告を無視する?
 敢えて繋がりにいく? 
 よりよもよって、神殿。しかもあの男は……」
「グラヴィスハイド様」
「これ以上は、関わるべきではない」

 この方も神殿を警戒している……。

 裏にある何かに確信を強めたら、グラヴィスハイド様は呆れを通り越してしまったよう。
 私が何を言っても駄目なんだねと、視線を床に落とした。
 あの男というのが、アレクセイ殿のことを言われている……というのは、当然分かっていた。
 年に一、二度、顔を見て話す機会があるかどうかという、その程度の関係ではあったけれど、今日まで繋げてきた。

「……グラヴィスハイド様の中で黒が担う感情は、どういったものなのですか?」

 そう問うと、グラヴィスハイド様は口を閉ざし、俯いて、しばらく無意味に、手の中の湯飲みを左右に揺らす。

「…………聞いてどうする。言えばお前は、考えを改めてくれるのか?」
「聞くだけ無駄だと分かっているのに、聞くんですか?」
「…………お前の言葉を借りるならば、心配するんだよ、私だってね」
「申し訳ありません。でもそれはもう、俺の血肉になってしまったので」

 捨てないことを、もう選んだ。
 だからそう言うと、表情を、泣きそうなほどに歪めてしまった。

「…………やっと解放されたと、思ったのに……お前はまだあれに、囚われているのか?」
「あれとは?」
「………………昔、何度か見かけたことがある…………」

 お前の兄を……と……。

「……ありがとうございます」

 察していたことでもあったので、特別な驚きは無かった。
 ずっと前に見たことのある、アレクセイ殿の闇。あれ以来、一度も漏らすことのなかったもの。
 俺の見たものと、グラヴィスハイド様の眼が見たものが同じであったのなら、疑いようもない。

 アレクセイ殿は、ジェスルと繋がりのある方なのではないかと思っていた。
 あの闇が、あまりに兄を思い起こさせたから。

 アレクセイ殿が囚われているものは、つまり……。

「関わらせたくないのはお前もだよ。
 神殿とは縁を切るべきだ。
 お前は彼を悪しく考えられないのだろうけれど。
 お前が抱えられるものではないと、私は思う」

 アレクセイ殿のことを言っているのか、それとも獣人らのことを言っているのか……。
 いや、どちらもかな。

「抱えられるかどうかは、この際どうでも良いのです。
 俺はそうしたくてしてる。求めると、自分で決めた。だから……」

 これはもう、俺の血肉であり、俺が今世でやるべきことだと思っている。
 どこかで、誰かが踏み切らなければならないのだと。ならそれは、俺でありたいと思っている。望んでいるのだ。
 そして、手を差し伸べることのできなかった兄上に対する懺悔でもあるし、ただ後悔を……もう、繰り返したくない。それだけのことだったりもする。

「……お前は本当、面倒に首を突っ込むようになってしまったね」

 面倒に首を突っ込むようになってしまったのは、どちらでしょうね?

 言葉にしなかった俺の言葉を、やはりグラヴィスハイド様は拾ってしまったのだろう。またもやふいと、顔を逸らした。
 俺たちと縁を絶ち、北の地に赴くことを伏せようとしたのは、貴方との関わりが、俺たちを北に繋げてしまうと考えたからだろうに。
 申し訳ないけれど、俺はもう関わると決めているから、せめて。
 クレフィリア殿は安心できる場所へと、その気持ちだけは、汲み取らなければと、そう思った。

「……拠点村は王家の管理下に入ると決まりました。ですから……ご安心ください。
 あの地は、王都の次に安全な地となりますよ。契約で、神殿が絡むことはないと、定めてありますから」

 獣人らの笑える未来は少し遠退いてしまったかもしれない……。
 でも、諦めるつもりはないし、またこれを活かせる方策がないか、考えれば良い。
 二千年の決まりごとを、覆すのだもの。急ぐごとが一番の悪手だ。

 焦燥はあったけれど、そう、自分に言い聞かせた。
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