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産みの苦しみ 11

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「そういう決まりじゃないですか」
「そうだけど……サヤはそれに、従う必要なんて……」

 父上に指摘され、サヤと成人の儀について話をした際、彼女はあっけらかんと、返事を返した。

「切ります」

 と。

「私は既に、譲歩していただいてます。
 本来ならば、私が身に付けることのできないはずの耳飾。これを、制度を変えるまでして新たに作っていただきました」

 だから、髪を捧げることは受け入れるつもりでいたのだと、サヤは言った。

「だけど耳飾は、殆どが俺の都合だ! サヤの我儘じゃないだろ⁉︎」

 俺が、サヤ以外を娶りたくないと、我儘を言ったのだ。
 サヤはそれに付き合ってくれたにすぎない。
 確かに新たな耳飾は、サヤの身を守るために作ったものであったけれど、それは数多ある駆け引きの中の、ほんの一部でしかない。サヤが望んだことでもない。

「それでも、私が我を通したことに変わりはありません。
 それに耳飾は……貴族社会の女性にとっても、必要なものだと思いました。
 でも、髪は別に、誰も困っていないでしょう?」

 切ったところで、また伸びるのだ。と、サヤ。

「だけどサヤの髪は、それだけじゃない!」

 サヤがサヤの世界から持ち込めた、数少ないもの。
 髪は、そのうちのひとつだ。
 腕時計も、衣服もサヤは失った。もう、祖母に貰った櫛と、油の入れてあった小瓶。そしてこの髪だけが、サヤの祖母や、両親、カナくんが触れていたものだ!
 随分と伸びたサヤの髪。それを首の後ろでバッサリと切ってしまったら……あちらの世界の髪は、失われてしまうじゃないか……。

 あの時のやりとりを思い出す度に、胸が苦しくなる。
 良いのだといいながらサヤはやはり、苦しいのだと分かるから。辛いのだと、分かるから。
 サヤの両手に収まる程度の、数少ない思い出の手掛かり。それすら俺は、奪っていく。俺が手に入れたばかりに、サヤは失っていく……。

「……やっぱり、考え直さない?
 この髪を切ってしまわないで良い方法を、何か探そう。
 だってサヤの髪は、お祖母様が手入れしてくれていた……触れてくれていた髪だろ……」
「良いんですよ。
 私の身体はちゃんとここにありますし、みんなのことも覚えてます。おばあちゃんや向こうの思い出は、記憶の中に……。
 目に見えるあちらの痕跡は、無い方が良いんです……。
 それに、髪を神殿に捧げるの、私は……この世界に置いてもらうための、挨拶のつもりと言いますか……。
 これひとつで、レイの隣におれるんやったら……全然かまへんの」

 子を授かる可能性の低い身で、貴族社会に正妻として嫁ぐのだ。
 セイバーンの未来を、俺の血を繋げない……。それでもここに、居場所を置いてもらうのだと、サヤは言う。

「俺はサヤから奪ってばかりだ……」
「違うやろ。
 私はたくさん貰うてるし、これからも貰う。レイを貰う。レイの未来や、セイバーンの未来を貰う……。
 それに、レイの隣を選ばへんかったとしても、全部私は、処分した……。
 私の世界には、もう戻られへんのやから、あれはあったらあかんもんや。
 あちらの特殊な技術は、変な形で残さん方がええの。せやから、このことにレイは関係あらへん」

 そう言ってサヤは、俺の胸に肩を預けて、顔をこちらに向けた。

「あと半年で、お嫁さん……」

 髪の話を打ち切るために、悲しみを振り払うために、そう、言葉を紡ぐ。

「…………」
「怖くないで。大丈夫。
 それでずっと、レイの隣におれるんやったら……。
 早く、こっちの花嫁衣装を、着たいなって最近は、思うてる……」

 全部を失って。
 それでも更に、奪われて。
 なのにそう、言ってくれる…………。

 俺の頬に手を伸ばして、導くみたいに、瞳を閉じて。

 促されるまま、サヤの唇に覆いかぶさって、舌を絡め合った。
 熱い吐息と甘い声が隙間から溢れ、サヤを抱く腕に力を込める。
 あと半年で、サヤと繋がる。サヤを俺の半身だと、誰憚ることなく言えるようになるのだ……。

 奪うのに、失わせるのに、それが嬉しくて、嬉しくて、苦しい。
 どうすれば彼女に失わせたものを埋められるだろう。それ以上を、与えてやることができるだろう。

「……サヤ、愛してる……」
「おおきに……私も」

 たったこれだけの言葉に、頬を染めて恥ずかしそうに視線を逸らす。幸せそうに笑ってくれる。
 でも…………。

 瞳の奥の悲しみは、決して癒えることはない……。
 これは、仮面とおんなじだ……。


 ◆


 ……想定外。
 いやほんと、全然、考えもしていなかったよね、これは……。

「わんわん~、わ~ん」
「わん、かわいねぇ、おっきぃねぇ」
「さわってい? なでなでい?」
「わんちゃん、おなまえおしえてくださいな」

 幼子に集られる狼。誰が想像したろうか……。いや、しない。しないしない。

「あー……あのね。この狼さん、これからお仕事なんだよ。ちょっと離してあげてくれるかな?」
「やあああぁぁぁ!」
「つれてっちゃだめ!」
「わんちゃんとあそぶの! おやくそくしたの!」

 本日より勤務に就く狼たち。
 まずは、西と東にある村門に一頭と一人を組んで配置し、毎時見回りとして村外を半周という巡回路を設定……とか予定していたのだけど、全くそこに辿り着けない。
 館前で任命式を済ませて、それぞれの配置に向かったはずの狼らから、助けてと笛で知らせがあったと聞き駆けつけてみれば、こんな状況だった……。
 助けてって……。

「怒鳴りつけるわけにもいかないし、ただただ愛でてくるだけだし、下手に動いてなぎ倒して怪我させたくないし……」

 本日狼と組むはずだった吠狼もそんな風に言い、対処できませんと俺に泣き付く有様。
 人の世からはみ出してしまった、流民であった彼らは、こういった手放しの好意に慣れていない。まして、幼子の無垢な瞳を向けられては尚更……。

「おおかみさん、どうしてもつれてっちゃうの?」

 俺だって全然、得意じゃないんだよなああぁぁ……。

「え、えっと……」

 えっと、えっとね…………。

「それで結局、犠牲を払うことにしたんですか」

 執務室にて。
 氷点下に冷え切った呆れ声でハイン。

「犠牲って言うな! 丁度良いだろう⁉︎
 狼たちの周知が広がるし、安全だって理解してもらえるし、一石二鳥だと思ったんだよ!」

 結局子供らの主張に負けてしまい、外遊びの日には一匹、幼年院の前庭に狼を設置する方向で落ち着かせることとなった……。
 思い立つままに行動しがちな幼子の安全のためにも、狼は有用だと考えた結果であって、断じて、子供らに負けたわけではない!

 こうなってしまった理由は、どうやら子供らを助けられた親が、狼をべた褒めして回ったかららしい。
 幼子らまで狼の背に乗せてもらったと自慢し、それを他の子らが羨ましがり……と、そんな展開。
 まぁ、気持ちは分かる。
 雪原へ迷い込んでしまった子供の死亡率は、とてつもなく高いのだ。
 あの親たちも、子を失う覚悟を固めなければならなかったはずで、だからこその反動なのだろう。
 必然だったね……。うん。予定してなかったけどね……。

 そうして次の晴れた日、真っ赤な絹布をおしゃれに首に巻いた狼が、約束通りにやって来たものだから、狼の人気は更に跳ね上がってしまった。

「可愛いいぃぃ!」
「服を着てる犬ってどうしてこんなに可愛いのぉ⁉︎」
「わんちゃんの赤い首巻、最高に似合ってるよ領主様!」
「…………犬じゃなくて狼だよ……」

 母親受けまで会得した……。

 サヤが提案し、製作してくれたのは吠狼の首巻き留めだ。
 赤い絹布の首巻を、色々な形で穴に通し、留めることができる。通すだけだから、飾りを引くなりすれば簡単にするりと外せた。
 この留め金には、麦の穂と狼の横顔の意匠が彫り込まれており、赤い布とこの飾りが、村を警備する任務についている吠狼の目印と定まった。
 任務のため、顔をあまり晒したくない吠狼の面々は、これを身につける代わりに顔を半面で隠してしまえるようになって、こちらも寧ろ、喜ばれる結果に。
 忍装束の上に、真っ赤な絹布を身につけた吠狼もまた見栄え良く、首に巻いたり、腕に巻いたり、飾り結びしてみたりとお洒落である。にわかに首巻きが村で大流行となった。

 そして、狼警備は、狼の半面をした吠狼と、大きな狼の組み合わせに落ち着き、この村の名物となってしまったとさ。

 おかしい。どうしてこうなった……。
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