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オゼロ官邸 5

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 全く態勢を変えず、長椅子に座り続けていたマルが、貴族相手に認められていない発言を行うという、愚を犯したのだ。
 当然、周りの視線が彼に集中した。
 それをどこか諦念の滲む瞳で見つめ返し、マルはまるで物語を語るように、言葉を紡ぎだした。

「僕は北の荒野の生まれです。役人のもとに生まれた僕は、貴族でこそありませんでしたが、それなりのことを知ることのできる立場を得ていました。
 虚との縁を繋いでいたのは僕です。北の地にはその土壌がある。オゼロ様はそれを、ご存知ですよね?」

 自らに虚との繋がりがあることを仄めかす発言を、まるで日常ごとを語るみたいに口にしたマル。
 周りの殺気立った雰囲気など気にもしていないという風に、言葉を続けた。

「無名の僕がこの地で名を馳せるには、貴族の伝手は必須。学舎で知り合ったこの方は、僕にとって、うってつけの逸材でした。
 この方が王家との縁を、それとは知らずに得ていることも、僕は知っておりましたからね。
 セイバーンにジェスルが巣食っていることも、薄々察していました。
 レイシール様がセイバーンに戻ると知った時、僕はその伝手を失いたくなかったので、この方に手を差し伸べることにしました。
 虚との縁は、レイシール様に選択の余地が無い状況を選んで、僕が提供し、選ばざるを得ないように仕向けたんです」
「……王家との縁だと? この後に及んで、何の冗談だ」

 また、男爵家の成人前に相応しくない言葉が出てきたと、表情を歪め、世迷言は沢山だとばかりに吐き捨てたエルピディオ様。
 けれどそれに対しマルは、にんまりと笑みを浮かべた。

「陛下が男装し、学舎に忍んで在籍されていた時期があることは、オゼロ様もご存知ではないですか」

 それは、本来上位貴族の中ですら、少数の者しか知り得ないこと。
 平民のマルがそれを口にしたことで、エルピディオ様は口を噤んだ。
 その情報を掴んでいることが、ただの平民ではあり得ない。

「レイシール様は、その当時から陛下のお気に入りだったのですよ。
 替え玉を務めるほどに気に入られておりましてね、散々行事ごとや茶会に駆り出されておりましたよ。
 ヴァーリンとの縁もそこで掴みました。この方は己の血筋の縁など必要としなかった。自らの力でそれを勝ち取ったのです」

 世迷言だと、無碍にできない。それだけの実績が俺にはある。
 何故か、王家とアギーからの推挙を受け、成人すらしていないのに長を賜った。
 何故か、リカルド様に気に入られており、弟のクロードを配下にした。
 この二家との縁が、学舎在籍中にあったと言う。
 怪しげな謎であったことに、理由が見つかった。

 言葉を返せないエルピディオ様。
 それを満足そうに見て、マルはさらに言葉を重ねた。

「全て本当ですよ。この方のおっしゃっていたことは。
 レイシール様は、学舎に入学された当初、六歳という幼さでしたが、ジェスルの仕打ちにより、自我の崩壊寸前の、本当に危うい状態でした。
 まるで精巧な蝋人形のようでね。僕の興味を引くには充分な、とても惨い有様でしたよ。
 よくこのような状態まで追い込まれたのに、あのジェスルの手を逃れて来れたものだと、そう思いました。
 だから、この方は赤子からやり直したようなものなのです。
 もう一度生まれた頃から生き直すことで、自我を新たに築き上げた。そうやって、ジェスルの鎖に今日まで、なんとか抗い続けてきたのです。
 しかもこれには、オゼロが無関係ではない。
 十三年前、レイシール様をジェスルの手から救い上げたのは、バルカルセ家のヴィルジール。
 その名をオゼロ様は、ご存知ですよね?」

 バルカルセの名がマルの口から上がったことで、劇的な変化があった。
 瞳を溢れんばかりに見張って、口を開いたまま、呆然と動きを止めたエルピディオ様と、ダウィート殿。
 その姿を見据えて、マルは「生きてますよ」と、言葉を続ける。

「ヴィルジール様は、生きておられますよ。今もなお、レイシール様をお守り下さってますよ。
 よく見てください。ほら……そこな武官の持つ小剣に、見覚えはございませんか? 髪色に、見覚えはございませんか?
 ラッセル様から聞かされてはおりませんでしたか。ご子息様の瞳の色について。
 彼の方は、物静かな方でしたけれど……こと息子のことにだけは饒舌で、表情を綻ばせすらした。そうでしたね?」

 マルの言葉に誘導されるように、お二人の視線がオブシズの握る小剣に向かった。
 当のオブシズは、動揺を隠せない瞳をマルに向けていた。彼の口から、二十年封印していた父親の名が出たからだろう。
 彼の握る小剣には、柄の部分に家紋が刻まれている……。刃を痛めても、刃のみ取り替え、柄を使い続けてきたから、それは摩耗して、傷が入り、少し擦れてしまっていた。
 拵え自体は上等。でも特別華美な宝飾等は施されておらず、家紋が刻まれている以外は、ごく簡素な意匠。
 一度、セイバーンで手放して、後に父上が、傭兵団宛で送り返した、彼が貴族であった頃から持ち続けている、唯一のもの……。

 俺は、オブシズの腕を掴んでいた手を緩めた。
 もう、周りの殺気は霧散しており、誰も動かないだろうと思えたから。
 そうして左腕を持ち上げた。
 オブシズの長い前髪……朝方隠すように伝えたそれを、掻き分ける。

「……オブシズの瞳は、蜜色で、縁の方から翡翠色が滲むような、美しい色合いをしています。
 オブシズというのは、十三年前から名乗り出した名です。
 ジェスルに縛り付けられていた俺を救うために無茶をしたせいで、名を捨てるなんてことを、させてしまった。
 俺は十二年、彼は死んだと思い込んで過ごしてきました。
 彼も十二年、セイバーンの地を踏みませんでした。きっと、オゼロにも、ジェスルにも踏み込んでいないのでしょうね……。
 戻るなと言った、お父上の言葉を守って、二十年……。傭兵をしてきたんだよな、オブシズ」

 その問いかけで、視線が動いた。茫然と俺を見つめるオブシズ。
 お父上が文官をしていたというのは知っていた彼だけれど、どこでどんな役職についていたかは、聞かされていなかったのかもしれない。
 地道な仕事を淡々とこなしていた、あまり生きることが上手くなかったというお父上は……、名を聞くだけで、エルピディオ様の表情を変えてしまえるような人だった。

「レイシール様はジェスルではありませんよ。
 もしそうであったなら、オゼロ様が無防備にしている今を、無駄にしやしません。
 そう思ったから、わざわざ隙を作って見せたのでしょう? そしてもう、結果は出ているはずです。
 これだけの殺気に囲まれて、それでも対話で場を収めようとする方が、ジェスルの操り人形であるわけがないのです」

 マルのその言葉で、ダウィート殿が動いた。
 よろけるように足を進めて、オブシズの前に。そして瞳を覗き込み、あぁ……と、掠れた歓喜の声を溢す。

「ラッセル様のおっしゃっていた通り、蒲公英の瞳……」

 蒲公英?

「……父を、ご存知か……」
「存じ上げております! ラッセル様ご存命の頃、私は見習いでしたが、彼の方の補佐についておりました。
 本当に良くしてくださったのです。平民のうえ、成人していなかった私は蔑まれるばかりで……けれどラッセル様だけは、私を人として扱い、仕事を褒め、労ってくださいました。
 貴方の話も沢山聞きました。春に生まれたから、春を閉じ込めた瞳をしている。……自慢の息子なのだと。
 美しい……蒲公英の瞳なのだと」

 オブシズの瞳を、春の花を閉じ込めていると表現したのか。
 オブシズのお父上にとってオブシズは、文字通り宝物だったんだな……。

 感極まったように、オブシズの手を握り、膝をついたダウィート殿。
 暫くそれを見つめていたエルピディオ様が、小さな声で「下がれ」と、影らに指示を飛ばした。
 その一言で、影の者らは剣を収め、棚の向こう側……多分隣室だと思われる場所に戻っていき、護衛と思われる武官二人のみが残る。
 本来は、武官を連れているのが当然のことだから、俺たちがボロを出すかもしれないと、敢えて隙を作っていたのだろう。

 そうしてエルピディオ様は、今一度オブシズを見た。
 次に、マルを見て、怪我を負ったサヤに視線が移った。
 眉間にシワを寄せて、ほんの少しだけ逡巡してから、諦めたように、長く息を吐く。

「……先ずは傷の手当てをいたそうか」

 それが、休戦の合図となった。
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