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出立

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「では、気を付けてな」
「父上も、仕事は程々に。体調優先でお願いします。
 ウーヴェ、アーシュも、村のことを頼むな」
「はっ」
「畏まりました」

 翌朝は、快晴。
 朝の早いうちに最低限の仕事は済ませ、職人らが働き出す頃合いに出発となった。
 並ぶ馬車は荷物用の荷車を含めて四台で、馬車を囲む護衛の騎士は三名のみ。
 まぁ、見えないだけで吠狼の護衛も数名ついているし、アイルとジェイドも騎乗し、護衛よろしく馬車を囲む中にいる。武官のオブシズも騎乗。だから馬車列を六人の武装者が囲んでいる形だ。
 そして、帰りには七人になる予定。

「残って休めば良いのに……。馬車の揺れが響くと治りが遅くなるぞ?」

 絶対についていくと駄々をこね、結局ついてくることになったシザー。最後の念押しにそう言って脅すと、スッと何かを差し出された……何? 長丸と四角。二つの枕のようだけど……。

「足の傷に馬車の振動が響かないように考案した、膝用の枕です」

 サヤの注釈に、こっくり頷いてみせるシザー。
 準備万端だから大丈夫。と、言いたいらしい……。ユストの許可がおり次第仕事復帰すると、息巻いている。

「サヤ……」

 いつの間にこんなの作ってたの……。

「まぁ良いじゃないですか。レイモンドがいる可能性高いんですから、少しでも警備は厳重な方が良いですよ。
 こっちはなんの痛手も被っていないと、見せつけてやるのも一興ですしねぇ」

 マルがそんな風にとりなし、俺たちは渋々馬車に向かう。
 六人乗り用の馬車が二台と、四人乗り一台。その三台に分かれて乗り込むのだけど……。

「あ、ちょっと待ってください。お見送りみたいです」

 サヤに呼び止められて足を止めた。
 お見送りったって、誰がだろう? 一通り、いるように見えるけど……と、辺りを見渡すと、人垣のずっと後ろの方から、かき分けて進んでくる小さな影。

「お父様!」

 聞こえた可愛い声。
 つばの広い帽子を被り、この夏空の下でも長袖、手袋、陽除け外套を纏う、小柄な姿。白い布がフワフワとはためいている。

 気付いた周りが慌てて飛び退いて、前が開けて、小さな影はつんのめった。それをサッと駆け寄ったクロードが、掬い上げるように抱きとめる。

「どうしたんだいシルヴィ。陽が高いというのに」

 本当だ、シルヴィ。家の外に出ている姿など、初めて目にした。

「サヤお姉様が、帽子を作ってくださったの。だから、その試験と、お見送りにきたの」

 息を切らせたシルヴィの帽子は、なんとも不思議な形をしていた。
 陽除け外套に使う薄衣を、帽子のつばに取り付け、垂らした様な……。シルヴィの肩幅よりも広いつばの帽子も珍しいが、布が垂らされているものなど、初めて目にした。
 その布には赤い丸紐の飾りが数カ所垂らされていて、花結びの飾りが途中に付いている。薄衣がはためき過ぎぬよう、細やかな抑えになっている様子。

「だけど転けてしまったら、その帽子も外れてしまうだろう?」
「外れないわ。首の下で括るようになっているもの」

 顔の前に垂れた薄衣をひらりとかき分けて、シルヴィが顔を晒したら、周りからおおぉぉと、感嘆の声が溢れた。
 白い髪が見えて、それに驚いたのだ。
「何あの妖精! 髪が白……っ」と、テイクの声が聞こえた気がしたけれど、きっとヨルグが口を塞いで黙らせてくれたのだろう。声は途中で途切れた。

「この飾り紐に釦をひっかけるとね、前が開くの。お父様のお顔も良く見えるわ。
 つばが広いから、顔に陽の光も当たらないし、平気よ」
「申し訳ありません、長く離れますので……試作品を試しておいてもらおうと、お渡ししてきたところだったんです」

 サヤがそう説明していると、パタパタと走ってきた女中。そしてセレイナの姿。
 息を切らせているから、シルヴィを探していたのだろう。

「あなた、申し訳ありません……、この子ったら、急に、お見送りに行くと、走り出してしまって……」
「シルヴィ、お母様を撒いて来たのか」
「ごめんなさい……。だって、早くしないと行ってしまうと、思ったの……」

 しゅんとするシルヴィ。
 その愛らしさと神々しさに、周りがあぁとか、ふわぁとか、謎の声を発する。
 薄絹で隠された顔が晒されたから、余計に神秘的に見えてしまったんだな。

「私の国で、市女笠と呼ばれていたものなんですけど……、元々陽除けと虫除けにって考案され、使われていたんです」
「あぁ、ここ最近作っていたの、これだったのか。てっきり干し笊を改良しているのかと思ってた」
「あ、確かに形が似ていますね」

 俺たちがそんなやりとりをしていると、クロードの腕から下ろされたシルヴィが、くるりと一回転して帽子の様子を見せてくれた。
 フワッと広がった薄絹。一枚布ではなく、数枚が少しずつ重ねられ、つばを取り巻いていたようで、広がると切れ目があった。
 けれど、シルヴィが回転を止めると、飾りの丸紐で抑えられ、さっと元の位置に戻る。
 そしてこてんと首を傾げ、はにかみながら「どうかしら」なんて言うから、もう愛らしさで顔が溶けるかと思った。

「可愛いっ、これは可愛い!」
「レイお兄様、本当?」

 本当だとも! 愛らしくて抱きしめたくなった!
 そう言ったら、満更でもないといった笑顔。

「お父様は?」
「うん。とても似合っているよ。……今度、仕事から戻ったら、一緒に散歩でもしてみようか」
「嬉しい! お父様、約束ね? 私、良い子でお留守番しておくわ!」

 一瞬だけ、シルヴィの表情が陰り、寂しさを滲ませた。
 けれど、父を心配させまいと、気丈に……なりきれず、眉の下がった笑顔を一生懸命作り上げる。
 いや、天使だ。こんな愛らしい姿を見せられたら、みんなが頷くしかない。

「しっかりお勤めを果たしてきてね」
「あぁ。お土産を持って、戻ってくる」

 シルヴィを抱き寄せ、頬に軽い口づけ。
 そうして、セレイナも抱き寄せて、さっと抱擁を交わし、クロードは馬車に向かった。
 俺たちに手を振ってくれるシルヴィに、俺とサヤも手を振り返して、クロードに続く。

「旅立ち前に心が和んだよ……ありがとう」
「いえ、お恥ずかしい……陽の光の下で娘を見れて……つい私も、舞い上がってしまいました。
 サヤ、娘のためにありがとう……」
「いえそんな。喜んでいただけて、良かったです」

 俺たちは真ん中の、六人乗りの馬車。
 ハインは御者台。中は俺とサヤ、マル、クロード。
 俺の隣に、少し間隔を開けて座ったサヤに、辛くなったら早めに言うようにと注意したら、大丈夫ですよと微笑んでくれた。

「……やっぱりメイフェイアも呼ぶ? それとも女性だけ別の馬車に集まって乗るとか……」
「大丈夫ですから! それに、少しずつだって練習が必要です」

 また、きっと大丈夫になるんですと、サヤが言う。
 六人乗りの馬車を四人で使うのだから、中は広く間隔を取れる。
 今はそれで充分ですと言うから、渋々受け入れた。その様子をクロードに笑われる。

「仲睦まじくて良いですね」
「……クロードだってセレイナに抱擁していたじゃないか……」
「それは勿論、妻ですから」

 にっこりと笑って、余裕綽々と返される……。くっ。大人の対応を見せつけられた気分だ……。
 そして心の隅っこで、良いな……と、羨んでしまう。
 良い……な。触れられるって。あの時間を、また取り戻したい。だけど……焦って、サヤを追い詰めることはしたくないのだ。だから、今は気にしないフリをする。

「でもさっきのイチメガサですか? 良いですねぇ。なにか異国の風情を感じました。陛下にも作って差し上げればどうです? 喜ばれるんじゃないですかね」
「あぁ、実は今、色眼鏡も試作中なんです。両方が完成したら、陛下にもと思っているのですけど」

 マルの言葉に、サヤの返答。
 それを聞いて、まず思ったのは……。

「……どうかなぁ、あれを渡したら、女中を影に仕立てて逃げ出されそうな気がするんだけど……」
「…………有り得ますね。いえ、やりますね、陛下なら」
「やるよな……絶対にやる」

 俺とマルの会話にクロードは苦笑。サヤも困ったように微笑む。
 誰も否定しない……。

 陛下の印象は、皆共通なのだと実感した瞬間だった。
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