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絶望

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足裏の傷は膿んだ。
 当然だろう。裸足で、雨にぬかるむ林の中を長時間歩き、あんな風に足裏へ傷を作りまくればそうなる。
 それに加え、長雨にも打たれ、心身ともに疲弊したことも重なってか、俺は高熱を出し、数日をただ朦朧とする意識の中で過ごした。
 足裏は熱を持って疼き、頭も思考を束ねておくことができず、移り変わる記憶とも夢ともつかぬものに振り回される時間が続いた。

 夢の中で、サヤを数多の手が追い、捕まえようとする。
 俺はその手を、殴り付け、蹴り飛ばし、必死で斬り払った。
 払えど払えど手は湧いてくる。影から、まるで湧き上がるみたいに伸びてくる。
 その影の中に、俺が殺したはずの二人の姿を見つけてしまった。目が合うと、ニタリと笑う……。
 また。サヤを狙ってくる。傷付けようと、穢そうと、腕を伸ばしてくる……。

 巫山戯るな、サヤに手出しなんてさせない、殺してやる。何度だって殺してやる!

 カッと頭に血が昇り、叫ぶと、俺の言葉にサヤは振り返り、悪鬼を見たという風に……恐怖に染まった目を俺に向けた……。

 違うんだ!
 怖がらないで、俺だって別に、好きで殺したいんじゃない。あの時は、あれしか……ああするしか思いつかなくて……!

 一生懸命言い訳して、そんな目で見ないでくれと手を伸ばすと、悲鳴を上げて身を竦め、涙を零した。それで、一歩が踏み出せなくなる……。

 どうすればよかったんだろう……。ああする以外、どんな方法があったろう……。

 もし途中で腕の縄を切って、抵抗していたら?
 ハヴェルを人質に取られたって構わず、シザーに斬れと命じていれば?
 だけどどんな道を辿っても、誰かが死んで、傷付いて、俺は違う、そうじゃないと慌てて時間を巻き戻した。
 何度やっても上手くいかない。

 どうすれば良かった?    誰も死なせない方法なんて、あの時あったか?
 あったなら教えてくれ。俺は……俺にはあれが、精一杯だったのに……。

 もうサヤは、俺に触れてはくれないのだと、手に握る血濡れた小刀を呆然と見た。
 いつの間にか、サヤに伸びる数多の黒い手。そのうちのひとつが自分の手であったことに気付いて、愕然と固まって……。

 悲鳴を上げて飛び起き、それをまた、多くの手に阻まれて、押し戻される。
 一瞬見たのは、ハインとギル、もしくはオブシズや、女中頭や、アイルだったり、ジェイドだったりウーヴェ……クロードやアーシュ……。
 心配そうに、あるいは涙や、憤りを滲ませて覗き込む皆の顔。
 だけどそれは、夢の隙間の残像のようなもの……。
 俺はすぐに意識を失い、また夢の中に舞い戻った。

 そんな風に、三日ほど過ごしたらしい。
 足の傷はまだジクジクに膿んではいたけれど、熱の方はマシになり、起き上がれないものの、意識は保てるようになった。

 そうなってまず確認されたのは……。

「手足に痺れや、顔面のひきつり等はございませんか?」
「大丈夫……足の裏はずっと……カッカしてるし、ずくずくしてるけど……」

 病魔に巣食われると、まず末端の痺れから始まり、全身が引きつり、意識を保ったまま、身体を背中側に折り曲げられるような苦痛を味わうそうだ。
 場合によっては背骨を折るほどで、その後漏れなく死に至る。
 その初期症状が出ていないかとユストによる問診。
 これは毎日繰り返された。ひと月くらいは続けなければならないらしい。

「……サヤは……サヤは大丈夫?」
「サヤさんはもう熱も下がっていますし、足裏の化膿も右足だけですから大丈夫。レイシール様より全然軽傷です。
 それに彼女、この病には掛からないそうなんで」
「……?」
「幼いうちに、体内へ仕込ませる薬があって、この病に侵されないよう、免疫をつけているのだそうで……。
 まぁでも、荊縛みたいに、彼女の思う病ではない場合もありますから、問診はサヤさんも毎日行っています。
 ナジェスタが担当して、きちんと病状管理してますから、ご安心ください」

 宥めるようにそう言われ、今はサヤのことより自分のことに集中するよう、促された。

「ブリッジスの調査や、村の管理は皆で手分けして行なっておりますから。
 今はどうか、ご自分のことだけを考えて、ゆっくり養生してください」

 そうやってその日は誤魔化され、またすぐ眠りの中に落ちてしまったのだけど、翌日。
 体調はだいぶん持ち直してきたよう。面会も少しならばと許されたから、サヤに会いたいと伝えた。しかし……。

「熱があるうちは駄目です。
 私は初めにそう言ったはずですが?」

 ハインのお怒りは継続中であったようで、俺はサヤに会うことを禁止されたままだった。

「誤解を解くくらい、許してくれたって良いだろう!」
「もうこちらで説明致しましたので、その誤解は解けております。
 ですから、レイシール様は心置きなくお休みください」

 ああ言えばこう言う⁉︎

 風呂と不浄場以外の勝手な徘徊も許されず(徘徊扱いっていうのがそもそもどうなの⁉︎)まるで罪人みたいだ……。

「知りません。
 悔しければ安静にして、さっさと傷を癒してください」
「お前っ、ねちこいにも程があるぞ⁉︎」

 その一瞬は、怒りでやり過ごしたものの……。

 誤解は解けたにせよ、サヤが俺を怖がっていたという事実は残っている。
 一人になると、あの時のことをどうしても考えてしまった……。

 あの時、サヤは確かに怯えていて、その恐怖に動揺していた。
 自分が、俺に対し恐怖を感じている……ということに、慄いている……という風に、俺には見えていた。

 ……やっぱり……俺が怖かったんだよな……。

 それはそうだろうと思う……。
 だって俺は、この手で人の命を二つ、刈り取った……。
 その事実を思い出すと、心臓を鷲掴みされたような心地になり、足元から這い上がってくるような怖気に襲われる。

 あの時は、ああするしかなかった。
 手持ちの武器にも限りがあり、あの大多数を前に子供らと、サヤたちを守るならば、頭を潰すしか……。指示役を排除するしか、手段は無かった。
 いくら頭の中で試行錯誤を繰り返しても、その結論にしか到達しない。
 そして、あのままサヤを失うくらいなら、俺は手を汚す方を選ぶ。何度だってそっちを選択するだろう。という結論に達するのだ。
 だから……。
 それでサヤが、俺を怖いと感じてしまうならば、それは仕方がないことなのだと思う……。

 平和であったという、サヤの世界。
 夜道でも女性が一人で出歩けて、武器を所持した人が街を歩くことすらないような……そんな安全な場所で生きていた彼女が……。鹿の毛皮を剥ぐことにすら、震えていた彼女が…………この手で人を殺した俺を、怖がらないはずがない。

 でもサヤは、自分が清いままであることを確認した。

 その事実に、俺は縋っている……。
 まだサヤに、俺の妻になる気持ちがあるのだと。
 俺を拒絶したわけではないのだと……。

 俺が婚約を解消するならば、応じるというあの言葉は……サヤ自身はそれを、望んでいないという意味で、良いんだよな?

 確認したい。
 だけど……それを怖いと感じている俺もいた。

 サヤは優しい。だから……本当は怖いのに、恐怖に蓋をして、俺を傷付けまいとしているだけかもしれない。
 そんな風に考えたら、手に掛けた二人を思い出すのと似た、何か冷たくて恐ろしいものに、身体を縛り上げられているような、そんな恐怖に囚われる。

 触れて、確かめたいなぁ……。

 安心したい。大丈夫なのだと、納得したい。
 だけどサヤが拒絶し、それが人を殺した俺に対する恐怖であった場合、俺は……。

 俺はどうやって、この過ちを取り戻せばいいんだ…………。
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