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魔手 7

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グラグラと沸き立つような何かが、腹の底を満たしている……。
 石や小枝の散乱する林の中を、俺は裸足で歩いていた。だから、既に足の裏はズタズタ。枝か何かが刺さったままなのか、同じ箇所が痛い。
 でもこれくらい痛くないと、暴れそうになる感情をを堪えてられなかったろう……。
 一歩を踏みしめる度に感じる痛みが、俺を踏みとどまらせてくれている。

 これは、死を目前にした足掻き。冷静になれなければ死ぬのだと、俺の頭は理解している。
 だから歩き続けながら、俺はあの男の思考を模倣するに努めていた。
 情報は少ないけれど、やってやれないことはない。これだけの苦痛を刻み付けられた。シザーの命まで、奪われたかもしれない。
 だから理解できるはずだ。この傷を遡れ。この男がどんな風に思うか、考えるか。行動するか。

 これ以上を許しはしない……。だから、今のこの瞬間すらも情報を得る糧として、あの男の思考を辿る。

 サヤと、カタリーナたち。
 この三人は生かされる。レイモンドと、誰かが望んでいるから。
 だけど俺と、子供らは多分、そう遠くないうちに殺されることになるだろう。

 俺は逃亡用の保険。
 子供らは、標的を確保するための手段。
 あの男は、そんな風にしか考えていない。
 だから、森の中に隠してあるだろう移動手段……馬車まで辿り着けば、俺たちは用済みとなる。
 きっと、行商団か傭兵団。その辺りに偽装するのだろう。人数や様相を考えればそうなる。
 そうなると大きな荷物は邪魔だし、逃亡の妨げにもなる。そもそも子供五人を連れた旅団なんて、悪目立ちするだけだ。
 足がつかないようにするためにも、余計な者は排除する。あの男はきっと、それを躊躇わない。

 俺の胸には未だ、犬笛があった。
 そして、縛られた腕の間には小刀が潜められている。
 サヤと俺の間には、大人二人程の間隔が開けられていた。その周りを子供らと、男らが囲んでいる。俺たちがやりとりできないようにと設けられた、間隔と、見張り。
 けれど……。

 サヤは耳が良いのだと、この連中は知らない。
 俺が息を吐くような小声で呟いたことも、この距離ならば、サヤは聞き取る。
 そのサヤが、先程ちらりと俺を見て、視線が合うと、上に逸らした。
 俺を気にかけていると思った周りの連中が、サヤに卑猥な言葉を吐いていたけれど、彼女はそれを無視し、視線を進む前方に戻した。

 子供らはきっと殺される。
 そうサヤに伝えた。
 足手纏いは捨てるだろう。まだ連れて来ているのは、子供たちも共に逃亡したと思わせるため。
 子供がいれば、進みは遅いと考える。そして子供を連れていれば、目立つ。子連れの団体が捜索されることになるだろう。
 この子らを捨てるだけで、追っ手の目を欺くことができ、更に早く移動できる。取り分も増える。
 この時期なら、痕跡を残さず、時間も手間もかけず、悟らせないで、確実に子らを処分する方法があるのだ。
 この男はきっと、それを選ぶだろう……。

 普段ならば、言うのを躊躇ったかもしれない。
 心優しいサヤには、聞かせたくない。関わらせたくない話。
 けれど敢えて伝えた。サヤを奮起させるために。
 卑猥な言葉すらも跳ね除けて、サヤが無言で歩いているのは、怒りを原動力としているからだ。
 シザーのこと。子供らのこと。
 それらが、彼女の中の恐怖を一時的に抑え込んでいる。

 今必要なことは、動ける身体を確保すること。
 サヤを恐怖で竦ませてはいけない。それは彼女自身を窮地に追いやることだ。まずは絶対に、皆で生きて、ここを脱する。
 そうやって、やることを明確にしておかなければ…………。
 俺も、折れてしまいそうだった。

 あの状況を、必死で耐えたのは、孤児院から離れるためだ。

 抵抗しなければ、最悪の事態を回避できると考えていた。
 孤児院での殺しは行われない可能性が高い。子供は言葉や恐怖では制御できない。恐慌をきたし走り回られれば、己の首を絞めることになる。
 何より、貴族の膝下で殺生沙汰など、首を飛ばしてくれと言っているようなものだ。そこまでの愚行は起こすまいと。
 けれど、何十人もの幼子を、可能性の低さだけで、危険に晒したくなかった。
 サヤが襲われかけた際も、今ここでそれを進めることは無いと、心の底で考えていた。
 逃げなければならない。時間も無い状況でそれはしない。これはただの脅しだと……。
 下手に動いて、後に響くことを恐れた。
 だけど、想定以上にサヤは虐げられ、結果がシザーの……っ。
 そう考えると、心の軸が挫けそうになる。

 常識や可能性なんてものは、当てにならないのだと、やっと理解した。
 そもそも村に野盗を引き入れられた。そこで理解すべきだった。
 まだ現実を見定められていなかった。
 敵というのはそういうもの。獲物と定めたこちらに、配慮なんてしないと…………。

 明確すぎるほどに確かな悪意。これを覚えておこう。次は絶対に、こんなことは許さない……。

 覚悟を固めた。これ以上犠牲を出さないために。
 俺を含め、まともに戦える者がいないこの状況で、子供らを守るならば、先手を打つしかない。
 こちらの武器は小刀一本。それで活路を見出す方法は、ひとつきりなのだ。
 サヤをこれ以上苦しめるなど、許さない……。

 縄は自力で外せるか。それを聞いたら外せると頷いた。
 俺も外せる。トゥーレが小刀を仕込んでくれたと伝えた。
 吠狼の助けは望めそうかを問うた。
 上を見る視線を寄越した。いるんだな。よし。

 なら、俺が合図したら、頼む。


 ◆


 雨足が弱まりつつある。
 木々の間を進み、たどり着いたのは……奇しくも、メバックに向かうならば使う、休憩場所の一つだった。
 成る程。ここならば馬車を停めておけるし、それを怪しまれることもない……。この雨季の最中ならば、夜半に人が来ることもない……。

 そしてここならば、川はすぐそこだ。
 斬って捨てる手間は掛けない。雨の中とはいえ血が残るのは得策ではない。六人もの血となれば、全て流されてくれるとは限らないから。

「女どもは中に入れ」

 頭の指示で、カタリーナとサヤは馬車に押し込められた。後方にひとつだけ扉が付いた形状。
 そうして無慈悲にも、扉は外から鍵を掛けられてしまった。
 馬車の管理をしていた者は三名のみ。幌馬車と、四人乗りの馬車。あとは馬が十頭ほど。
 馬車の馬、耳栓はされているな……。ならば上々。
 馬車の数、馬の数ともに想定よりかなり少ない。どうやら初めから、囮の大多数は切り捨てる予定であったようだ。
 そして、ここにいる人数が、この一味の全て。

「……トゥーレ、ハヴェル。俺が呼んだら、他の皆と俺の後ろへ。どうか信じて、従ってほしい」

 男たちの視線がこちらから離れたことを確認し、そう呟いたら……うん……。という、掠れた返事が返った。

「よぉし、じゃあ最後だ」

 どこか弾んだ、頭の呟き……。
 そうして振り返った頭は、目深に被った頭巾で表情の大半を隠していても分かるほど、にんまりと楽しそうに笑い、それを見た子供たちはびくりと身を竦めた。

「お前ら、そいつを先の川まで、連れて行け」

 その言葉に、子供たちが息を飲む。
 何をしろと言われているのか、察したのだ。

「こ、この人、貴族だよ?」

 堪り兼ねてそう口にした子に、頭は「だからなんだ?」と、言葉を返した。
 その男の姿。立つ場所を、頭に刻み込む。

「いいよ。行こう」

 子供らを促し、自ら足を向けることにした。最後の足掻きとして、頭をギリギリまで睨みつけて。
 下手に抵抗して、この子らを先に斬り捨てられたくなかった。それに、状況としては俺の想定通り。このままで良い。
 進みながら、グッと腕に力を込める。男らに見咎められるかと思ったけれど、トゥーレが背後に動いて、手元を隠してくれた。
 多分トゥーレは……今回のことの、責任を取ろうとしてくれている。
 この連中のことを、俺たちに言えなかった。
 そしてこんな結果を招いた。
 今こうして歩みを進めていても、背中からごめんが染み込んでくるみたいに感じていた。

 子供らの更に後方から、男らが数名ついてきている気配……。この子供らと共に、俺を川に追い詰め、子供ら共々突き落とすのだろう。
 増水したこの川の中を泳ぐなんて、大人でも無理だ。
 あっという間に川の底へ引き摺り込まれ、死んで腐敗して、やっと川辺に打ち上げられるのは、ずっとずっと下流……。

 腕の縄が切れた。
 落とす前に小刀を手に受ける。

「サヤ、頼む」
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