異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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魔手 1

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 予感というものだったのだろうか……。よく、分からない……。

 俺は、夢を見ていた。
 かつてよく見た、記憶の断片といった風なものではなく……正真正銘の夢。
 何故それを理解できたかというと、絶対に起こらないはずのことだったからだ。

 兄上!

 呼びかけると、木陰の兄上は振り返って、しーと、唇の前に指を立てた。
 その膝元には影となったふくらみがあり、近付いてみると、兄上の投げ出した足に挟まるようにして眠る、幼子の姿。
 迷惑を掛けてしまっていると、慌てて走り寄ると、起こすなと手で制されてしまった。

 遊び疲れてしまったのだ。随分と走り回ったからな。

 申し訳ありません、この子はほんと、我が強くて……我儘を言いすぎておりませんか?

 幼い頃のお前を思い起こす。懐かしいよ。
 それにお前は忙しいのだから、こういうことは暇な人間に任せれば良い。

 暇だなんて……兄上だってお忙しいでしょう?

 そう言うと、兄上は父上に似た小麦色の髪を風になびかせ、翡翠色の瞳を細めて笑った。今まで見たこともなかった、穏やかな笑顔……。

 暇なものだよ。
 我らの来世はまだ先だ。だから当面は、のんびりこうしていればよい。

 そういえば、兄上はもう、来世へと旅立たれたのだよなと、当たり前に受け止める俺。
 少し気まずい……。俺のせいで兄上は、来世へと旅立ったようなものだから……。

 あの……もう、お辛くはないのでしょうか?

 何も辛いことなどなかったがな。気付けばこうしていて、苦しさも、焦燥も、全て霧散していたから。
 今は大変心穏やかに過ごしているよ。
 それよりも、私は今世、何も成さずに旅立ってしまったから、お前の負担を増やしてはいまいか、その方が気にかかる。

 それこそ心配などございませんよ。皆よくしてくれますし、やりがいがある職務も得ました。
 こちらはちゃんとやっていきますし、兄上はなんの心配もなさらず、来世に備えてくだされば良いのです。

 そう言うと、そうか……と、ホッとしたように笑う。
 あぁ、生前にこの顔が見れていたならばと、兄上にもう少し心を開いていればと、思った。
 すると、そんな俺の心情を見透かしたかのように、穏やかであった兄上が、それまでの笑顔を、少し険しい表情に変えてしまった。

 そう、少し寄らせてもらったのはな、そのことで……お前に一言、伝えたかった。
 お前は良く見える目を持っているし、人にも恵まれた。けれど、それを過信してはならない。
 人の歪みというのは、お前がどれだけ心を傾け、手を差し伸べたとしても、どうにもならないものであったりもするのだから。
 かつて私が……そうであったように。

 ザァ……っと、風景が変わった。
 夕立前のように、暗雲の立ち込めた空と、沈みかけの朱い太陽。
 陽が陰り、吹き付けた強風でとっさに瞳を閉じると、耳元で声がした。

 信じても、手を差し伸べても、どうにもならないものであったりもする。
 だけどお前はそういう気質だものな……それを言ったところで、きっと変わらない……それがお前なのだものな。
 ならば、苦しくても、辛くても、それで何かを傷つけ、失うことになっても、貫くしかない。
 そういう修羅の道だと、理解するしかない。

 ピシピシと顔に、風に舞い上げられた砂つぶや木の葉がぶつかる。
 パラパラと降り出した雨が、そのうち嵐のような豪雨となり、それが痛いくらいの勢いで、俺に叩き付けられた。
 腕で顔をかばうと、更なる強風に、身体が押され、吹き飛びそうになる。

 お前が私に引きずられなくて良かった……。
 そんなお前でいてくれて良かったと……私は、そう思っているよ。

 その声が急に遠去かって、俺は手を伸ばし、兄上を探した。
 風が強い……目を開けていられない……。

 ほら、お前はもう、起きなければ。
 行っておいで。
 どうであっても、守ってやらねばならない。それがお前の道だろう?


 ◆


 顔に掛かった水飛沫。
 それで意識が覚醒した。
 闇の中、バタバタと激しくはためく帳が見え、大窓がキシキシと悲鳴を上げていた。

「……風?」

 強風で開いてしまったのか、大粒の雨が部屋に振り込んでいる。
 おおおぉぉと、慟哭のような、雨と風の混じる音。
 その風で、雨の飛沫がこちらにまで飛んできて顔を濡らし、目が覚めてしまったらしい。

 鍵を掛けていたと思ったのに……。

 寝台から抜け出して、窓を閉ざしに行くと、錠前が見事に歪んでいた。これは相当な強風だったのだな……他の部屋は大丈夫なのだろうか……。

 なんにしても閉めなきゃな、これ。
 だけどどうしよう……?    下手に閉ざすと、今度は窓が割れやしないかな……。
 家具で押さえておこうか……それともいっそ放置すべきか……。
 女中らを起こしてまで対処するのはな……今はまだ結構な時間だろうし、申し訳ないしな……。

 そんなことを考え頭を悩ませていたら、視界の端に何か、違和感を覚えた。

「…………?」

 強風と、大雨。更に闇夜だ。視界は無いに等しい。
 なのに何が見えたというのか……ザワザワと、胸に広がる漠然とした不安……。
 瞳を凝らして、違和感のある場所を探した。
 ここから村の方はほぼ見えない。それに、意識が向いたのはそちらではなく、村の外……北の林の方だ。

 予感はあったのだろう。俺は無意識に、いつも肌身離さず身に付けている犬笛……夜着の中のそれを、引っ張り出していた。
 右手で握り締めて、瞳を凝らす。
 どこだ、何を見た?    見つけろ。絶対に気のせいじゃない。あるはずだ、何かが。
 村の外の林は、隣接する別棟……サヤや女性使用人用の宿舎で半ば隠れている。
 だから、もしかしたら別棟の灯りが見えただけかもしれない。
 そう思うのに、胸のざわつきは増すばかり。そんなはずはないと、理解しているかのように。そうして、更に瞳を凝らしていたら……。

「…………見つけた」

 宿舎で遮られ、見えなかった場所から、それは見えるところへと移動してきた。
 そうだ。俺が見た違和感、これだ。灯りだ。

 人の耳には聞こえぬ笛を口に咥え、力一杯吹く!

 そうしてからすぐに踵を返した。
 着替える暇など無い。小机の上の短剣と、小刀一本を掴み、夜着の腰帯にねじ込んで、寝室を飛び出す !

「誰かいるか!」

 そう叫びつつ、部屋用の布靴は走ると滑るから急いで脱ぎ捨て、長い髪を縛るものを持ってこなかったことを、内心で後悔しつつも、足は先へ。

 部屋を飛び出すと、驚いた顔のシザーがおり、何事?    と、首を傾げる。あ、夜番か。
 その顔には何の危機感もない……まだ、伝わってない……誰も、気付いてない⁉︎

「村の裏手に灯り、西に移動している。孤児院を、裏手から狙っている可能性がある!
 規模不明だ。動ける者は俺と来い!」

 叫びつつ走った。同じく夜番であったらしい女中が慌てて走ってきて、俺の叫びを聞き、踵を返す。他の者に知らせに行ったのだろう。
 俺は裸足のまま、館の外へと飛び出し、兵舎に向かった。孤児院に向かうには、どうせ通る道だ。
 兵舎には灯りの付いた窓が多数。またひとつ灯りが増え、俺の声がこちらにも届いていたかと、思ったのだが……。

「緊急事態!    動ける…………どうした?」

 兵舎の中は、既に慌ただしく動いていた。

「先程吠狼より応援要請がありました!
 村内に敵影出現!    武装あり、ヤロヴィ傭兵団が擬態していたとの知らせ!」
「…………なん、だと?」

 ヤロヴィの傭兵団の、擬態?    意味が分からない。商人が、貴族に、刃を向けるのがどういうことか、理解していないはずないだろう⁉︎
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