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メイフェイアが着替えを持ってきてくれて、俺も湯で身体を抜き、着替えを済ませた。
トゥシュカとスティーンにはサヤがきちんと説明してくれており、嫌だと思う仕事など、絶対にやらなくて良いのだと理解してもらえたよう。
「今日からはちゃんと食べて、まずは健康になろうな。
急にここを出ていけなんて言わないし、十五を過ぎてたからって追い出したりもしない。
そういうのは、ちゃんと納得できる先を見定めてからだから」
実際は十六であったトゥシュカだけど、こんなガリガリの状態で独り立ちしろなんて言うわけがない。
だから当面はこのままここで生活するようにと伝えた。
「でも先が定まらないのは不安だよな……。
だから、文字を一通り覚えたら、次は色々な仕事を体験してみると良い。まずはそれで、自分のやりたいと思うものを探そう。
それが定まったら、どこに部屋を借りて、どう生活していくか。それを話し合って決めよう。
焦らなくて良い。今まで学ぶ時間がなかった分、ちゃんとこれから時間を使えば良いから」
そう言い聞かせて、急ぎ館に戻ると、イライラ最高潮といったハインに迎えられ……。
「急用で少々遅れると、ダウィート様には私からお伝えしておきました」
さすがハイン! できる従者を持って幸せだ!
それから急ぎ支度を済ませた。
サヤをレイモンドに近寄らせるなんて嫌なので、孤児院に戻ってトゥシュカとスティーンの相談に乗ってやってほしいとお願いし、とりあえず今後どうしたいかの聞き取り調査をしてもらうことに。
サヤが孤児院にいれば、万が一視察が入ることになっても安心できるというもの。
「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、お忙しいのは当然のこと。お気になされませんよう」
お詫びを兼ねて、村の案内は俺が引き受け、護衛は騎士から三名選んだ。
俺にはシザーとハインが付くので、総勢九名。
「では、参りましょうか」
そうして村の中へと、足を向けた……。
◆
「不思議でならなかったのです。堀のように村を囲う水路。更に村の中にまで、これほどに張り巡らせてある……」
ダウィート殿の、独白のような呟きに、俺は答えを提供する。
「セイバーンは水脈に恵まれております。その分氾濫の危険も伴っていたわけですが……。
その水の制御を、我々は長年思考錯誤してきました。そうして色々と検討し、水を逆に利用する手段というのも模索してきたのです」
この村を作る際にマルと示し合わせた設定。
諳んじているそれを、俺は頭の中で反芻した。
実際の地形と環境、そしてこの設備。それを上手く組み合わせて考えた設定だけれど、そこには多くの夢を込めている。
こうなってほしいと思い描く、理想郷。
「ここら辺は元から湧き水が豊富なのです。ですから、水脈に鉄管を突き刺すだけで水が湧きます。
不浄場の手洗いやそこにありますカバタは、それを利用しているだけなので、特別な技術は必要ありません。
無論、水に恵まれる分、地盤が緩いという問題が発生するのですが……ここの辺りは水脈の上に、少々固い地盤を挟んでいるようで、そこまで緩くございませんでした。
なんにしても、上に建造物を建てるならば地盤の強化は必要で、どうせ強化せねばならないなら、水路を通し利用する形に……とまぁ、そんな感じで模索した結果がこの村です」
「外部からの守りのためではないと?」
「結果として村の守りにもなっておりますね。ですが、本来この水路は、越冬のための設備なんですよ」
「…………越冬……」
ピンとこないという顔のダウィート殿。なので俺は水路に視線を巡らせ……。
「ほら、あれです。まだ稚魚ですが……川魚を養殖しております。越冬の食料として」
「……………………なんと」
「細かな残飯や野菜屑で育ちますし、水路の美化にも貢献してくれます。
無論、あの魚が生きてゆく環境維持のために、我々にもある程度の制約はかかりますが、越冬を家畜や、塩漬け酢漬けの野菜のみに頼らずとも済むというのは、我々にとってとても重要なことでしょう?」
「まさか川魚の養殖を村の中で行うとは……初耳です」
「まだ成功するとは限りません。試験段階ですからね、我々にとっても。
今年の冬には口にしてみたいと思っていますが、どうでしょうね。
また、我がセイバーンには畑に水路を敷くという習慣もありまして、それにより麦の生産量が若干ですが上がることが実証されております。
今後、その水路でも魚の養殖ができぬものかと模索しております。
この試みが上手く作用したならば、フェルドナレン中にその技術を提供できればと考えていますが……流石にまだ、夢物語の段階ですね」
麦畑に水路を敷くこと自体が、あまり一般的ではない。
費用もバカにならず、維持費もかかる。そのため領地の運営を圧迫すると考えている領主は少なくない。
今の環境でも麦は育つ。だからそれで良いと考える……。
「領内の麦畑全体に水路を敷くには、領主の判断と決定が必要で、費用も莫大。成果が出るのが一年以上も先で、結果が確約されたものでもない……。
だから今の段階で進言しても、それをしようと率先して行動してくれる領地は少ないでしょう……。
けれど、水路で魚を育て、それが越冬の糧になるとなれば、話はもう少し違ってくると考えています」
民が飢えない。
そうなれば、生活苦による死者が減る。流民や孤児となる者も当然減る。
罪を重ねる者も減る。来世に絶望する者も減るだろう。
「弱者を切り捨てずとも済む社会が、私の理想とするフェルドナレンです」
そう呟いた俺の声に被さるように、クッ……と、嘲る声。
無論、どこからかは理解していたから無視した。
「セイバーンの秘策をも提供するというのですか」
「秘策でもなんでもありませんよ。我が先祖が代々してきたことの結果というだけ。そのための時間と金を、かけて来ただけです。
それに、セイバーンだけが豊かになったところで、国が傾いたのでは意味がありませんし、フェルドナレンは豊かだと言われますが……実際は、そうではない。
現に、そのフェルドナレンの中でもセイバーンは、特別豊かなのだと思われていますが、ここだって、余るほどの食料を得れているわけではない……。
この地には、氾濫の度に命の選択をし、未来のために己を切り捨ててきた者が少なからずおります。私はもう、そんな風にはしたくない」
足を進め、硝子筆の製造方法を指導している工房に顔を出すと、本日も多くの職人が、炉の周りで汗を流し、技術の習得に励んでいた。
複数人で組み、お互いで協力し合い、教えられる工程をこなす。雨季の湿気がひどい中、炉の熱で、工房は蒸し風呂のようだった。
「チッ、酷い匂いだ……」
またもや神経を逆撫でする言葉。
少々カチンときたが、これも無視する。
「すまない。ここから少し見学をさせてもらう。我々のことは気にせずとも良いから、そのまま続けてくれ。
……水分はきちんと取っているか? 倒れてからでは遅い。焦らずとも良いから、こまめに休むようにな」
慌ててやって来た手隙の職人にそう声を掛けた。
そうしておいてからダウィート様に「中へは踏み込まないでください」と伝える。
「集中のいる作業ですから」
「そのようだ」
暫くその場で中の様子を見学したのだが、あまり長居してもこちらが熱気にやられてしまう。頃合いを見て外へと促した。
いくつかの工房をそのように見ていただき、村の構造の意味を語り、敢えて宿のそばを通ってみたりもした。
しかし、レイモンドの動きは無い……。
まぁ、ここで繋がりが見えるような動き方を、わざわざするはずもないか……。
昨日手紙を投げてやりとりしていたみたいだし、それで事足りているのかもしれない。
もしくは、本日の午後から帰路に着くというのは、ここに到着する前より決まり、言い渡されていたことなのかも。
そうならば、慌てて動く必要もないだろう。
だが気持ち悪いな……。
口笛。
それが頭に引っかかる。
傭兵と思しき者らが、皆で揃いの音階を奏でていたというならば、必ずそこに意味があるはず。
鼻歌ならば、それぞれが好みの歌を好きに口ずさめば良いのだものな。
口笛は十中八九合図だよな……。問題は、誰に対してのものか……。
館にて会合中であった俺たちの耳に、口笛は届いていない。
ブリッジスもウーヴェと面会中であったから、聞いていないだろう。繋がりがあるはずの二人に届かぬ口笛……。
傭兵団だけが口笛を吹いていたというのも、引っかかるのだよな……。
「レイシール様」
名を呼ばれ、思考を切り離した。
「如何されました?」
「もうひとつ、立ち寄りたき場所があるのですが、許可をいただけますでしょうか」
村の中央広場で、ダウィート殿がそう口にした。
「幼年院を……是非とも見てみたく思うのです」
「まだ始まっていませんから、校舎があるだけですよ」
そう伝えると、校舎を見るだけで構わないという。
「では……」
外側から見るだけであれば良いのだけどなぁ……。
内心でそう思いつつ、足を向けた。俺たちが幼年院に向かうことは、近くに潜む吠狼から連絡が行くはずだ。
その道中で、またもやダウィート殿は、俺に疑問をぶつけてきた。
「不思議に思ったのですが……領主の館は何故村の北端に?」
「あそこも本来はブンカケンの社屋で、領主の館ではないのですよ。
セイバーン村にあった本来の館が焼けてしまいまして、それが越冬直前であったため、完成していたあそこに無理やり仮住まいとなったのです」
「それでも不思議な話です。
この村全体が貴方の研究施設と言うのならば、何故社屋を中央に設えなかったのです?」
それは少々難しい質問だった。
一番の理由は、吠狼らが出入りしやすいよう、獣人の事情を最優先したからだが……それは、ここで口にできない裏事情。
「村の中央は広場にしたかったのです。
この拠点村は交易路の資材置き場。その後は我が研究施設でありつつ、交易路利用者の商業施設とするつもりでいたので。
あくまでこの村の主役は職人。私たちが調べ、形にしたいと思ったものを託せる職人らを中心に据えたかった。
そして私が任を離れた後も、死後も、研究と再現を続けてほしかった。私の存在ごときに左右される場であってほしくなかったのです。
ですから、ブンカケンの店主は私ではない。
あくまで私は研究者の一人であり、この試みの責任者でしかないのです」
この村の本来の目的。獣人を受け入れることのできる社会の構築が、俺の代で成し遂げられるとは限らない。
俺の死後も、ここは獣人の受け入れを続けていく、彼らの隠れ家でなければならない。
だからブンカケンの存在がこの村を左右してはならない。
村を育てきるまでは努力するが、その後はここが自立していくように進めていくつもりだ。
「……貴方は不思議な方ですね。まるで欲というものが無いかのようだ。
数多の秘匿権を握っているというのに、収益の大部分は交易路計画に注ぎ込むというし、ここまでの設備を整えておいて、全てが職人のため、ひいてはフェルドナレンの民のためだという……。
貴方がそれで良くとも……貴方の周りは、何もおっしゃらないのですか?
領主様は? 家臣の方々は? 奥方殿は、それで良いと?」
奥方殿。
その言葉にカッと、頬が熱くなった。
お、奥方殿……⁉︎
サヤはまだ婚約者だから、奥方じゃないんだけど……だ、だけど三年後はそう呼ばれるようになるのだと考えたら……奥方様と呼ばれて振り返るサヤを夢想したら、おかしなくらい心臓が跳ねた。うわ、これ照れる。
「さ、サヤは……賛同してくれております。
というか寧ろ……喜んでくれておりますよ」
表情の乏しいダウィート殿が少々驚いたように瞳を見開く。
あ、もしかして俺、かなり恥ずかしい反応をしてしまった? だけどサヤを奥方殿って呼ばれるのは……物凄くむず痒い……っ。
「あの娘は……俺などより余程、無欲ですよ……。誰よりも、心優しくて、本当に、奇跡のような娘です。
全ては皆の幸せのためだと理解してくれておりますし、それを受け入れてくれております。
華美なものは好みませんし、自らも働きます。
着飾ったり、贅沢することより、汗にまみれ、新たな品を開発することの方を、楽しむのです。
その新たな品が、民の生活を潤わすことを……何よりも、喜んでくれるのです……」
そうして俺を見て笑うのだ。女神のように麗しく。
「父上も、家臣の皆も、私の采配を受け入れてくれました。
正直今日があるのは、全て私の配下……皆の忠義と努力の結果です。
私の理想を、形にしようとしてくれる……素晴らしい臣に恵まれたお陰なのです」
無論、反発もあったし、これからもそれはあるだろう。
けれど、それは言葉を尽くし、話し合って埋めていけば良いこと。
「それに私は欲まみれですよ。自分のやりたいことを、こうして無理やりにでも形にしているのです。
私は私の理想を、このフェルドナレンに築き上げたい。全てはその為の布石です」
「……貴方の理想……とは?」
「皆で笑って暮らすことです」
サヤを妻に娶り、ハインや、ギル、他にも沢山できた俺の好きなもの、好きな人たちに囲まれて、種の違いなどに惑わされず、愛するこの地で、彼らと笑って暮らす。そのための全てだ。
夢物語のようであっても、いつかそれを、実現させたい……。
トゥシュカとスティーンにはサヤがきちんと説明してくれており、嫌だと思う仕事など、絶対にやらなくて良いのだと理解してもらえたよう。
「今日からはちゃんと食べて、まずは健康になろうな。
急にここを出ていけなんて言わないし、十五を過ぎてたからって追い出したりもしない。
そういうのは、ちゃんと納得できる先を見定めてからだから」
実際は十六であったトゥシュカだけど、こんなガリガリの状態で独り立ちしろなんて言うわけがない。
だから当面はこのままここで生活するようにと伝えた。
「でも先が定まらないのは不安だよな……。
だから、文字を一通り覚えたら、次は色々な仕事を体験してみると良い。まずはそれで、自分のやりたいと思うものを探そう。
それが定まったら、どこに部屋を借りて、どう生活していくか。それを話し合って決めよう。
焦らなくて良い。今まで学ぶ時間がなかった分、ちゃんとこれから時間を使えば良いから」
そう言い聞かせて、急ぎ館に戻ると、イライラ最高潮といったハインに迎えられ……。
「急用で少々遅れると、ダウィート様には私からお伝えしておきました」
さすがハイン! できる従者を持って幸せだ!
それから急ぎ支度を済ませた。
サヤをレイモンドに近寄らせるなんて嫌なので、孤児院に戻ってトゥシュカとスティーンの相談に乗ってやってほしいとお願いし、とりあえず今後どうしたいかの聞き取り調査をしてもらうことに。
サヤが孤児院にいれば、万が一視察が入ることになっても安心できるというもの。
「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、お忙しいのは当然のこと。お気になされませんよう」
お詫びを兼ねて、村の案内は俺が引き受け、護衛は騎士から三名選んだ。
俺にはシザーとハインが付くので、総勢九名。
「では、参りましょうか」
そうして村の中へと、足を向けた……。
◆
「不思議でならなかったのです。堀のように村を囲う水路。更に村の中にまで、これほどに張り巡らせてある……」
ダウィート殿の、独白のような呟きに、俺は答えを提供する。
「セイバーンは水脈に恵まれております。その分氾濫の危険も伴っていたわけですが……。
その水の制御を、我々は長年思考錯誤してきました。そうして色々と検討し、水を逆に利用する手段というのも模索してきたのです」
この村を作る際にマルと示し合わせた設定。
諳んじているそれを、俺は頭の中で反芻した。
実際の地形と環境、そしてこの設備。それを上手く組み合わせて考えた設定だけれど、そこには多くの夢を込めている。
こうなってほしいと思い描く、理想郷。
「ここら辺は元から湧き水が豊富なのです。ですから、水脈に鉄管を突き刺すだけで水が湧きます。
不浄場の手洗いやそこにありますカバタは、それを利用しているだけなので、特別な技術は必要ありません。
無論、水に恵まれる分、地盤が緩いという問題が発生するのですが……ここの辺りは水脈の上に、少々固い地盤を挟んでいるようで、そこまで緩くございませんでした。
なんにしても、上に建造物を建てるならば地盤の強化は必要で、どうせ強化せねばならないなら、水路を通し利用する形に……とまぁ、そんな感じで模索した結果がこの村です」
「外部からの守りのためではないと?」
「結果として村の守りにもなっておりますね。ですが、本来この水路は、越冬のための設備なんですよ」
「…………越冬……」
ピンとこないという顔のダウィート殿。なので俺は水路に視線を巡らせ……。
「ほら、あれです。まだ稚魚ですが……川魚を養殖しております。越冬の食料として」
「……………………なんと」
「細かな残飯や野菜屑で育ちますし、水路の美化にも貢献してくれます。
無論、あの魚が生きてゆく環境維持のために、我々にもある程度の制約はかかりますが、越冬を家畜や、塩漬け酢漬けの野菜のみに頼らずとも済むというのは、我々にとってとても重要なことでしょう?」
「まさか川魚の養殖を村の中で行うとは……初耳です」
「まだ成功するとは限りません。試験段階ですからね、我々にとっても。
今年の冬には口にしてみたいと思っていますが、どうでしょうね。
また、我がセイバーンには畑に水路を敷くという習慣もありまして、それにより麦の生産量が若干ですが上がることが実証されております。
今後、その水路でも魚の養殖ができぬものかと模索しております。
この試みが上手く作用したならば、フェルドナレン中にその技術を提供できればと考えていますが……流石にまだ、夢物語の段階ですね」
麦畑に水路を敷くこと自体が、あまり一般的ではない。
費用もバカにならず、維持費もかかる。そのため領地の運営を圧迫すると考えている領主は少なくない。
今の環境でも麦は育つ。だからそれで良いと考える……。
「領内の麦畑全体に水路を敷くには、領主の判断と決定が必要で、費用も莫大。成果が出るのが一年以上も先で、結果が確約されたものでもない……。
だから今の段階で進言しても、それをしようと率先して行動してくれる領地は少ないでしょう……。
けれど、水路で魚を育て、それが越冬の糧になるとなれば、話はもう少し違ってくると考えています」
民が飢えない。
そうなれば、生活苦による死者が減る。流民や孤児となる者も当然減る。
罪を重ねる者も減る。来世に絶望する者も減るだろう。
「弱者を切り捨てずとも済む社会が、私の理想とするフェルドナレンです」
そう呟いた俺の声に被さるように、クッ……と、嘲る声。
無論、どこからかは理解していたから無視した。
「セイバーンの秘策をも提供するというのですか」
「秘策でもなんでもありませんよ。我が先祖が代々してきたことの結果というだけ。そのための時間と金を、かけて来ただけです。
それに、セイバーンだけが豊かになったところで、国が傾いたのでは意味がありませんし、フェルドナレンは豊かだと言われますが……実際は、そうではない。
現に、そのフェルドナレンの中でもセイバーンは、特別豊かなのだと思われていますが、ここだって、余るほどの食料を得れているわけではない……。
この地には、氾濫の度に命の選択をし、未来のために己を切り捨ててきた者が少なからずおります。私はもう、そんな風にはしたくない」
足を進め、硝子筆の製造方法を指導している工房に顔を出すと、本日も多くの職人が、炉の周りで汗を流し、技術の習得に励んでいた。
複数人で組み、お互いで協力し合い、教えられる工程をこなす。雨季の湿気がひどい中、炉の熱で、工房は蒸し風呂のようだった。
「チッ、酷い匂いだ……」
またもや神経を逆撫でする言葉。
少々カチンときたが、これも無視する。
「すまない。ここから少し見学をさせてもらう。我々のことは気にせずとも良いから、そのまま続けてくれ。
……水分はきちんと取っているか? 倒れてからでは遅い。焦らずとも良いから、こまめに休むようにな」
慌ててやって来た手隙の職人にそう声を掛けた。
そうしておいてからダウィート様に「中へは踏み込まないでください」と伝える。
「集中のいる作業ですから」
「そのようだ」
暫くその場で中の様子を見学したのだが、あまり長居してもこちらが熱気にやられてしまう。頃合いを見て外へと促した。
いくつかの工房をそのように見ていただき、村の構造の意味を語り、敢えて宿のそばを通ってみたりもした。
しかし、レイモンドの動きは無い……。
まぁ、ここで繋がりが見えるような動き方を、わざわざするはずもないか……。
昨日手紙を投げてやりとりしていたみたいだし、それで事足りているのかもしれない。
もしくは、本日の午後から帰路に着くというのは、ここに到着する前より決まり、言い渡されていたことなのかも。
そうならば、慌てて動く必要もないだろう。
だが気持ち悪いな……。
口笛。
それが頭に引っかかる。
傭兵と思しき者らが、皆で揃いの音階を奏でていたというならば、必ずそこに意味があるはず。
鼻歌ならば、それぞれが好みの歌を好きに口ずさめば良いのだものな。
口笛は十中八九合図だよな……。問題は、誰に対してのものか……。
館にて会合中であった俺たちの耳に、口笛は届いていない。
ブリッジスもウーヴェと面会中であったから、聞いていないだろう。繋がりがあるはずの二人に届かぬ口笛……。
傭兵団だけが口笛を吹いていたというのも、引っかかるのだよな……。
「レイシール様」
名を呼ばれ、思考を切り離した。
「如何されました?」
「もうひとつ、立ち寄りたき場所があるのですが、許可をいただけますでしょうか」
村の中央広場で、ダウィート殿がそう口にした。
「幼年院を……是非とも見てみたく思うのです」
「まだ始まっていませんから、校舎があるだけですよ」
そう伝えると、校舎を見るだけで構わないという。
「では……」
外側から見るだけであれば良いのだけどなぁ……。
内心でそう思いつつ、足を向けた。俺たちが幼年院に向かうことは、近くに潜む吠狼から連絡が行くはずだ。
その道中で、またもやダウィート殿は、俺に疑問をぶつけてきた。
「不思議に思ったのですが……領主の館は何故村の北端に?」
「あそこも本来はブンカケンの社屋で、領主の館ではないのですよ。
セイバーン村にあった本来の館が焼けてしまいまして、それが越冬直前であったため、完成していたあそこに無理やり仮住まいとなったのです」
「それでも不思議な話です。
この村全体が貴方の研究施設と言うのならば、何故社屋を中央に設えなかったのです?」
それは少々難しい質問だった。
一番の理由は、吠狼らが出入りしやすいよう、獣人の事情を最優先したからだが……それは、ここで口にできない裏事情。
「村の中央は広場にしたかったのです。
この拠点村は交易路の資材置き場。その後は我が研究施設でありつつ、交易路利用者の商業施設とするつもりでいたので。
あくまでこの村の主役は職人。私たちが調べ、形にしたいと思ったものを託せる職人らを中心に据えたかった。
そして私が任を離れた後も、死後も、研究と再現を続けてほしかった。私の存在ごときに左右される場であってほしくなかったのです。
ですから、ブンカケンの店主は私ではない。
あくまで私は研究者の一人であり、この試みの責任者でしかないのです」
この村の本来の目的。獣人を受け入れることのできる社会の構築が、俺の代で成し遂げられるとは限らない。
俺の死後も、ここは獣人の受け入れを続けていく、彼らの隠れ家でなければならない。
だからブンカケンの存在がこの村を左右してはならない。
村を育てきるまでは努力するが、その後はここが自立していくように進めていくつもりだ。
「……貴方は不思議な方ですね。まるで欲というものが無いかのようだ。
数多の秘匿権を握っているというのに、収益の大部分は交易路計画に注ぎ込むというし、ここまでの設備を整えておいて、全てが職人のため、ひいてはフェルドナレンの民のためだという……。
貴方がそれで良くとも……貴方の周りは、何もおっしゃらないのですか?
領主様は? 家臣の方々は? 奥方殿は、それで良いと?」
奥方殿。
その言葉にカッと、頬が熱くなった。
お、奥方殿……⁉︎
サヤはまだ婚約者だから、奥方じゃないんだけど……だ、だけど三年後はそう呼ばれるようになるのだと考えたら……奥方様と呼ばれて振り返るサヤを夢想したら、おかしなくらい心臓が跳ねた。うわ、これ照れる。
「さ、サヤは……賛同してくれております。
というか寧ろ……喜んでくれておりますよ」
表情の乏しいダウィート殿が少々驚いたように瞳を見開く。
あ、もしかして俺、かなり恥ずかしい反応をしてしまった? だけどサヤを奥方殿って呼ばれるのは……物凄くむず痒い……っ。
「あの娘は……俺などより余程、無欲ですよ……。誰よりも、心優しくて、本当に、奇跡のような娘です。
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華美なものは好みませんし、自らも働きます。
着飾ったり、贅沢することより、汗にまみれ、新たな品を開発することの方を、楽しむのです。
その新たな品が、民の生活を潤わすことを……何よりも、喜んでくれるのです……」
そうして俺を見て笑うのだ。女神のように麗しく。
「父上も、家臣の皆も、私の采配を受け入れてくれました。
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無論、反発もあったし、これからもそれはあるだろう。
けれど、それは言葉を尽くし、話し合って埋めていけば良いこと。
「それに私は欲まみれですよ。自分のやりたいことを、こうして無理やりにでも形にしているのです。
私は私の理想を、このフェルドナレンに築き上げたい。全てはその為の布石です」
「……貴方の理想……とは?」
「皆で笑って暮らすことです」
サヤを妻に娶り、ハインや、ギル、他にも沢山できた俺の好きなもの、好きな人たちに囲まれて、種の違いなどに惑わされず、愛するこの地で、彼らと笑って暮らす。そのための全てだ。
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