上 下
747 / 1,121

視線 4

しおりを挟む
 もらい過ぎなくらいに元気をもらい、万全の状態で晩餐に挑んだ。
 気持ち的にはもう全然大丈夫。むしろかかって来いくらいの気分。

 晩餐の席には父上も出席。車椅子で登場した父上に、オゼロの方々は驚いていたけれど、ここが俺の研究施設であるということを、それでより深く理解してもらえた様子。
 ここは秘匿権の宝庫。変わったものがあって当然なのだと。

 体調が思わしくなく、交渉の席に立ち会えないことを詫びる父上に、ダウィート殿は丁寧に対応してくれた。

「成人前とは思えぬ程、しっかりされたご子息殿であられますね。本日は色々と、勉強させていただきました」
「有難うございます。私は三年前からこの体たらくで、その頃より領内のことは息子が担ってくれております。
 なので、実質的にはもう、領主は息子も同然なのですよ。
 息子の決定は、私の意思。そう思っていただいて結構。そのことを、私の口から伝えておきたかったもので、息子に我儘を言ってここに顔を出させていただきました」
「父上……」

 知ってれば休んでもらうことを優先したのに……。
 晩餐にはどうしても出席したいと言うから、対面的に必要なことなのかと思ったのに……。

「まだ健在だということを伝えることも重要だぞ」
「戴冠式に出たのですから、そこはしっかり伝わっていますよ……」

 息子を持ち上げるためにわざわざ出てきたとかやめてください。ほんと、恥ずかしいんで。

 流石にこの席は和やかだった。
 レイモンドも余計なことは口にせず。黙って食事を進めている。
 チラチラと彼を見て、何かしでかしやしないかと警戒している様子の同僚殿の胃が少々心配だったけれど、それ以外は概ね恙無い。
 一度婚約者として振舞ってしまったサヤが、従者として介添えに立つわけにはいかず、晩餐の席に座らざるをえなかったのが唯一予定外であったけれど……。俺としては隣にサヤがいてくれることは嬉しいだけなので、特に問題は無い。

 ダウィート殿も、父上の前では敢えて当たり障りない話題を選んでくれていたように感じた。

 食事を終え、父上が退室してからはお茶の時間だ。
 レイモンドはその席には参加する気が無いらしく、早々に客間へと退室。同僚殿もそれに続いた。資料の纏めでも残っているのかな。

 で、残るダウィート殿のお相手を務めるため、俺も残ることになる。
 応接室の長椅子に移動し、サヤが自ら乳茶を用意してくれ、彼女もそのまま退室しようとしたのだけど……ダウィート殿に請われ、俺の横に座った。
 彼はサヤを従者ではなく、婚約者という位置付けに据えて振る舞うと決めているらしいな……。
 慣れないサヤとしては少々緊張するのだろう。少し表情が硬いけれど、セレイナ殿との授業の成果は出ていると思う。きちんと振舞えているよと微笑むと、少し表情を緩めてくれた。

 そうやって寛ぐ中でようやっと……。
 ダウィート殿が、話題を変えてきた。

「…………ここは本当に珍しいものが多いのですね。料理といい、あの茶菓子といい……」
「種明かし……と言うほどのことでもないのですが、サヤの国の郷土料理が多いので、そう感じるのでしょう。
 彼女の国は、女性が家の味というものを代々引き継ぐそうで、彼女自身も料理をしますし、料理人顔負けの腕前です。そうしてそれを、我々に惜しみなく提供してくれる」

 俺の言葉にぺこりと頭を下げるサヤ。
 けれどそれに、ダウィート殿は思案顔だ。

「成る程……。では本日の料理も、婚約者殿の手によるものですか。
 惜しいですな。好む味のものがいくつもありました。ここに来ねば味わえぬとは……」
「そのうち味わえますよ」
「…………まさか」
「無償開示か、有償開示にするか……そこはまぁ、品次第の調整となると思いますが、もう試験的に、料理人の受け入れを始めています。
 ただ……料理というものの性質的に、他の秘匿権より扱いが難しい。今の所、秘匿権を得ている料理を知るためには、ブンカケンに所属してもらうことが条件となっています。
 料理人からしたら、大きな決断をせねばなりません。自らが持つ料理。これから得る料理を全て、ここに提供しなければなりませんからね。
 でも…………倍以上の料理を手に入れることができる。これからもそれは増える。
 私は、素晴らしいことだと、考えているのですが……」

 さて、ダウィート殿はどう考えるだろうな。

 出してくるだろうと思っていた料理の話題。秘匿権へ誘導するかのような言葉選びに、そのまま乗った。
 部下二人は元から下がらせるつもりでいたのだろう。そして、サヤを残したのも、俺たち二人が要と見たからか……。
 俺とサヤの向かいに座り、俺たちの挙動を見ていたダウィート殿。

「何故、秘匿せぬのですか?」

 と、質問を被せてきた。

「職人らに秘匿権を進呈せよと言って、我々がしないでは、立つ瀬がないではないですか」
「………………それはまぁ、そうです……な」
「……ふふ。でも本当の理由は、それ以前にサヤが秘匿を望まなかったからです。
 皆が美味しいと言い、作り、食べてくれることが嬉しいと、彼女は考えます。
 作り方すら教えてしまいます。ですが、それで良いのだそうですよ」
「…………何故?    何が良いのでしょう?」
「……料理は作り手によって、味が変わる……それが当然のことだからだそうです。
 サヤの味はサヤの手からしか生まれない。実際、同じものを別の者が作ると、味も少し、変わりますしね。
 つまり、今日の料理はサヤの手によるものではなく、サヤに料理を学んだ、別の料理人の手によるものです」

 サヤは口を開かない。自らを名指しされていないから、俺に任せている……。
 女性は慎ましくあることが、貴族社会には望まれる。それをもう習ったのだろう。

「それがその料理をより良いものにする可能性を秘めている。そういった個々の工夫が、もっと美味なものに進化したり、新たな美味を産むのだそうです。
 その考え方が……秘匿権無償開示の可能性を、我々に見せてくれました」
「ほう……」

 ……ちょっと踏み込みすぎかな……。
 だけど、そこがこの人にとっての要なのではと、思ったのだよな……。

 オゼロ公爵様は、当初から俺を警戒していた。
 俺が数多の秘匿権を得ていることを調べた上で、俺が他の長らとの関係を深めないよう、手を回してきた。
 だから、俺を孤立させ、懐柔し、手中に収める目的で、そうしているのだろうと考えていたのだけれど……どうもそれだけではなかったのでは……と、ダウィート殿と接する中で、感じていた。
 ダウィート殿は、俺からありとあらゆる話題を引き出そうとしている……。秘匿権に限らず、俺から得られる情報ならばなんでも良いというように。
 そのためのネタとして、木炭の価格交渉を利用してきている節すらある。
 オゼロ公爵様が俺を引き込もうとしていたのは、俺を手の届く範囲で泳がせておきたかったからなのか?    なら、そうしようとした理由は、なんだ。
 それを見極めるため、俺もこの人から引き出せるものを探るつもりで、この席に座った。

 レイモンドが席を外してくれて良かった。
 あちらは吠狼らが警戒してくれているだろうから、俺はダウィート殿だけに集中すればいい。
 先程までより、格段にやり易くなった。

「……先刻、硝子筆を真っ先に無償開示したのは、識字率を上げるためだとおっしゃってましたね。
 そしてそれは国力を上げるためだと……。
 レイシール様、貴方は識字率を上げることが、国力を上げることに繋がるというお考えなのですね」
「そうです」
「その根拠は」
「…………根拠」

 ついくすりと笑ってしまったら、ハッと気付いたのだろう。申し訳ないと頭を掻くダウィート殿。

「私の口癖なのです。つい嫌味のように繰り返してしまいますが、探究心ゆえのことでして」
「大丈夫ですよ。別に悪気があるだなんて思ってませんから」

 根拠……、本当の根拠は、サヤだ。
 彼女の国は、読み書き計算を、国民のほぼ全員が当たり前の教養として身につけている。
 それをすることで、彼女のような人材を大量に確保しているらしい。
 けれど、実例があるだなんて口にできないので、もうひとつ……かつて繁栄を極めていたであろう場所を、引き合いに出した。

「根拠は……大災厄前の文献が、悉く残っていないことですよ……」
「…………大災厄前の、文献?」

 木霊のように繰り返されたダウィート殿の言葉に、俺は是と頷いてみせた。

「ここにはマルクスという、学舎主席に十八年座り続けた男がおります。
 彼は情報収集が趣味でね、多くの文献を集めているのです」

 その大半は獣人のことを調べるためのものであったけれど、今は前時代を調べるのにも活躍している。

「彼の持つ資料のほぼ全てが、大災厄前にあった書物の写本です。前時代後に誰かが、前時代の書物から書き写した代物。だから誤字も多いそうです。
 極力古い時代のものを集めているのですけど……新しい時代に写されたものは、前のものの誤字を写し取った上で、更に誤字を重ねている。
 まぁ……仕方がないことなのでしょうね。人の手で行う作業に、絶対はありませんから。
 だから……時を追うごとに、前時代は歪められ、劣化していくのです。
 面白いですよ。古いものと、新たなもの。同じ題材の本を見比べても、全く違う内容に変換されていたりもするのです。
 ……あるいは、誰かの意図でもって、そうされている場合も、あるのでしょう」

 俺のその呟きに、ダウィート殿の指先が、ピクリと動いた。
 お茶の席に移ってから、常に広を見ている俺の視界には、彼の微々たる反応も全て、余さず、収まる。全て拾うことができる。

「では前時代のもので、なにが正しいかを、どうやって見極めるのか。
 そうなると、数を当たることになります。
 別の文献から、同じことに触れている内容を探し出す。
 これまた記した人物の立ち位置によって主観も変わりますし、まぁ……難しいのですけどね。その中から重なる内容を探り集めていきます。
 そんなことを繰り返し、同じ事柄に触れた数多の欠片を縫い合わせるようにして、歴史の正しき姿を見極めていく。
 …………どうやら貴方もそういった作業がお好きなのですね」
「は?」
「話の内容より、私の挙動が気になる様子です。
 貴方にとって当たり前のことを聞かされているなら、話の内容に興味が薄いのも頷けると、思ったのですが……。
 違いましたか?    ならば……私がそれをどう考えているかの方が気になる……ということで、解釈は合っているでしょうか?」

 そう指摘すると、ダウィート殿の喉仏が微妙に動いた。
 瞳に警戒の色が強くなる。当たらずとも遠からず……といったところか。

 俺が前時代の話を持ち出してから、ダウィート殿の視線が俺に張り付いた。
 だからそこを敢えて深く掘ってみたら、案の定……。彼の指には力が篭り、少し身体が前に重心を移した。聞き漏らすまいとする気持ちが、些細ではあるが、身体を伝わって動きに溢れたのだ。

 そうか……オゼロ公爵様は、ブンカケンが大災厄前の文明文化を研究している……そう謳っているから、そこを警戒したのだな。

 オゼロは特別な秘匿権を多く握る。そしてその都は、遺跡都市とまで呼ばれている……。
 そこには当然、前時代の遺物が多く残っていたはずだ。それが秘匿権であり、文献であったりする……。

 だから、貴方が俺の挙動に興味がある。それに俺は気付いてますよ……と、敢えて指摘した。
 俺からこのことを隠す必要がなくなったなら、貴方はどう動く?

「前時代の痕跡は、多くが消され、残っていません。写本があるのに、原本の殆どが、この世から消え去っている。
 そして現在、フェルドナレンには文字を操る者すら少なくなってしまいました。
 我ら貴族と聖職者を除き、一般での識字率はせいぜい二割……。
 我々が二千年前の文明を取り戻せない理由の多くは、ここにあると私は考えています。
 大災厄により蹂躙され、多くを失った我々の祖先。その中にせっかく残された知識。そのことごとくが失われてしまった。
 そして、識字率を著しく低下させている我が国は、新たに得た知識を残す術すら、無さすぎる。
 秘匿権というものが、その上で更に可能性を狭めているのです。
 例えば私が硝子筆を作る職人で、その技術を伝える子を得ずに死を迎えた場合、硝子筆はこの世から失われる。
 硝子筆がまた新たに生み出されるまで、いったいどれだけの時が必要になるでしょう」

 時代のどこかで、秘匿権を守るためか、何かの情報を隠すために、消された情報がきっと多くある。
 それらの大半を消したのは多分貴族や聖職者だ。権力者というのは、時にそんな愚行を平気で行うと、時代が語る場面は多い。
 だから、民にも力がなければならない。

「これが、国力を上げるために識字率が必要と言った、俺の答えですが……これで宜しかったですか?」
「…………それは、まるで貴族の力を削ぐことが目的と……そう言っているようにも聞こえますが……?」
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。

火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。 王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。 そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。 エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。 それがこの国の終わりの始まりだった。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...